第2話 亡命

 父のアルマン・ゴーティエはわずかながらの領地を持つ男爵だった。


 子供は四人。

 前妻との間に長男のピエールとエステル、後妻との間にエステルの妹と弟がいる。


 母が病で亡くなった時はエステルは十五歳だった。兄は大学に進学して王都に行っており、エステルには婚約者がいた。


 喪が明けるまでエステルは兄が身を寄せていた母方の祖父母の家にいて、そこから婚約者のところへ嫁いだので、継母や異母妹弟とは出戻るまで数えるくらいしか会ったことがなかった。



 十日前、父アルマンは友人で同じ王弟派だった子爵が、反逆罪で逮捕され領地が没収されたと騒いでいた。


 イスパール国にいる継母のマリーの親戚を頼り、亡命をすることになるのはそう時間のかかる決断ではなかった。


 使用人を解雇し、持っていける家財道具や動産を馬車に詰めて出立するまでは三日も掛からなかった。


 一ヶ月前に離縁されて家に戻っていたエステルも家財の整理に駆り出され、そして荷物を詰めた長持ちを持ち上げた時に腰を痛めてしまった。


 父は娘の容体を慮るどころか、ここに残って追っ手を撹乱し追跡の手を遅らせろと命令し、荷物を積み終えたら挨拶もしないで出立した。


 継母も弟妹も異論を唱えることはなかった。離縁されるまでこの屋敷にはほとんど帰ることはなかったので、他人も同然だから気にもしなかったのだろう。


 事実、離婚してこの屋敷に戻ってから、家族と一緒に食事することもなかった。


 大学で教鞭をとっていた兄は一年前に流行病で亡くなり、喪があけた義姉のマリーが訪ねて来たのが二日前。


 粛清の噂を聞き、義妹が身を寄せている婚家に来てみたら屋敷はもぬけの殻で、当の義妹はぎっくり腰で伏せっていた。


 こんな状況で置いていけない、とマリーは居残ってエステルの世話をしてくれているのだ。



「アルマン・ゴーティエはイスパール国へ向かったということですね?」

 王都第二騎士隊の隊長であるダルマスは、静かにカップをソーサーに置いた。


「はい。早馬を飛ばせば国境を越える前に追いつくと思います」


 父には撹乱しろと言われていたが、それに従う義理はないとエステルは思っている。なので正直に告げた。


「亡命するなら勝手にすればいい」

 ダルマス隊長は大したことでもないという風情で、同意を求めるように後ろの副隊長を仰ぎ見た。


「そうですね。連行する手間が省けます。この屋敷や領地は、当主不在ということで接収できますので」

 パスカル副隊長は文官も兼ねていると言っていたので、手続きが簡略化できるからむしろ歓迎している様子だ。


 エステルも異存はない。マリーを見るが、彼女も同じ意見のようだ。


義姉あねはまだゴーティエを名乗っておりますが、兄とは死別しておりますので、この家とはもう関係ありません。何か処罰があるのでしたら、私が受けます。腰が治ってからですが」


「エステル!」

 マリーの大きな声に驚いて身じろぎしてしまったら、途端に腰に響く。


「……もう少し穏やかにお願いします、マリー」


「ご、ごめんなさい。でも、私はまだピエールの……長男の嫁です。あなた一人に罪を被せるつもりはないわ」


 向かいに座る隊長の眉がわずかに中央に寄る。マリーは敢えて見ないようにしているが、彼の後ろの副隊長もエステルも気づかざるを得なかった。


「まあ、それについては後々」

 微妙な空気が漂ったので、パスカル副隊長は結論は出さず、この場を取り繕うだけに留めた。


「我々はしばらくこちらに逗留します。様々な書類にサインをいただきたいので、ゴーティエ家の長女であるエステル様にお願いしたいところですが、体調のことも有りますので、マリー様が代筆してくださるとエステル様も助かると思います」

 パスカル副隊長の提案に、エステルもマリーも了承した。


「この領地と領民はどうなるのでしょうか」

 ゴーティエ家は当主の裁量とはいえ自業自得だが、そんな都合に領民は関係ない。彼らの暮らしの保証がどうなるのか気掛かりだった。


「次の領主を選定するまで政府の執行官が領地経営を代行します。状況が健全であれば大きな変化はないと思います」


 父の経営手腕など今まで注視したことがなかった。手堅い仕事をしていたと思いたい。エステルの顎はクッションに沈んだ。


「今、念の為に屋敷内の捜索をしております。お騒がせして申し訳ありませんが、ご了承ください」

 ダルマス隊長はそう言って背後のパスカル副隊長を見る。こちらから他に言うことがあるか確かめている。


 副隊長は首を横に振った。


「エステル様とマリー様は、何か他にお聞きになりたいことはありますか?」


 エステルはマリーを見たら、彼女もこちらを見ていた。今のところは特にないが、後になって尋ねたいことも出てくるかもしれない、と伝えると、何かあったらいつでもお問い合わせください、とにこやかな笑みを浮かべて副隊長は言った。


 エステルもそろそろ座っているのが限界に近づいてきたので、顔合わせが終わるのは有り難かった。


 だが、隊長達は立ちあがろうとしない。エステル達が先に席を立つのを待っているようだ。


「あの、お先にどうぞ。私は少し時間がかかりますので」

 席を立つだけなのだが、体と心の準備も必要になる。


 マリーが手を添えて補助しようとした時、パスカル副隊長が部屋の外にいる隊員に声を掛けて、少しの間もしないうちに担架が運ばれてきた。


「エステル様はお部屋まで送り届けますので、マリー様はもう少し隊長とお話を詰めていただけますか」

 え? とエステルとマリー、隊長が同時に叫んだ。


 だが、手際の良い衛生兵の捌きでクッションを抱いたまま横向きに担架に乗せられたエステルは、どうすることもできずに応接室から運び出された。

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