第4話 まどろみさん

俺は結局、彼女の要望を受け入れるしかなかった。

このマンションを出て、今更住める場所なんてないし、大学だってすぐに始まってしまう。

そもそも、家に地縛霊がいるなんていう生活になんてなったことがないのだから、今後がどうなるかなんて想像がつかない。


とりあえず、俺は運んで来てもらった段ボールの荷解きを始めることにした。

彼女は俺の荷物の中身に興味があるのか、開けていった段ボールの中を次々に覗いている。

ここで彼女が物に触れないということには安心した。

これで物が自由に触れたら、何をされるかわからないからだ。

しかし、こういう時、手伝ってもらうことが出来ないのも逆に不便でもある。

荷物は少ないとはいえ、2人でやれば早く終わると言うのに、ただ見られているだけなんてやりにくいだけだ。


俺は楽しそうに俺の荷解きをした荷物を見ている彼女の後姿を見た。

漫画でも突然女の子と一緒に暮らすことになってしまったという展開はある。

けれど、その女の子というのが『女の子』という年齢でもないし、何より地縛霊だ。

触ることが出来ないから、ついうっかり胸を触っちゃいましたなどという展開もない。

だいたい、こういう時の女の子の格好は、ノースリーブの襟元が開いたトップスに、短パンというのが定番だろう。

でないと顔に迫る胸の谷間も見えそうで見えないパンツというシチュエーションも出来ないからだ。

何よりもお風呂でばったり、裸見ちゃいましたシーンはラブコメでは必須だろう!

なら、一層、別の意味で年齢不詳のツインテールの幼女の方がまだ盛り上がったというのに、これではメリットの方が浮かばない。


俺は大きくため息をついた。

そして、ごそごそと段ボールの中を漁る。

するとその中にモザイクがかかりそうな写真集や可愛い女の子たちが悶えているイラスト付きのPCゲームなどが出て来た。

俺は急いで段ボールのふたを閉める。

よく考えたら、俺の『男子としての営み』はいつやればいいと言うのだ。

寝室に常に女性がいる状態でそんなこと出来るはずはない。

後はトイレかお風呂か?

そもそも、彼女はお風呂やトイレには入って来れるのか?

俺には覗く趣味はあっても覗かれる趣味はない。

俺は振り返ってじっと彼女を見つめた。

彼女もそれに気が付いたのか、不思議そうな顔で俺を見て来た。


「あの、一つ確認したいんですが、あなたはこの部屋のどこまで移動可能なんですか?」


俺は彼女に質問してみた。

部屋からは出られないとは言ったが、隣のダイニングやお風呂にも行けないのだろうか。

そもそも地縛霊とは言っても、死んだ場所はここではない。

普通、死んだ場所にとらわれるのが地縛霊だ。

なぜこの場所に彼女が留まっているのか、説明がつかなかった。


「この家の中ならどこでも行けるよ。確か、ベランダぐらいまでは出られたと思う」


彼女はそう言って腕を窓に突き出してみた。

その腕は窓ガラスを通り抜け、ベランダへと続いている。

つまり、扉が閉まっていようが鍵が閉まっていようが、借地内であれば移動できると言うことだ。


「じゃあ、トイレとかお風呂とかも入って来れちゃうってことですよね?」


俺は複雑な気持ちで聞いた。

すると、彼女は大笑いを始める。

腹を抱えて涙を流しながら笑っているのだ。


「別に君が使っている時に覗いたりしないよ。それにどうしても部屋から出て行って欲しい事情がある時は、協力しなくもないしさ」


彼女はにやにや笑いながら俺の後ろにある段ボールを見つめた。

バレている。

俺はそう確信した。


「まあ、私の方が今は居候みたいなものだしね、配慮はそれなりにするつもりだよ。けど、さすがに長々と追い出されると私も息が詰まっちゃうからさ、君にも多少協力はしてほしい」

「協力?」


俺は彼女の言わんとすることがわからず、首を傾げた。


「物は触れないけど見ることは出来るからさ、パソコンで調べものしてもらったり、TVを見せてくれたりはしてほしいよね」


なるほどと俺は頷いた。

彼女も何もしないと言うのはなかなか退屈な物らしい。

俺の事を多少ほっといてもらうためにも、彼女の暇つぶしは用意して欲しいと言うことたろう。


「そう言えば、地縛霊って寝るんですか?」


これは大事なことだ。

一日中することもないのに起きっぱなしだと逆に俺が落ち着いて眠れない。

そこは安心してと彼女は笑う。


「むしろ私は寝ている時間の方が長いんだ。こうして何もすることがない時は大半は寝ている。そうでもしないと時間をつぶせないよ」


彼女だって好きで地縛霊なんてしているわけではないのだ。

出来ることより出来ないことの方が多いし、彼女なりの苦労があるんだろう。


それよりなにより俺は彼女に大事なことを聞いていなかった。

そう、彼女の素性だ。


「ひとまず一緒に暮らすことになるんですし、自己紹介ぐらいはしておきますね。俺は仲正晃っていいます。この春から帝農大学に通う大学生です。今までは田舎暮らしだったので、東京暮らしはまだ慣れていません」


そうなんだぁと気の抜ける返事をする彼女。

俺が自己紹介したのだから、彼女の方も自分の事を話して欲しい。

今は前の前にここで暮らしていて、交通事故で亡くなった地縛霊という情報しかないのだ。


「あの、あなたの事を聞いてもいいですか?」

「ああ、私?」


やっと気がついたのか、彼女は自分の顔に指を指した。

俺はうんうんと何度も頷く。

すると彼女はなぜか考え込み始めてなかなか話そうとしない。

自己紹介だぞ?

普通、名前や年齢ぐらいは言えるはずだ。

すると、彼女は申し訳なさそうな顔で俺を見て来た。


「あのさ、今自覚したんだけど、自分の名前、覚えてないんだよね」

「は!?」


そんな人間いるか?

交通事故にあったことは覚えているのに、自分の事を忘れるなんて。

地縛霊で記憶喪失なんて聞いてないぞ。


「確かね、学生とかではなくてどこかに勤めていた会社員だったということは朧気に覚えているんだけど、正確な年齢とか、何年間ここに住んでいたとか、どんな人と交流があったとか覚えてないんだよ。ほんと、ごめんね!」


彼女はそう言って俺の前で手を合わせて謝った。

謝ってもらったところで俺にはどうしようも出来ない。

しかし、わからないにしても名前は必要だ。

俺もひとまず彼女の事をなんと呼ぼうか考えた。

もしかしたら時間が経てば、彼女も自分の記憶を少しずつ思い出すかもしれない。


「ならぁ、まどろみさん。俺、今日からあなたの事をそう呼びます」

「まどろみさん?」


彼女は聞き返す。


「だって普段は基本寝ているんでしょ?まどろんでいるからまどろみさん。どうっすか?」


まどろみさんかぁと彼女も自分でも思い浮かべてみているようだった。

そして、頷いて俺の顔を見た。


「それでいいよ。君が呼びやすいなら」


これで彼女の名前は決まった。

彼女との生活はこれからどうなるかわからないけど、暮らしてみながら考えていけばいい。

幽霊と言っても怖い訳じゃないし、話が通用しない相手でもないし、俺はもう少し気楽な気持ちでこの状況を受け止めることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る