第3話 不動産屋と引っ越し業者

俺は目の前の彼女の言っていることも、目の前で起きている現象も受け入れられなかった。

地縛霊?

この人は何を言っているのだろう。

世の中に幽霊なんて非科学的な存在がいるわけがない。

そんなバカげた理由を言えば、出て行かなくてもいいと思っているのだろうか。

しかし、現実として俺は彼女に触れることが出来いのも事実だ。

掴もうとしたその手は空気を触るように通り抜け、彼女の身体の影に隠れた。

俺はひとまず鞄の中から携帯を取り出して、もらった資料に記載されている不動産屋に電話してみた。

電話は3コール目でやっと繋がる。


「はひ、もひもひ、あ、ちがった。いつもありがほうございまふ。森宮不動産でふ」


明らかに電話の向こうの人物は口の中に何か入れて話していた。

声からしてもこのふざけた対応からしてもあの不動産屋には間違いないようだ。


「今日から日比野コーポに入居した仲と申しますが、少し質問よろしいですか?」


俺は半ギレで質問する。

電話の向こうの女性はちょっと待ってと言って、急いで口の中に頬張ったものを飲み物で押し込んでいた。

ここの従業員は暇になると何か食べていないと生きていけない人間なんだろうか。


「もしかして、俺のこの部屋って事故物件だったりします?」


俺は不動産屋に確認することにした。

確かに条件は良すぎると言えるほど良かった。

今まで聞いてきたマンションなら、家賃だって5万円なんかじゃ済まない。

もし事故物件であるなら、値引きされていてもおかしくなかった。

資料を見てきますと言って、彼女は一旦電話口から離れ、5分ほど待たせてから戻って来た。


「事故物件っていうわけではないんですよ。ただ、前の前の住人の方が近所のコンビニに買い物に出かけている最中に交通事故にあいましてね、亡くなっているんです。でも別に部屋で亡くなったわけでもないですし、不幸な事故だったんで、特に記載も告知も義務ではなかったのでしていなかっただけですよ」

「だけですって、なんでそれを教えてくれなかったんですか!?」


俺は電話口で叫んだ。

この部屋の中で亡くなったわけではないにしても、借りている期間に亡くなったというだけでも気味が悪かった。


「だって、聞かれなかったし……」


彼女は開き直ったように言った。

俺は返す言葉がない。


「そもそも、そんなのまで事故物件なんて言われたら、多くの賃貸物件が事故物件扱いになるじゃないですかぁ」

「でも、前の住民は1か月で荷物も置きっぱなしで出て行ったんですよね。もしかしてそれってなにか家に問題があったからじゃないんですか?」


俺は彼女を問い詰めるように聞いた。

もっと早くに気づくべきだった。

前の住人が1か月で退居。

荷物も置きっぱなし。

好条件の安い家賃。

おかしいと思うべきだったんだ。


「確かに出て行く時、変なものが見えると若干ノイローゼ気味でしたが、そんなお化けなんているわけないじゃないですかぁ。大丈夫ですよ」


全然大丈夫じゃない。

現に目の前におかしな現象が起きているのだ。

昼間の真っ只中、こんな明るい時間に現物同様に見える幽霊なんて信じたくはないけど、彼女は現に触ることが出来ない。

彼女自身も地縛霊だと宣言して、部屋から出られないと言う。

この状態をどう説明すればいいのか教えて欲しいぐらいだ。


この不動産屋では話にならないと思って、俺はそのまま勢いで電話を切ってしまった。

そして再び彼女の前に立つ。

見た感じは幽霊と言われても信じられないぐらいくっきり見えている。

しかし、手を伸ばして触ろうとしても出来ず、そのまま通り抜けていった。

そうだ、これはリアルな夢なのだと思って頬をつねってみたがやはり痛いだけだった。

そうこうしているうちに、誰かが部屋のチャイムを押した。

俺は慌てて玄関に向かう。

どうやら引っ越し業者が到着したらしい。

一瞬、彼女の事をどうしようか迷ったが、隠すのもおかしいと思い、ひとまず玄関の扉を開けることにした。


「お世話になります。トカゲ引っ越しサービスのものです。お荷物届けに参りました」


一人の業者が爽やかな笑顔で挨拶してきた。

そして、手際よく段ボールの荷物をサクサクと部屋の中に入れていく。

俺はただそれを茫然と見ていたが、数個目の段ボールをスタッフが運び込んできた時、お邪魔しますと言って部屋の中に上がって来た。

そして、奥の扉に手をかけて一言声をかけてくる。


「こちら寝室に運びますね」


俺は一瞬呼び止めようかと思ったが、その前に業員は扉を開け平然と部屋の中に入っていった。

見知らぬ女性がいるのに気に配ることもなく、どんどん荷物を入れていく。

最後にはその女性の目の前を通り過ぎても、身体ごとすり抜けていくだけで何の反応も見せなかった。

どうやら、この地縛霊は俺にしか見えていないようだ。

業者は荷物を運び終えると挨拶をして、手早く片付けて出て行ってしまった。

そして、再び俺はこの地縛霊の女性と二人っきりにされてしまう。


俺にしか見えないと言うことは、もしかしたら俺の幻覚なのかもしれないと思い始めた。

しかし、確かに前の住人も見えていたみたいだし、あの大家さんが提示て来た条件もおかしい。

俺はゆっくり振り返って、もう一度彼女を確認してみた。

彼女は俺の顔を見るとにっこり笑って見せた。

幽霊と言われても怖くは感じない。

むしろ普通に見ればただの感じのいいお姉さんだ。

俺は改めて床に座り、彼女に話しかけた。


「ひとまず、ここに座ってもらっていいですか?」


俺はそう言って目の前の床に指さす。

彼女は頷いて、指定通り俺の前に正座した。


「まずは説明して欲しいのですが」

「説明?」


彼女は質問の意図が組めず、首をかしげる。


「だから、あなたがこんな場所にいる理由です。幽霊なんてやっぱり信じられないけど、現実に俺以外の人間は見えてないみたいだし、触れられないわけだし、だから状況だけでも把握しておきたいんです」


俺は彼女を真剣な面持ちで言った。

彼女は一瞬驚いて見せたが、やっと俺の気持ちを察してくれたのか、ゆっくりと話し始めた。


「説明って言われてお困るんだけど、気がついたら部屋の中にいたと言うか、最初は死んだことすら気が付かなくて、ただ部屋で寝ていたんだと思ってた。けど、目の前のものを触ろうとしても触れないし、部屋からも出られないし、どうしていいかわからなくって。でもそんな時、大家さんが家族や警察を引き連れて部屋に入ってきて、そこで初めて自分が死んだんだって知ったの。思い出してみたら、夜中にコンビニ行ったなぁって。その帰り道、車に轢かれたみたいで、でもその時の記憶は曖昧で覚えてないのだけれど。大家さんたちが部屋に入って来た時もやっぱり私は見えないみたいで、そのまま退居の手続きもされてしまって、私はずっとここで一人取り残されてた。そしたら、次の住人の人が入ってきて、初めて私を認識してくれたの。私嬉しくていろいろ話しかけたんだけど、その人は悲鳴を上げるだけで全然相手にしてくれなくて、気がついたら荷物を置いて出て行っちゃったみたい」


彼女は長々と説明してくれた。

彼女も自分がなぜここにいて、こんな状況になったことに理解できないらしい。

俺だって正直、こんな現象認めたくないし、出て行きたい気持ちはあるけど、今更住居を探すことも出来ないし、大家さんとも約束をしてしまった。

俺は諦めて、もう一つの希望を託して彼女に質問した。


「どうしたら、あなたは成仏出来るんですか?」


そう、彼女がこの世に未練をなくして成仏すれば、自然とこの部屋からも俺の視界からもいなくなってくれる。

物理的に出て行けないなら、こうするしかないと思った。

しかし、彼女は困った顔をして懸命に考えていた。


「わからないんだよね。私、特にこの世に未練もなかったし、成仏って言われてもどうやっていいのかわからないんだよ」


俺のがくっと頭を下げた。

未練もないのに余生に残っているなら成仏のしようもない。

もしかしたら何か方法はあるのかしれないが、すぐには思いつかなかった。


「まぁ、君には申し訳ないけどさ、当分一緒にいさせてよ」


彼女はそう言って爽やかな笑顔を俺に向けた。

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