第2話 地縛霊
俺は不動産屋から借家の鍵と場所の地図をもらった。
慣れない土地を地図を辿りながら、目的地に向かう。
辿り着いたそこは思いのほか綺麗なマンションだった。
4階建ての建物でマンションの前には駐車場もある。
白いタイルの壁に縦長の建物だった。
俺の部屋はそのマンションの2階の205号室。
エレベーターはついていないので、階段からそのまま上がり、表札の番号を一つずつ辿っていく。
そして205号室の表札を見つけた。
俺は渡された鍵で部屋の中に入る。
中から独特の生暖かい空気が流れ込んできた。
不動産屋が言うには昨日一度清掃に入っていると言う。
内装も割ときれいなようだ。
それよりも好条件なのは家具家電が既についていることだ。
玄関は少し小さめだが、横には割とたくさん入りそうな靴箱が備え付けられていた。
玄関を入ってすぐがダイニング。
ダイニングと言ってもほとんど廊下みたいなもので、キッチンはそこそこ広いがテーブルを置くほどのスペースはない。
脱衣所はないが、案内通りトイレとバスは別に完備されている。
洗面台だけはダイニングに直接設置してあった。
扉を開けて中に入ると8帖ほどの寝室兼リビング。
広さは十分にあった。
東南の日当たりのいいベランダ。
部屋にはクローゼットまでついていた。
これで月々管理費込みで5万とはお得だと言っていい。
しかし、なぜ前の住人は家具一式置いて行ったのだろう。
家具はどれも新品同様で何の問題もないようだ。
確か、不動産屋が言うには前の住民は若い男性だったようで、入居して1か月で退去したとか。
理由はよく知らないが、そんなに急いで出て行く必要があったのだろうか?
俺は目の前にあるベッドに腰を下ろした。
寝室には既にベッドとちゃぶ台、テレビにテレビ台小さな本棚に勉強机まであった。
これだけあれば買え揃える必要もないだろう。
確かダイニングには冷蔵庫も洗濯機も置いてあったはずだ。
俺はひとまずブレイカーを上げ、電気が通っているか確認した。
丁寧に抜いてあったコンセントを差し込み、家電が動くか一つ一つチェックする。
荷物は今日の午後、届くように手続きしてもらった。
電力会社にも水道局にも連絡はもう済んでいるし、後は今日の午後からくるガス会社のチェックが入れば生活は可能だ。
冷蔵庫が冷えたら、近くにあるコンビニへ行こうと決めて窓を開ける。
部屋の中に外の爽やかな風が入って来た。
俺はそれが気持ちよくなって、そのままベッドに寝っ転がるとつい転寝をしてしまった。
目を覚ましと目の前に女性の顔が見えた。
女性は寝ている俺を覗き込むように見つめている。
最初は引っ越し業者の人だろうかと思ったが、明らかに違うようだ。
俺は慌てて起き上がって、後退った。
そして、もう一度しっかり女性の姿を確認した。
彼女は白いTシャツに黒いステテコ姿で、髪は一つにまとめてポニーテールにしている。
俺は慌てて自分の鞄から不動産屋からもらった紙をもう一度確認する。
部屋番号は205号室。
間違いないか、駆け足で玄関に出て表札を確認したが、確かに205号室だった。
それに不動産屋から渡された鍵でこの部屋の扉も開けられたのだ。
自分が部屋を間違えたわけではないと確信した。
なら、あの女性は誰なんだと考え直す。
しかし、何度考えても思いつかない。
不動産屋からのお引越しのお手伝いのサービス。
いやいやそんなサービスするような不動産屋じゃなかっただろう。
俺は、息を整えてもう一度部屋に戻ることにした。
そう、本人に聞くのが一番早い。
俺は玄関の扉から室内に入り、半開きになった扉をゆっくり開けた。
やはりそこには一人の女性が立っている。
寝起きの幻覚でもなかったようだ。
彼女はいぶかしげな顔をして俺を見ている。
俺は一度つばを飲み込んで目の前の女性に話しかけてみることにした。
「あのぉ、失礼ですがどちら様でしょうか?」
失礼のないように丁寧に質問したつもりだ。
すると彼女の表情はぱぁと明るくなって、手を合わせて喜んだ。
「よかったぁ。ちゃんと見えるんじゃん」
は?
俺は彼女の言っている意味が理解できず、首を傾げた。
何が良かったのか。
何が見えるのか、理解できない。
「やぁ、前の住人の人も見えてたからさ、今回もって期待したけどちゃんと見えるんだねぇ。一瞬、私の事に気が付かないのかと焦ったよ」
「すいません。俺の質問に答えてもらえてないのですが……」
マイペースに話す彼女についていけず、俺はひとまずもう一度質問を投げかけた。
彼女は何の話だったか思い出せなかったようだ。
「なんだっけ?」
「なんだっけじゃないですよ。ここは今日から俺が住む家なんです。なんであなたが勝手に俺の部屋に入っているんですか!?」
ああ、そう言うことかとやっと納得したようだった。
「だって、ここは私の元住居だもん」
元住居?
前の住人は男と聞いていたが勘違いだったのかもしれない。
それにしたって、『元』ということはやはり今の住人は俺だ。
なら平然と昔暮らしていた部屋に無断で入ってくるのはおかしいだろう。
「今日からは俺の住居なんです。忘れ物か何か探しに来たんなら、さっさと探して出てってください」
俺はそう言って、もう一度ベッドに座り直した。
彼女は少し困った顔をして、かといって何かを探しているようには見えなかった。
そう言えばここにある家具、家電は全て前の住民のものだったはずだ。
ということは、ここにあるものをすべて返してもらおうと思って来たのかもしれない。
そう思うと複雑な気持ちになった。
「やっぱり、この家具家電を取りに来たんですか? 大家さんは置いて行ったものだからって使っていいとは言われたんですが、どうしても必要ならその、持って行ってもらってもかまわないですよ」
ちょっと悔しかったがそもそも俺のものではない。
大家さんだって前の住人にちゃんと確認して言った事でもないのだろう。
俺は腕を組んで答えた。
それでも彼女は相変わらず困った表情をして立っている。
「別に家具家電を取りに来たわけじゃないと言うか、そもそもこれらは私のじゃないんだよね」
「なら、何しに来たんですか? 他に忘れ物でも?」
そう聞かれて、彼女は更に言いにくそうにもじもじし始めた。
俺は全く理解できず、次第に苛立ち始めた。
「はっきり言ってくださいよ。そして、この部屋から早く出て行ってください!」
「ごめん、無理!!」
なぜか彼女の方から全力で拒絶された。
拒絶したいのは俺の方なのに、なぜそんなことを言われないといけないかわからない。
「ここから出て行くことは出来ないの。理由は私にもよくわからないんだけど、出て行きたくても出て行けないんだよねぇ」
「意味が分からないです。そんなの玄関まで歩いて、扉を開ければ出て行けるじゃないですか」
「普通はそうなんだけど、私には無理というか……」
俺の堪忍袋はついに切れてしまったらしい。
勢いよくベッドから立ち上がって彼女の前に立った。
さっきから訳の分からないことばかり言ってその場から動けない彼女を力づくでも出してやろうと思ったのだ。
本来なら女性にこんな乱暴なことはしたくない。
けれど、これは立派な不法侵入だ。
俺にはここの住人として追い出す権利があると思った。
「いい加減に出て行ってください!!」
俺はそう叫んで彼女の肩を掴もうとした。
しかし、彼女を掴んだ感覚がない。
感覚がないどころか、その手はすり抜けて彼女の身体に埋まって見えた。
「だからね、その、すごく言いにくい事なんだけど」
彼女は真っすぐ俺を見て言った。
「私、地縛霊だから出て行けないの」
俺は声が出なかった。
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