第5回 読者に優しく

 創作活動って、私はだいたい自分のために作っていることが多い気がします。

 もちろん誰か大切な人のお誕生日を祝うために絵を描いたりなんかもするわけですが、そういうのは年に数回で、普段は自分の気持ちを整理するためにエッセイという名の日記を書いたり、きちんとした小説作品を作るにも、自分の怒りや絶望や吐き出したい衝動をぶつけたもの、あるいは願望や憧れなどを散りばめたものを書いたり。要は自分のために書くことは皆さんも多いと思います。


 別にそれ自体はいいと思います。創作の源泉は「自分はこういうことに対してこう思った、だからこういうものを書く」。抽象化しすぎたので具体的に例えると「私は現実の戦争に対して怒りを覚えた。だから小説では戦争の苦しさ、無意味さ、辛さを書きたい」。これは小説のテーマ、メッセージになりえます。これで大作が書けたら素晴らしいものになりそうな予感がビシビシしますね。


 で、「自分のため」に書くのは問題ないのですが、「読者のため」も考えてあげてほしいな、というのが今回のテーマです。


 第4回にも通じるものがありますが、読者というものはストレスに弱い生き物です。

 読者は第4回でも言ったように、どっちがどのセリフを読んでるか分からないとか、そもそも文章のルールを守っていないだけでストレスが溜まり、読むのをやめて他の本に移ったり本屋を出ていってしまうわけです。

 ましてや、Web上で読める小説なんてお金払ってないので途中で読むのを簡単に辞められます。「読者は読まない理由を探してる」なんて言われるくらい。

 本を読む人というのはたいてい感動とか読後感を楽しむために本を読むのであって、わざわざストレスを感じるために本を読む人ってあんまりいないわけです(鬱本といって読後感が最悪なやつを好んで読む層もいますが、アレだってある程度の文章力ありきで人を鬱にさせているのです)。


「読者のため」というのは、まず読みやすい文章を書くこと。自分のために書いたものなら多少読みづらくても我慢して読めますが、他人はそんなの知ったこっちゃありません。「読みづらくてイライラする」となればパッとその場からいなくなります。


 ここで私の失敗談をひとつ。

 私がカクヨムにやってきて自分の作品をここで読んでもらえると期待に胸を膨らませていた頃。

 私は自信満々で、小学校の頃から温めていた小説『アヤカシ堂の聖なる魔女』を投稿しました。

 全30話で10万文字も超えていたと思います。反応が楽しみの超大作でした。

 結果どうなったかって? 大コケです。

 2020年の1月末に完結しましたが、今見ても星は3つ、♡は6つ、PVは300ほどです。

 読んでもらえなかった原因はいくつかあると思いますが、そもそも本編を読んでもらえていない感じがしました。

 それもそのはず、第1話の時点で1万文字以上の文字数を込めてしまったのです。途中で読めなくなってブラウザバックが想像にかたくないでしょう。

 ちなみに長編小説を書く場合、1話2000〜3000文字ほどに収めた方が一番読みやすいと言われています。ご参考までに。

 私の場合は、第1話をもう少し分解して複数話に分けておけばまた反応が違ったかもしれません。他にも問題はあるのでしょうが。

 とはいえ、私はこの物語が自分ではかなり気に入っています。なにせ小学生の頃には文章力が足りなくて具現化できなかったものを大人になってようやく形にできたのですから。

 誰がなんと言おうと私の宝物と言える小説を持っていることは、文字書きにとって貴重な財産です。


 しかし、いくら宝物でも、読者にとって読みづらかったというのは覆せない事実です。

 それ以来、「読者ファースト」を意識して他人から見ても読みやすい文章を心がけています。


 私なりの「読みやすい文章」の工夫は次回にでも語ろうかな。

 今回はここまで。お付き合いいただきありがとうございます。

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