ビルの屋上は銀河
杉野みくや
ビルの屋上は銀河
「はあ、はあ。お父さん。こんなところ入って大丈夫なの?」
「はっはっは。心配するな。バレなければ問題ない!」
「大丈夫じゃないじゃん!」
「スリルがあっていいじゃないか。ほら、着いたぞ」
お父さんはおもむろに取り出した鍵を差し込み、扉を開けた。すると、強い風がぶわっと中に入りこんできた。髪や服がバタバタと激しくなびくほどの強風を小さな体でなんとか受け止める。
その間にも、お父さんは扉の奥へとためらいなく進んでいった。いよいよ鍵を盗んだのではないかと勘ぐるも、ここまで来てしまってはいよいよ後にも引けなくなっていた。仕方なくお父さんの後を追って扉の外へと足を踏み入れた。
眼前に広がるのは、闇夜に溶け込む高層ビルの屋上。無機質な大型室外機や給水塔が立ち並ぶ以外には何もないところだった。どうしてこんな面白みもないような場所に連れてきたのか、僕には理解できなかった。ど真ん中で仁王立ちをするお父さんに近づいて尋ねてみると、満面の笑みでひと言、
「星を見るためだ!」
とだけ返された。
たしかに、柵越しには都会特有の高層ビル群が建ち並び、日の沈んだ今はつぶらなな光をたくさん放っていた。夜景としてはなかなか綺麗な光景だ。
だが、その光たちを『星』と呼ぶのであれば、わざわざここに来る理由が見当たらなかった。それに、ここから数駅先の街に住んでいた僕にとっては特別珍しい光景でもない。
じゃあ本当に星が見えるんじゃないかと考えた僕は空を仰ぎ見た。しかし、漆黒の夜空に映るものは何一つ確認できない。
繁華街の過剰な明るさの前では、輝ける星も覆い隠されてしまう。そんな当たり前のことは子どもながらにも分かっていたはずだ。なのに、こんな都会で星空が見えるだなんて、一瞬でも期待した自分のことが恥ずかしく思えた。
「ねえ、お父さん。本当に星なんて見えるの?」
「ああ。もうすぐ見えるぞ」
「もうすぐ……?」
「そう、もうすぐだ。あそこら辺に見えるからな」
そう言ってお父さんは斜め上方向を指さした。もちろん、その先にあるのは黒一色の空。星が見える気配など微塵も感じられなかった。
それでもお父さんは自信あり気に腕を組み、期待に満ち満ちた眼をしていた。
「さ、来るぞ。3、2、1……、そらっ!」
「……!」
お父さんのカウントダウンと共に現れたのは、空一面を覆う光の粒たち。まるで星空のカーテンのようなそれはゆっくり動き出し、大きな川のような形になっていった。
「もしかして、天の川!?」
「はっはっは。さすがは俺の息子だ。さあ、ここからさらに面白くなるぞ!」
お父さんが話している間にも天の川は姿を変え、射手座や牡牛座といった星座に次々と変化していった。黒のキャンバスにキラキラと輝くそれらはまるで本物のように感じられた。僕はビルの屋上に居るということも忘れて食い入るように見入っていた。
やがて十二星座全てに変化し終わると、光は音もなく急に消えてしまった。もっと見たいと思っていた僕がしょんぼりしていると、先ほどよりもさらにたくさんの光が戻ってきた。
「うわぁ……!!」
次に現れたのは、手をいっぱいに広げても収まらないくらい大きな銀河。それは図鑑で見たのと遜色ないほど色鮮やかで、息をのむほど綺麗だった。
「どうだ。星、見れただろ?」
「うん。すごいきれい!」
気づけば、自然と頬が緩んでいた。頭に乗せられたお父さんの手のひらにぬくもりを感じながら、都会の夜空に輝く青々とした銀河を眺めていた。
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「へえ~、そんなことが。素敵なお話ですね」
「はい。大人になった今でも、鮮明に覚えています」
僕は目の前に座る記者に向けて笑顔で答えた。
「これをきっかけに、ドローンショーに興味を持たれたという感じでしょうか?」
「そうですね。今回のショーのテーマにもなっている『天体観測』はこの時の体験を元に作り上げました」
「ご自身最大規模となるドローンショーがいよいよ明後日に迫りましたが、今どんな気持ちでしょうか?」
「今回は自分にとっても大きな挑戦になるので、上手くいくか緊張しています。今年でエンターテイナーとして活動し始めて10年目になるので、その集大成をぜひお楽しみいただければと思います」
「私も非常に楽しみにしております。本日はありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
会釈を交わし、業務連絡を聞き終わった僕は部屋を後にする。SNSを開くと、ショーに対する期待に満ちたコメントがいくつも届いていた。それを確認するとスマホを閉じ、次の目的地に向かって歩き始めた。
ふと、あの日、都会の夜空に輝いた満点の星空が脳裏に蘇る。お父さんがビルの屋上で見せてくれた星々はどれも綺麗で、わくわくさせてくれるものばかりだった。純粋な少年が抱いた希望と高揚感を胸に、僕は夜のとばりの下り始めた無機質な街中を闊歩していった。
ビルの屋上は銀河 杉野みくや @yakumi_maru
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