第46話

「だから、仕事だよ。父さんがいなくなってからブラック企業に勤め始めたんだ。帰ってくるの、前は十時過ぎだったのに最近は十一時過ぎ。零時過ぎに帰ってきたこともあったよ。それで残業代なんかでないんだって。土日出勤することもあれば、ゴールデンウィークも祝日も休みなし。一度、過労と栄養が足りなくて倒れたんだぞ。その時に連絡したのに・・・・・・」


「倒れた?」

「そうだよ。食費切り詰めていたら栄養不足になったのと、過労で倒れたの」

「すまなかった。母さんにも随分辛い思いをさせていたのか」

「今更だよ」


 口調に怒気が出ていた。俺は黙々とシチューを食べる。父さんもあわせて食べ始めると、息をついた。


「シチュー、なんだかとてもほっとする味だ」

「ありがとう」


つい、冷たく言い放ってしまった。シチューは我ながら上手くできた、と内心思う。水の量がよかったのかとろっとしていて、にんじんの甘みと、ルウの若干の塩気がいい味を出している。温かいシチューが胃の中を通っていくと、父さんとのわだかまりもなんとなくほどけていくような気がした。野菜サラダも作っておけばよかったかと後悔する。


風呂に入り、リビングで宿題をしていたところで母さんが帰ってきた。父さんを見て固まり、持っていたバッグを床に落とす。


「陽平!」


母さんは聞いたこともないような高い声で叫んだ。


「みゆき、帰ったぞ」


父さんは立ち上がると、母さんと抱きしめ合っていた。


「会いたかった、会いたかった、会いたかった・・・・・・」

「俺もだ。俺も会いたくて仕方がなかった。忘れたことなんかなかったよ」


母さんは肩を震わせていた。そうして今度は二人で泣き始めた。


俺の出番はないので、シチューを温め直して母さんのために用意する。母さんのお腹が鳴って、父さんが笑った。


「陸が作ったシチュー、早く食べたほうがいい」

「うん・・・・・・」


母さんは目に涙を溜め洗面台に手を洗いに行く。二人のやりとりを見て、父さんも別に、家族を見捨てたわけではなかったのだなと思う。もちろん、置き手紙に『必ず帰ってくる』とあったけれど、どこまで信じていいのかわからなかった。


ただ、不倫だとか新しい家族ができたとかそういうことを疑ったことは一度もない。それは、父さんが毎日のように疲れ切った顔をしていたのが印象的だったからだ。


母さんがシチューを食べて風呂から出ると、三人でリビングのテーブルに座った。


既に零時を過ぎている。


「もうずっと家にいるのよね?」

「ああ。もう、出て行ったりしない。話は今日にする? それとも明日にする?」


母さんと顔を見合わせた。母さんの顔色は相変わらずだ。


「零時過ぎているし寝たほうがいいんじゃない?」


言うと母さんが頷く。


「明日仕事を早めに切り上げて、それからじっくり聞くことにするわ」

「俺もバイトだけど・・・・・・」

「なに、陸はバイトをしているのか」

「最近始めたよ。じゃあ、俺は休むね」

「あっ、陸」


父さんに呼び止められたので俺は振り返る。


「日付が変わってしまったけど、おまえ誕生日だったな」


言って鞄からなにか取り出すと、箱を渡された。


「なにこれ」

「開けてみろ」


言われたとおり包みを剥がし、箱を開ける。ベルトの茶色い腕時計が入っていた。


「こんな高そうなの・・・・・・」

「いや、そこまで高くないよ。五千円くらい」


俺にしてみれば、五千円でも高い。バイト約五時間分だ。


お礼を言って部屋に入ると、早々に寝ることにした。

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