第45話
「陸、陸ぅ」
「な、なに」
じりじりと近づいてくるので俺は後じさる。
「陸・・・・・・ごめん、ごめんなぁ。随分長いこと留守にして」
急にその場に泣き崩れた。会うことがあったら恨みも文句もぶつけてやるとそう思っていたけれど、泣いている父さんを見ていたらそんな気持ちはなくなってしまい、黙って泣いている様子を見つめていた。
どうやら父さんは部屋の掃除をしていたらしい。そうだ。ここは父さんの書斎だった。
時々手入れはしていたが、隅々まで掃除をするのは大晦日の時だけだ。
「成長したなぁ。五年前はまだ小さかったのに」
涙を流しながらそんなことを言う。随分と痩せてはいたが、髪は綺麗に整い、目にも力がある。最後に見たときの死にそうな父さんではなくなっていた。
「今までどこに行っていたんだよ。どこかで死んでいるんじゃないかって、ずっと心配していたんだぞ」
「本当にごめんなぁ」
「話は母さんが帰ってから聞くよ。俺、シチュー作るから。父さんも食べる?」
父さんは涙を拭き頷く。共にリビングへ降りる。スタンガンをこそこそとしまい、携帯もトップ画面に戻して鞄に入れた。
「いつ帰ってきたの」
落ち着かせるために緑茶を一人分淹れる。
「夕方にね。この家があってよかった。なくなっていたらどうしようと思っていたんだ」
「母さんに家を売ろうと話したこともあったよ。でも、母さんは父さんを信じてこの家を売らずにずっと待っていたんだ」
父さんの話をしなかったのは母さんとの間で暗黙のルールになっていたけれど、ずっと信じていたことだけは俺にもわかっていた。
台所に材料を並べると、玉ねぎを剥き、レンジに入れて包丁を水にさらす。
「お前、料理なんて作れるのか」
「四月から友達に教わっているんだよ」
じゃがいもの皮を剥き、芽をとって一口サイズに切る。そうか、三人なら、少し多めに作らないと。じゃがいもは一個しか買っていない。にんじんと玉ねぎは冷蔵庫に四分の一あったものを足す。
なんか、背後で父さんが見ていると思うと気まずい。それに、言いたいことはたくさんあるはずなのに、なにを話していいのかまるでわからない。他愛のない話題を振ろうかと考えるが出てこない。野菜を切る音だけがリビングに大きく響いている。
野菜を切り終えると、鍋に油を敷いて肉を焼き、多めに水を入れた。そのまま切った野菜を鍋に入れた蓋をする。
ここまで沈黙。
「母さんは?」
「会社。連絡一度もとっていなかったの? 今日帰ってくることも?」
「携帯は持たないようにしていたんだ」
「俺も何度かメールしたんだぞ。そのたびにメールが返ってきて」
「ごめん、家を出たあと解約していたから・・・・・・」
父さんは申し訳なさそうに俯く。
「連絡手段、なにも持っていなかったの」
「朝、公衆電話から家の電話にかけたんだが」
「それ、何時頃だよ」
「八時半」
「その時間なら、母さんは会社で俺は学校だよ」
「そうだったのか。それはすまなかった」
「俺と母さん、どんな暮らしをしていると思っているの」
「・・・・・・わからない」
苛立つ。うちの事情をまるでなにも知らない父さんに。急に帰ってきてなんなんだよ。連絡手段くらい持っておけよ。そう文句を言いたくなったが、泣いていた父さんを思い出して黙っていた。
「母さんが一生懸命働いているんだよ」
「そっか・・・・・・」
帰ってきて嬉しいかというと、よくわからない。今まで母さんと二人で頑張ってきてそれが当たり前になって、高校生活も上手く回り始めていたから今更帰ってこられてもなんなの、という気持ちにしか今のところならない。むしろ邪魔という思いさえある。でも多分事情を聞けば、また気持ちに変化が出るだろう。
「お。いい匂いがしてきた」
「・・・・・・・・・・・・」
浮いた油やアクを取り、三十分ほどして、おたまでじゃがいもをすくい菜箸を通す。
柔らかくなっていた。
野菜に透明感が出ている。火を止めてルウを全て入れた。二人分なら半分でいいかと思っていたけれど、三人分だから水を多めに入れているし、ルウを全て入れたほうが味が濃くなる。
それからひと煮立ちさせて、牛乳を入れてみる。お。ますます白くなった。かき混ぜてグリーンピースを入れる。グリーンピースを入れたことで、彩りがよくなる。
ご飯の炊ける合図がしたので、俺は父さんの分を皿に盛り、差し出した。
既に午後九時近くになっている。
「美味そうだ」
俺も自分の分を持って、父さんと正面に向き合う。
「母さんはまだ帰ってこないのか」
父さんは左右を見回している。
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