第42話
これまた話したことのない香川君が近づいてきた。
でも、昨日ちゃんとバイト先に来てくれた子だ。もう一人、静かに自分の席に座っている女子の加原さんも、売り上げ貢献に来てくれた。
「二人とも昨日はバイト先に来てくれてありがとう。店長が売り上げ伸びたって喜んでいたよ」
「ならよかった。食べ物も美味しかったよ」
加原さんが笑顔を作る。
「それはいいんだけど、今日狭山に呼び出し受けていただろ? 俺見たんだけど」
香川君が言う。
「うん、受けた・・・・・・午後五時に調理室へ来いって」
「それ俺も言われているんだけど。スマホで呼ぶからって」
「えっ、なんだろうね」
俺は振り返り加原さんに呼びかけた。
「ねえ、加原さんも呼び出し受けた?」
「うん。私は菊池さんから受けたよ。やっぱりスマホで連絡するって」
加原さんが静かに席を立ち、俺のもとにやって来る。
「特にすることもなかったし時間もあるからOKしちゃったけど、気になるね・・・・・・」
沈黙。三人の影が、教室に長く伸びている。
「誰もどんな用かって伝えられていない?」
訊ねると、香川君も加原さんも頷いた。
「心当たりは全くないよ。一体なんの用なんだろうね」
加原さんが不安そうな表情になる。
「そういえば加原さんも香川君も部活をやっているんだっけ」
俺は大きく話題を変えることにした。一年四組料理部を発足したとき、部活があるといったのが加原さんだ。あと香川君も。
立っているのが疲れたのか、香川君は蓮の席に腰掛けた。
加原さんも隣の椅子に腰をかける。
「うん。私は手芸部」
「手芸かぁ。縫い物ができるなんてすごいね。うちは母さんがからっきしで。どんな作品を作っているの」
「ぬいぐるみが多いかな。男子もいるよ」
俺も母さんが不器用なおかげでひととおり縫い物ができるようになったけれど、流石にぬいぐるみまでは作れない。
「へぇ、そうなんだ。香川君は?」
「俺は映像部。三年生が主に自主映画を作っていて、一年は雑用とエキストラ。サボってもあまり文句言われない緩い部活だよ。真面目に出てはいるけど」
映像部か。楽しそうだ。そういえば、入学当時は中学の時のトラウマと、白米弁当をからかわれるのが嫌だという思いでいっぱいいっぱいで部活に入ろうなどと考えたこともなかった。今から思えば、そんな部活をする生活もよかったかもしれない。
でも、部活に入ったらバイトなんてできなくなるわけで、やっぱり今のほうがいいかなと考え直す。
それから俺たちは色々な話をして時間を潰した。どこに住んでいるとか、趣味とか、好きな芸能人や音楽とか、他愛のない会話だ。
テレビはほとんど見ていないので、相槌を打つか、知らない芸能人のことを訊ねたりする。三人しかいない教室はどこか寂しさを抱えながらも居心地がよくて、ゆっくりと時間が流れていく。
途切れることなく長く話を続けていると、午後四時五十分になった。
俺の携帯が鳴る。
『調理室へ来てください』
加原さんと香川君のスマホも音を立てた。
「そろそろ行こうか」
加原さんが立ち上がった。俺も席を立ち、三人で調理室のある三階まで行く。
なにやら香ばしく、甘い香りが漂っている。
「すごくいい匂いがするけど・・・・・・」
俺は調理室の扉をスライドさせる。
瞬間、パァンという音があちこちから聞こえてきた。
「誕生日おめでとう!」
一斉にそんな声が聞こえる。誕生日? えっ、誕生日?
弾けるような音はクラッカーだったのだ。クラッカーから飛び出た青色の紐が俺の腕にかかる。ほんのりと火薬の香りもした。
「そうだ。俺、今日誕生日だ・・・・・・」
自分の誕生日であることをすっかり忘れていた。
加原さんと香川君を見る。二人は首を横に振った。
「私今日誕生日じゃないけど・・・・・・」
「俺もだよ」
香川君が不思議そうに言う。すると蓮が笑った。
「今日は陸の誕生日だけど、その前に四月生まれ、五月生まれの子たちもまとめて祝っちゃおうと思ってな」
「えっ、俺蓮に誕生日教えたっけ」
「生徒手帳に書いてあった」
ああ、と思い出す。
生徒手帳を落として蓮が届けてくれたとき、しっかりと誕生日も見ていたのだ。
「これはやられた・・・・・・」
「でも私は誰にも――あっそういえば」
加原さんも香川君も心当たりがあったのか、思い出したように目を見開く。
「そういえば入学式のあと、高梨から誕生日聞かれたわ。おまえ、男子全員分の誕生日記憶しているだろ」
香川君が言うと、蓮は頷いた。
「私も菊池さんに誕生日教えたことある」
「菊池さんから俺が聞いたんだよ。とにかくおめでとう」
蓮が拍手をすると、その場で拍手が沸き起こった。
クラス全員揃っている。部活のある子もクラスの用事があるからといって昨日も今日も休んでくれたらしい。
「今日はお祝いにケーキを作った。スポンジは市販のやつだけど。あと買ってきた菓子やジュースを並べてある。好きに食べてくれ」
隅には広瀬先生がいた。
調理台には、手作りと思われるホールケーキが、四つ置かれていた。
「三人とも、そんな出入り口のところにいないでこっちに来なよ」
潮崎さんが遠くから呼ぶ。俺たちは、潮崎さんのところへ行くことにした。
「改めて十六歳の誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「悟られないように準備するの大変だったんだ」
「いつそんな相談していたの」
全くそのような素振りも気配も感じられなかった。
「野本君のバイト先からの帰り道。高梨君の提案でね」
「え、あの時」
「うん。みんな色々買ったあとで、少しだけ待ち合わせしていたから。それから連絡をしあったりして・・・・・・」
きっと俺たち三人のいないところでみんな一生懸命動いてくれたのだろう。
「今日はみんな一斉にいなくなるからびっくりしたよ。それで五時まで待っていろっていわれて、加原さんも香川君も俺も心細かったよ」
「へへ。驚かせようと思って」
「ありがとう」
加原さんがようやく笑顔になった。菊池さんがすかさずジュースを持って来て紙コップに注ぐ。寂しかった教室から賑やかな調理室へ。みんなのざわめきに安心感を覚える。
「ケーキ切り分けるから。食べて食べて」
香川君は竹中君や横長くんのいるほうへ行き、ふざけ始めた。
ケーキには白い生クリームにイチゴが載せられている。生クリームはふわふわしていて、見ているだけでもとろけそうだ。
「作るの大変だったんじゃない」
「そりゃ、大変だったよ。みんな昨夜と朝に買い物して、作る時間は二時間しかないし。超特急で作った。冷やせればもっとよかったんだけどね」
狭山さんが、はい、とケーキを紙皿の上に載せてくれた。菊池さんが、広瀬先生のもとへも持っていき、なにか会話をしていた。
「ありがとう」
真っ赤なイチゴがみずみずしく新鮮で、甘い。
「できたてうめえ」
ケーキとはこんなに甘く、柔らかく、優しい味がするものだっただろうか。やはり小四の時から食べていないから、もう味を忘れかけていた。
「できたてってなんでも美味しいよね」
菊池さんは肩を叩く。みんな各々、ケーキを切り分けて食べ始めている。
蓮が教壇の前に立ち、言った。
「今日は三人の誕生日を祝っているが、これから毎月一回、このクラスの誕生日を迎えるクラスメイトを祝おうと思う。来月は六月だから、六月生まれの人」
はいはいはい、と青木君が手を挙げる。伊藤さんも六月生まれらしい。
「でもなんて急にこんなことし出すんだよ」
渡辺君が言った。
「俺はこのクラスを楽しいものにしたい。いじめとかそういうのは嫌なんだ。それにクラスメイトみんなを祝うほうが、クラスも盛り上がるだろ。それに料理ばっか作るより、お菓子も作ったほうが楽しいだろうが」
蓮はもしかしすると、色々とクラスを気遣っているのではないだろうか。よりよいクラスにするために。こうして月に一度誰かを祝うことで楽しみも増える。来月はきっと、俺もお菓子作りに参加させて貰えるのだろう。
お菓子なんて作ったことがないから、どんどん学んでいかないと。確か料理よりもお菓子のほうが大変なんていう話も聞く。
「誕生日、祝ってもらうのも久しぶりだ。みんなありがとう」
思わず言っていた。一瞬静まりかえるが、すぐにざわめきが広がる。
本当に毎日がいい思い出となって過ぎ去っていく。カメラを持っていないから、頭に刻みつけておかなくては。香川君や加原さんも、すごく楽しそうだ。
「料理も用意したかったんだけど、流石に時間がなくてな」
蓮は頭を掻いた。
「これで十分だよ。ありがとう」
俺はケーキを食べ終えると、ウーロン茶で口直しをすることにして、蓮に近づく。
「誕生日の準備、ありがとう」
「いいってことよ」
「まさか生徒手帳から俺の誕生日を見て、これを計画したの」
「うん。それもあるけど、クラスのためになにかできないかなぁってずっと考えていてなぁ。で、考えたのがこれ。みんな楽しそうなのが一番だ。ギスギスしたクラスより、楽しいクラスのほうがいいもんな。まあ、うちのクラスは最初から、いい子ばかりだけど」
「そうだね。それで、蓮の誕生日はいつよ」
貰いっぱなしだ。蓮の誕生日にも、なにか返さなくては。
「俺は十一月三十日。まだまだ先よ」
本当に先だ。せめて来月か七月なら、蓮のためにすぐになにかできるのに。
秋生まれなのが、ちょっとだけもどかしい。
「ケーキも蓮が指示したの」
「そそ。まあ、俺もお菓子作りはあんまり得意じゃないんだけどな」
「でもこんなことして、家族や葵ちゃんとはちゃんと話し合えているの」
「うん、葵は決めたら聞かないし。家族もちゃんと葵を支えているよ。だから俺の家のことは気にしなくていい。とはいってもこれから陸にも厄介になるけどな」
「はは、自信ないけど任せて」
俺は近くにあったビスケットを食べた。
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