第38話
スーパーで刺身のかんぱち八枚入りをカゴに入れ、冷凍食品、鮭、野菜、ミョウガと三つ葉、顆粒タイプのかつおだしも買う。
明日の朝は、卵と、贅沢にウィンナーでも焼こう。こんなふうに贅沢をしていたらあっという間に一万はなくなるか。
でもバイト代が入ったお祝いに。そんなことを思いながら帰って台所に立つと、炊飯器で早炊きをしてまずは以前潮崎さんが作っていたベビーリーフのダサラダを作る。
トマトを細かく切って混ぜ合わせ、粉チーズを振るのだ。そういえば、うちにはドレッシングらしいものがない。サラダは大抵マヨネーズか塩で食べていた。なにもかけない日もあった。粉チーズと塩を少々ふりかければそれなりの味になるだろう。
かんぱちを食べやすく一口サイズに切って、醤油につけて冷蔵庫に入れる。三つ葉を洗って切り、ミョウガも薄く切ることにした。
出汁。これがこの料理の命にかかわるといっても過言ではない。
顆粒かつおだしを鍋の中に入れ、塩と醤油で味をみていく。塩で味がはっきりしてくると、火を細くして湯気が立つまで待つ。
三十分くらいで作れてしまいそうだ。
こんな風に早くご飯を作っても、母さんが帰ってくるのは十一時過ぎ。父さんは多分、ブラック企業に勤めて心を病んだのだろう。そこまでは推測ができる。それでどういう心の変化があって家を出たのかが全くわからない。母さんも病まなければいいけど。
ご飯が炊けたので、数分蒸らし、三色そぼろを作ったときのミニどんぶりにご飯を中央が盛り上がるような形に入れる。それから醤油漬けしたかんぱちを乗せ、三つ葉にミョウガをくわえると、ボリュームが出た。出汁をかけると香って食欲が出てくる。
俺は誰もいないリビングで、一人で食事をする。かんぱちに醤油と出汁がきいていて喉に通りやすい。ミョウガが蓮の言ったとおり絶妙だ。これは本当に、教えてくれた蓮に感謝だ。母さん、喜んでくれるだろうか。刺身としても食いたい。
風呂に入って、宿題をすることにした。全教科、二年の予習をそろそろ始めたい。バイト代で参考書も買ってみるか。お金があると、不思議と心にも余裕が出てくる。明日のバイトも頑張ろう。
母さんが帰ってきたのは零時過ぎだった。ますます遅くなっているじゃないか。
俺は内心腹立たしい気持ちで母さんを出迎えた。母さんも心なしかピリピリしている。
「遅すぎない?」
「うん。仕事が終わるとまた持ってこられて。私も今日は流石に困ったわ」
このままだと零時過ぎに帰ることが当然のようになってくるかもしれない。
「思い切って会社変えたほうがいいよ。また倒れるよ」
「だけど今すぐ辞められないし・・・・・・」
「正直俺、母さんに仕事変えて欲しい」
「そう言っても次探せる環境にないし」
確かにそうだ。こんな時間まで仕事なら、面接に行っている暇もない。
でも、じゃあずっと低賃金でボーナスも残業代も出ないところで酷使され続けるの?
言い返そうと思ったが理性が止める。俺一人で腹を立てていても喧嘩になりそう。これ以上はなにも言わないことにして、かんぱちのお茶漬けを母さんの前に出す。
「なにこれ。疲れて食欲なかったけど、これなら食べられそう」
母さんの雰囲気が急に柔らかくなった。頂きますといってスプーンで出汁をすする。
「胃に優しいわね。ミョウガがこのお茶漬けとよく合うわ」
食べられるのならよかった。お茶を飲んで一息つくと、母さんは言った。
「もしかして、今日給料日だった?」
「うん。バイト代入ったよ」
「だからかんぱちなんて買えたのね」
母さんは言うと、再び二万円を俺に渡す。
「母さんも今日給料日だったのよ。これ、三千円は小遣い、あとは食費に使って。いつも助かっているから、少し多めに渡しておくわ。学校やあんたの生活でなにか必要になったらこれから出して」
食費が上乗せされただけでも助かる。
「ありがとう。大事に使わせて貰うよ」
「ごめんね。食費を切り詰めるのは間違いだったと最近後悔しているの。最近いろいろなものを食べているおかげで体力が全然違う。それがよくわかる。中学の時だってあんた育ち盛りだったのに。白米弁当ばかりで本当にごめんね」
「気にしないでよ」
「お母さんも最近は栄養のいいものを食べているせいか、前に比べて貧血が少なくなった」
「え、貧血なんて起こしていたの?」
「ええ。悟られないように起きても黙っていたけど」
「言えよ」
「言ってもどうにもならないでしょう」
俺は何度目かの溜息をついた。栄養が足りなくて体調、ずっとよくなかったんだ。
なんで俺、気づかなかったのだろう。そういえば俺も中学の時は倒れそうになることが度々あった。そのたびに足を踏ん張って、倒れまいと頑張っていたけれどそれが栄養不足だとは思っていなかった。似たもの親子。食生活はきちんとしないと。
母さんはすぐに風呂に入り、髪を乾かすと眠ってしまった。
俺も後片付けをすると、すぐに電気を消して布団に入る。
栄養はともかく母さんの勤めている会社に対する苛立ちは、どこへ向ければいいのだろう。
翌朝は鮭を半分に切ったものを四つ、チーズを乗せて焼いてみた。朝ご飯用とお弁当用だ。それから昨日作ったベビーリーフのサラダ。
ウィンナーも焼いてみる。香ばしいウィンナーの香りと鮭の香りがリビングの中にミックスされている。グリルが音を鳴らすので開けてみると、チーズに焦げ目がついていた。美味しそうだ。まずは丸くて茶色い線の入った皿にベビーリーフと、いい色具合になった焼き鮭、それからウィンナーを乗せる。
「陸、ちょっと料理のスキルあがったんじゃない?」
皿の中を見て、母さんが言う。
「うん。これからもどんどんあげていくよ」
鮭のチーズ乗せは最高だ。チーズに鮭が絡みついて、思わず笑顔になる。
母さんも幸せそうに食べている。料理を作ったとき、母さんの幸せそうな顔を見るのがなによりの報酬だと思うようになった。食で和やかな雰囲気が流れるのならば、これ以上幸せなことはない。
弁当箱には、チーズ乗せ鮭とウィンナー二つ、冷凍食品の根菜の和え物、ご飯をなるべく彩りが綺麗になるように入れる。そうして大きめのハンカチで包むと母さんに渡した。
「ありがとう。助かる」
言って母さんは急いで出て行く。どれだけ食を改善しても、顔色がよくならないのは多分、過労のせいだろう。
母さん不器用だから、会社でも色々とミスをしているのだろうか。怒られることもあるだろうし理不尽にも耐えているのかもしれない。なにも話してはくれないけれど、顔色の悪さから、そんなことが簡単に想像できる。
嫌なことがあっても、息子の前ではほとんど愚痴の一つもこぼさない。
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