第37話
卵が特売だと安心する。十個入りで結構な日数、卵料理を作れるからだ。
朝ご飯を目玉焼きと昨日バイト先から貰ったごまとなすのサラダを添え、三色そぼろを作ってみる。弁当箱に入れた白米を冷ます。卵をぽろぽろにしたものとわさび醤油の小松菜、もう一袋残されていた桜でんぶ。肉はないけれどなんとか力をつけて欲しい。
四角い銀色の弁当箱にピンクのでんぶを中央に配置し、右側に小松菜、左側にぽろぽろにした卵を乗せる。これで弁当は完成。もっと色々なものが作れるようになるといい。
蒸し暑くなってきたけれど傷まないだろうか。心配になるが母さんはまた喜んでくれた。
今日は七分袖のオフィスカジュアル。やはり右腕に火傷の跡が見える。本人は全く気にしていないようだけれど、少し心が痛む。女性の肌に治らない傷や痕があるのは、なんとなく見ていられないのだ。
母さんを見送り学校へ行くと、蓮の席に、既に人だかりができていた。
「蓮!」
俺は笑顔で近づく。蓮は集団の中からひょっこりと顔を出し「よう」、と言った。
その元気そうな顔を見てほっとする。
「その後、どうなった」
俺も鞄を机の上に置き、集団の中に混ざる。
「様子見かな。両親が激怒したのをフォローして納得して貰った。葵はしばらく学校に行かないって。今日は休んでいる」
「そっか。あんなことがあったあとで、無理に学校行かせてもね」
「そだな」
「葵ちゃん、学校で本当に辛い思いをしていたんだろうね。お兄ちゃんがいてよかった」
佐伯さんが言う。
「よっ、お兄ちゃん」
横長君が冷やかすように言う。
「お兄ちゃん」
それぞれが口にし始めた。
「やめろって」
蓮は胸元で手を上下にふる。俺はノートを渡した。写し始めたので、みんなは散り散りになる。一年四組料理部は、まだしばらく休みだな。でも、キャベツの千切りも上手くできるようになってきた。煮物の作り方も今ではわかる。なんとかなるだろう。かんぱちのお茶漬け、自分で作ってみようか。
あ。そういえば今日は、十五日。バイト代が入る日だ。忘れていた。
青木君が横から言った。
「野本君、なんかいいことでもあった?」
「いや、今日バイト代が入る日なんだよ」
するとクラスから歓声が上がった。よかったな、と声があちこちから聞こえる。
「ありがとう。これもみんなのおかげだよ」
「なーに照れくさいこと言っているんだよ」
「だって本当のことだよ。伊藤さんがすすめてくれて、みんなの応援があってバイトができるようになったんだから」
「今度お店行くよー、売り上げ貢献」
伊藤さんが手を振った。
「はは、じゃあ俺は暇なときに伊藤さんのカラオケ店に行こうかな」
カラオケ、機械さえ扱えないかもしれないけれど。
俺もバイトしようかなー、などと男子たちが言い始めた。クラスでバイトをしているのは、どうやら俺と、伊藤さんだけらしい。
昼休みになると、蓮は三段重ねの重箱を取り出した。
「今日は家で作ってきた。みんなに妹の件で世話になったから、食いたい奴は食え」
言って、おせちとは異なるけれど、おせち料理かと思えるほどの豪華なお昼ご飯を出す。そして紙皿も持って来ていた。
「いいの? じゃあ、頂くわ」
長谷川君が寄ってきた。それに釣られてクラスのほとんどの子が寄ってくる。
「じゃぁおれ、唐揚げ頂き」
「俺はかまぼこと、丸いおにぎり貰おうかな。上手そう」
「私は煮物いい?」
「おう、みんな食え。陸も食え」
蓮は丸いおにぎりと卵焼き、かまぼこ、唐揚げ、カニの押し寿司、大根のサラダなどを紙皿に盛ってくれた。蓮も自分の分を取り分けている。
「ありがとう。食べきれないよ」
「残すなよ」
「うん」
流石に残してしまうのはもったいない。
うめえっ、という声も、あちらこちらから聞こえた。三段重ねの弁当は、瞬く間にほとんどなくなる。
「野本、お前こんな美味いものいつも独り占めしていたのかよ」
竹中君が羨ましそうに言う。
「うん、そう。独り占めしてた」
自慢げに言うと、クラスからブーイングが起こった。そしてそのあとに爆笑が起こる。
ブーイングも、本気というわけではなかったのだろう。このクラスには笑顔が多いし、いじめもないし、みんな優しい。
まだあまり話したことのない子たちもいるけれど、この学校は三年になるまでクラス替えがない。少し気が早いけれど、来年の修学旅行、このクラスで行きたいな。中学の時は切り詰めようと思って、自ら行くのをやめた。
行きたかったけれど行ったところで、楽しい思い出は作れなかっただろう。でも、高校の修学旅行はいい思い出が作れそうだ。バイト代を貯めて、来年は必ず行こう。目標ができると、バイトもますますやる気が出てきた。
放課後になると、蓮と数人のクラスメイトが俺のあとをついてきた。
「えっ、みんななんでついてくるの」
「鞄の中に通帳があるのが見えたぜ。記帳するつもりだろ」
渡辺君がニヤリと笑う。
「そうだけど・・・・・・」
「みんな、歴史的瞬間を見たいんだよ」
青木君が言った。
「なにそれ」
「クラスメイトの初バイト代が入って、その喜ぶ顔を見たいってこと」
「ますますわけがわからないよ」
銀行に入る。給料日の人が多いのか、結構混んでおり、列ができていた。みんなは銀行の外で待っている。きっと、貧乏な俺の様子を、みんな気にしてくれているのだろう。そう思うことにした。十分ほどして順番が回ってくると、残高照会をしてみた。
「うっ・・・・・・」
声が漏れる。隣の人が見てきたので慌てて黙る。うっれしい! そう叫びそうになるのを必死にこらえる。小遣いの何倍ものお金が入っている。
締め日までに働いた日数は少ないから、まだそれほどじゃないけれど、これは来月が楽しみだ。一万円ほどおろして銀行を出ると、みんなが笑顔で待っていた。
「ホクホクか?」
蓮が訊ねる。
「ホクホクだよ。これで食費を心配しなくてすむよ」
「やったああああ!」
バイトが決まったときのように、クラスの子たちは自分のことのように手を挙げたりして喜んでくれている。こんなに恵まれたクラスにいて、いいのかな。
不安になりながらも、俺は感謝の気持ちで一杯になった。みんなすることだってあるだろうに、こうして純粋に応援してくれているのだ。
「ありがとう」
それから俺は、蓮に向かって言った。
「これからはお弁当、自分で作ってみるよ」
「え。大丈夫なのか」
「うん。蓮から色々教わっているし、冷凍食品を使えば俺でも作れそうだから。今まで俺の胃袋支えてくれてありがとう」
「残念。結構楽しかったんだけどな、お前の弁当作るの」
蓮のお弁当は絶品だったから本当は毎日作って欲しい。でもこれ以上甘えるのは悪いし、母さんにも作りたい。今日のご馳走を最後にしよう。
「マジで作らなくていいの。本当に」
う。だからこういうのに弱い。なんだか蓮は寂しそうで、とても作りたそうな顔をしている。よほど料理が好きなのだろう。
「じゃ、バイトで疲れたときは連絡するからたまーに作って」
言うと満面の笑みを作る。
「わかった、任せろ」
またヒューッと誰かが冷やかす。
「そういえばさ、かんぱちのお茶漬けってどうやって作るの」
「かんぱちを醤油で味付けして、出汁をとればいいの。出汁は、顆粒の鰹だしが売っているからやっぱ醤油と塩で味を調えて。トッピングにミョウガと三つ葉がおすすめ」
「そうなんだ。今日作ってみる」
俺は笑顔で言って、蓮やクラスメイトたちと別れた。
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