第36話
病院の皮膚科へ行き受付で事情を話すと、許可を得て奥村さんの財布から保険証を取り出す。
看護師が質問していき代わりに問診票を書いていく。
奥村さんは肩までの髪に、緩めのパーマをかけている。雰囲気の柔らかい人だ。俯きながら、濡らしたタオルで右手を冷やしていた。かなり痛むらしい。
「大丈夫ですか」
「はい、すみません。私、とても手先が不器用なんです。なにをやっても上手くいかなくて。みんなにもいつもご迷惑を・・・・・・」
なんだか母さんと被るなぁ。
「奥村さんは、いつからゼックに?」
「一昨日から働き始めました」
「俺も先月入ったばかりで、まだ慣れないことも多くて。大丈夫ですよ、みんな優しいですから。誰も責めたりしないと思います」
「でも、しばらくは仕事ができません・・・・・・」
ますます泣きそうになる。なんといって慰めていいのかこちらもわからなくなってしまった。沈黙が続き、三十分ほどして名前を呼ばれたので、診察室へ行く。医師は全治二週間程度の火傷を負っているということで、処置を施すと、奥村さんの右手を包帯でぐるぐると巻いた。痕は残ってしまうかもという話だ。
火傷の痕を綺麗に治す薬でも開発できればなぁ。そういう薬があれば、女性にとっては嬉しいだろう。男性もだけれど・・・・・・。前田さんの腕を思い出す。
「しばらく右手は使えませんが、安静にして一週間後にまた来てください。塗り薬も出しておきます」
一緒に診察室を出る。会計を済ませると、病院を出て薬局へ向かう。
「全治二週間だと、生活も不便ですね。大学も大変じゃないですか」
「はい。私、大学で化学の勉強をしているんですけど、そこでもたまに化学反応で火傷をしてしまったりして・・・・・・向いていないんじゃないかって最近思っているんです」
「化学?」
「はい。将来薬の研究をしたくて」
なんだか少し親近感。
「俺、化学や薬に最近興味が出てきて。今日前田さんやあなたの火傷を見て思ったんです。火傷の痕を治す薬が作れたらいいなぁって。母にも治らない火傷の痕があって」
「そうなんですか?」
「はい。これまで漠然と考えていたやりたいことを、奥村さんが気づかせてくれました。これからは色々な化学の話、教えて頂けると嬉しいです」
奥村さんは初めて笑顔になる。
「少しでも役に立てたのなら、この火傷も無駄じゃなかったですね」
「いや、火傷はしないほうがいいですよ。早く治るといいですね」
「はい」
年上に敬語を使われるのも変な気分だ。仕事場で俺のほうが少しだけ先輩だから丁寧な言葉遣いになっているのだろうけれど。薬局から戻ると吉村さんと前田さんがこぼれた油を全て片づけ、新しく揚げ物を作っているところだった。
「奥村さん、どうだった」
「すみませんこのとおり、全治二週間の火傷です」
「わかった。じゃあ二週間休んでいいよ」
「えっ」
「大丈夫、クビにはしないと店長に俺から言っておく。でも、治って出られそうなときになったら電話ちょうだい。その時はしっかり働いて貰うよ」
「はい・・・・・・」
「今廊下滑るから気をつけてね」
「・・・・・・・・・・・・」
奥村さんはしょげたふうに帰って行く。なんだか放っておけない、可愛らしい人だ。
三木さんと吉村さんはベテランなだけあって頼もしく、流石に揚げ物売り場のプロという感じた。俺は結局七時から地獄のレジに回された。
午後九時になり、バイトを終える。今日はマグロの唐揚げが残っていたので、それとサラダ、ねぎとろの太巻きを頂くことにした。
最近は歩いて帰っている。
帰り道にふらっと立ち寄ったスーパーで、卵が特売になっていたので購入。
蓮からは明日は学校に来られるとメールが来ていた。帰っても暗い家は、少しばかり憂鬱になる。
先に風呂を沸かして入ることにした。母さんは相変わらず十一時過ぎに帰ってきて、一緒にご飯を食べる。朝作ったお弁当は好評だった。俺は弁当箱を洗い、母さんが寝ると、ノートパソコンを借りてリビングで調べ物をする。
将来のことは、蓮の話を聞いて触発されているというのもあった。だが本当に強く薬とかかわる仕事に就きたいと思ったのは、今日前田さんと奥村さんの火傷を見てからだ。薬の研究をしてみたい。どんな求人があるのか見てみよう。
ただ研究職となると、大学院修士課程まで行くことがほぼ必須条件となる。なら諦めて事務職でもと少し思ったが、製薬会社はほぼ大卒が条件だ。高卒で薬と関われるところが見た限りではない。
なら、今よりもう少しシフトを入れて三年までバイトをして、大学へ行くための費用を貯めるか。国立大を狙えばなんとか費用は抑えられる。
三年になってもバイトしながら勉強できるか? 受験の。それで、費用は足りるか。ざっと計算してみれば、国立大で一年目の学費ならなんとかなりそうだ。だけどそうなると一年四組料理部どころじゃなくなる。否、無謀だ。大学の学費なんか払えない。いくらバイトを頑張ったとしても、そう上手くいくわけがないのだ。
大学はやっぱり、どう考えても無理だ。
諦めることにして、進路は保留にしておくことにした。
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