第30話


「ああ。そのクラスメイトは学校で毎日じゃなくても給食を食べていたから、なんとか助かったらしいけど、兄妹共々、食事を与えられていなかったらしい。そいつ、休んでいる日は妹の面倒を見るように親から厳しく言われていたらしく、でも冷蔵庫には食料がなかったって。食べ物を買いに行くお金も与えられていなかった。それで両親は毎日のように外食していたらしい」


「それって虐待じゃん」


身を乗り出していた。生々しい事件は希につけるテレビで見たりもするけれど、身近な人から話を聞くと胸が締め付けられそうになる。


「そう。育児放棄タイプの虐待。親は捕まってニュースにもなったかな。学校休ませて妹の面倒を見させ、食事を与えられなかったと知ったのもニュースで。事件後、学校は騒然としていた」


「それでその子は・・・・・・」


「親戚に預けられることになった。あの時見た死体がずっと、今も頭から離れなくなってなぁ。信じられなかった。世の中お店の食品が捨てられてしまうほど溢れているのに、親から食べさせて貰えない子がいるんだって思ったら、子供心に強烈に悲しくなった。それから成長するにつれて料理に目覚めたのと、食に困っている人を見ると放っておけなくなったんだ。同時にうちがどれだけ恵まれているのかもわかったよ。両親がちゃんといて、働いて、ご飯を食べさせて貰える。こんな当たり前と思っていたことが、当たり前じゃない家庭があるんだって思い知った。しかもそんな子が、すぐ近くに住んでいたんだ」


料理人を目指すのに、こんな重い背景があったなんて。子供が死体を見るなんて衝撃的なはずだ。いや、多分誰でもそうだろうけれど。きっとかなりショックを受けて、蓮なりに辛い思いをして、長いこと色々と考えてきたのかもしれない。 


「蓮は優しくて強いんだね。親御さんも誇らしいと思うよ」


言うと、照れくさそうな顔をした。


「将来自分の店が持てたら、それとは別に、利益度外視で子供のお小遣いでも買えるような小規模な店も出したいと考えているんだ。子ども食堂的なやつ。綺麗事かもしれないけどさ」


高一でそんなことまで考えているなんてすごすぎる。


「料理はどういう道に進むの。料理人といっても色々いるよね」

「これから変わるかもしれないけど、まぁ調理師免許は取って、一応洋食レストランで働くことを目指している」

「夢、叶うといいな」

「そうだな。陸はなんかあるのか、夢」

「化学が面白いなぁと思うだけで特には」

「化学? そういや頭いいもんな」

「よくないよ、俺バカだよ。生活する知恵が全然回らないし」

「いやいや。トップでうちの高校入ったんだろ?」

「なぜそれを」


驚いて蓮を見つめた。誰にも言っていないのだ。


「あ、黙っているほうがいい? 担任から話を聞いたんだ。答辞読むのを辞退したって。こんなの初めてで職員の間で混乱したって」


入学手続きを終えた後、校長から呼び出されて応接室に招かれ、トップだったことを伝えられて新入生代表の挨拶をしてもらえないかと言われた。


だが、白米弁当が悪目立ちするのに挨拶なんかしたら更に目立つと思って丁重に辞退させてもらったのだ。新入生代表の挨拶は成績が二番だった子がしてくれた。


「勉強ができるのと賢く生きるのは違うなって思っているとこ」

「まあ、それもそうだけどさ。それだけ勉強ができるなら、大学も行けるんじゃね? 大学も首席で入れば学費は免除されるらしいよ」

「うーん、上には上がいると思うし大学で首席は無理そうだよ。一応は卒業したら働くつもりだけど……まだ何も考えてない。みんなには挨拶を辞退した件、黙っておいて」


あまり目立ちたくないのだ。多分もう悪目立ちすることはないだろうけれど、中学の時のトラウマもまだある。


「わかった。担任と二人の時に言われただけで、俺の他に知っている奴おらんから」

「助かるよ」


正直、化学を追求したいという好奇心はある。もう少し言えば、製薬に興味がある。


だが、それは独学で勉強するしかなくて大学は金銭的に無理だろう。


「お。少し味見してみるか」


鍋の蓋がコトコトと音を立てている。蓋を開けると、塩っ気のある香りがしてきた。


小皿で味を見ている。


「そういえば全部目分量だね」

「うん。家庭料理は大体目分量」

「もう感覚でわかっちゃうんだからすごいよ」


まあ、俺もきっちり量らず作っているけれど。


「大事なのは味だから。ちょっと薄いかも。見てくれ」

「オッケー」


ロールキャベツを食べるのも、何年ぶりだろう。もう味を忘れるほど前だ。


棚から小皿を出してお玉でスープを入れる。


「確かに、少し薄いかな。でもこれでいいような気も・・・・・・」

「いや、塩が足りない」


言って、塩を少しずつ足していく。


「これでどうだ?」


もう一度味見をすると、今度ははっきりとしまった味になった。


「これ、いいよ。この味!」

「次は作れるように味も覚えておくといいよ」

「うん」


おにぎりやサンドイッチの味に想像がつくように、こうした手の込んだ料理も、脳に叩き込めば再現されるようになる。のかもしれない。


何度か味見をして、味を覚えるようにする。スープと塩の味のバランスがいい。この味がロールキャベツにも染みるのだ。


火加減を見る。


「中火だ」


蓮は察したのか、それだけ言う。それから再び他愛のない話をして、ロールキャベツは完成した。リビング一面に充満する香りに、よだれが出そうになるのをこらえる。


「今日も教えてくれてありがとう」

「ちゃんと食えよ」

「あれ、蓮は食べないの? 六個も作ったから余るよ」

「俺はいいんよ。余分に作っておけば明日の朝も食えるだろ?」


そこまで考えてくれたのか。ひたすら感謝だ。


「ふふ、休みが明けて、一年四組料理部が再開されたら次はなにを作るのか楽しみだな」

「まぁ、色々考えておくよ。じゃあ、俺帰るわ」


俺はえっ、と動きを止めた。


「せっかく来たのだから、もっとゆっくりしていけばいいのに。これじゃ、料理だけ教えにわざわざ訪問したようなもんじゃん」


蓮と色々なことを語り合いたい。


近くに公園があるからそこに行くだけでも。だが、蓮もがっかりしたように言う。


「すまんな。ちょっとやることがあるんよ」

「そうか。なんか元気がなさそうだけど大丈夫か」

「そう見えるか」

「うん、心なし、だけど。なにか困っていたらなんでも言えよ」

「ありがとう」


帰り支度を始めるので、俺は駅まで送っていくことにした。


午後四時近くになっているが、空はとても明るい。初夏の風を浴びて一人で家に帰る。


別れ際は寂しかったけれど、楽しい一日だった。料理を通してクラスメイトとも仲良くなれているし、蓮との絆も深まっているような気がしている。


蓮が来てくれなければ今日は、勉強をしているだけの自分に嫌気がさした、悶々とした一日を過ごしていたかもしれない。 


そうだ、米、炊いていない。米を研いで炊飯器にセットする。ロールキャベツだけでは足りないと思って水菜サラダを作ることにした。


野菜もたっぷり食べなくちゃ。このゴールデンウィーク中のバイトでは弁当などを持ち帰らせて貰ったけどちゃんと手料理したものも食べたい。


母さんは久々に十時に帰ってきた。せっかくのロールキャベツだ。今日は先に食べず、帰ってくるのを待ってから食べることにした。おなかは空ききっているけれど、なんだか二人で食べたい。俺にできることは、友達に助けられながら母さんに栄養を取らせることだ。


「あら、なんだか食欲のそそる匂いがするわ」

「今日友達が来て、ロールキャベツの作り方を教えてくれたんだ」

「えーっ、これ陸が作ったの」


鍋の蓋をあけて、母さんは香りを味わっている。


「いや、正確に言えば友達がほぼ味付けしてくれた。サラダは俺が作った」 

「まぁ、すごいじゃない。手を洗って着替えたら食べるわ」


俺はガスを使って温め直し、鍋の蓋がコトコトいい出したときに、緑色の線が入った器に入れた。キャベツの緑と、器の緑がマッチして余計に見栄えがよくなる。


「わーい。食べよ、食べよ」


母さんは嬉しそうだ。


ベーコンの巻かれたロールキャベツは中の挽肉がジューシーで、箸で割ると肉の中に染み込んでいたスープが肉汁と一緒にそろそろと流れ出てくる。


こんな温かいものを食べられる俺も、かなり恵まれている。

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