第13話
学校へ向かい教室へ行くと、蓮が声をかけてきた。
「よっ」
手を挙げる。
「おはよう。今朝、ピザトースト作ったよ。母さんが喜んでいた」
「それはよかったな」
「昨日はムニエルを上手く作れたから調子に乗って、朝晩作るって母さんに言っちゃったんだけど、夜の献立なにも思いつかねえ。だから蓮に相談しようと思って」
「そうだなぁ」
蓮は天井をしばらく見つめ、そして言った。
「肉、食っているか」
言われて思い出してみるが、うちは魚がほとんどだ。
「蓮の作ってくれるお弁当以外は」
「昔、魚料理を研究して週七で魚を食べていたら家族全員力が出なくなってなぁ。ほんと、全身から力が抜けてくの。やっぱり肉も食わなきゃアカンと思った」
「はぁ・・・・・・」
「野菜と肉を切って油で炒めたものに、焼き肉のたれぶっかけるだけで結構いけるぞ。俺、疲れているときはそれ作るな。たれは好みによるけど甘口がいいかも。牛肉で作ると牛肉の甘みとマッチするから。肉、お母さんに食べさせてやれ。肉食わなきゃ力が出ない」
それなら俺にも作れるかもしれない。でも、肉は高いんだよなぁ。牛肉は特に。でも、たまには食べなくちゃ。
「ありがとう、それ作ってみようかな」
「あ、野本くーん」
伊藤さんが俺の席に来た。髪はストレート。全身すらりとしている。
「どうしたの」
話すのはこれが初めて。美人過ぎてちょっと緊張する。
「あのね、野本君さえよければ飲食店のアルバイトをおすすめするよ。兄がバイトしているんだけど、まかない出るんだって。それで、駅とかにある無料求人誌もいくつか持って来た。帰りのホームで時々野本君見かけるから、路線は一緒なんだと思って。ほら、裏に履歴書ついているし」
伊藤さんは三冊ほどの求人誌を机の上に置き、一冊裏返しにして最後のページに履歴書がついているのを見せる。伊藤さんの住んでいる場所を訊ねると、最寄り駅は三駅違い。
同じ電車に乗っていたこともあるのだ。全然気づかなかった。
「見かけたら声かけてくれればよかったのに」
伊藤さんはちょっと俯く。
「男子と帰るのは少し恥ずかしくて。声かけられなかった。ごめん」
言われてみればそうだ。俺も女子と二人で帰るのは恥ずかしい。
「でもありがとう。求人誌、わざわざ俺のために持って来てくれたの」
「うん。なんか気になっちゃったから」
バイトをすれば、少しは家計の足しになる。母さんが入院したとき高校辞めて働くと言ったのに、どうしてバイトをすることに思い至らなかったのだろう。やっぱり俺はバカだ。
教室にいた子たちが再び俺の席に集まってきた。
「何、バイトすんの?」
青木君が言った。
「うん、考えてみようかな」
「じゃあ、野本君がどこでバイトするかみんなで決めようぜ。飲食店だって」
これまた全く話したことのない竹中君が言った。クラスの子の約三分の二が俺や蓮を囲んでいる。
「ねえ、聞いてもいい? どうしてみんなこんなに気にかけてくれるの」
「クラスメイトじゃん。友達じゃん。お前の弁当は白米だけだったし。お母さん倒れたっていうし。みんな心配しているんだよ。なら助け合うのは当たり前だろ」
川島君が笑顔で背中を叩く。
「ええ、なにそれマジ嬉しい」
俺が最初に貧乏だと蓮に伝えたとき、クラスは静まりかえった。あの時みんな聞いていて、からかいやいじめが始まるのかと思ったけれど、逆に誰もが気にしてくれるようになったのだ。
周囲はみんな笑顔だ。求人誌を開いている子も既にいた。中学の時とは百八十度異な
る、いいクラスに恵まれた。燦々と輝く太陽も眩しいし、空は澄み渡るように青い。
ああ、これが青春ってやつなのかな。
蓮の作ってくれる弁当を食べるときとはまた異なる至福の時をかみしめて、俺は求人誌を開いた。
「飲食店っていっても色々あるからなぁ。どういうところがいいんだろう」
居酒屋は高校生不可のところが多い。ファミレス、イタリアンレストランのホール、ピザ屋、弁当屋、寿司屋・・・・・・。
「まかないも栄養のつくところがいいよ。ピザとかじゃ余計な脂肪が溜まりそう」
羽鳥さんが言ってくれた。そうだな、栄養が取れるところがいい。
「あ、これなんてどう」
伊藤さんが求人誌を俺の机の上に置き、指さす。
駅ビル地下の惣菜屋。高校生可、週三以上、四時間以上、土日どちらか入れるかた歓迎。時給千百円。まかないアリ。交通費全額支給。株式会社ゼック。
飛びつく。
「えっ、なにここ良さそう。家から近いし」
「家どこ」
蓮が訊ねるので家の最寄り駅を伝えた。
ゼックはその電車の登り、一駅先の駅ビル内にあるようだ。
「じゃあ、電話をかけてみたら」
佐伯さんが言うのを、福井さんが止めた。
「まだ八時半前だよ。お店の人はいるかもしれないけど、支度で忙しいかもよ。昼も忙しいだろうし・・・・・・放課後にしたほうがいいよ」
「わかった、放課後連絡してみる」
「じゃあ、空いている時間に履歴書いちゃえ」
佐伯さんが履歴書のページを開く。
「おう、ハサミ貸すわ」
蓮はハサミをカバンから出して渡す。
「サンキュ」
求人誌の最後に取り付けられた履歴書を、綺麗に切り取る。
「あ、白い封筒、持っているよ」
福井さんが持って来てくれた。なんで白い封筒を常備しているのか。学級委員だから、なにか使う予定でもあるのかもしれない。
「なにからなにまでみんな、ありがとう」
「気にするなって」
田中君が笑う。
履歴書を書き始めると、みんなそれぞれの席に散っていく。ああ、証明写真と、高校生だから親の同意が必要なのか。保護者欄に母さんの名前を書いて貰わなければ。世帯主は一応父さんだけど不在だ。
書けるところだけ書いてしまうと、チャイムが鳴った。
担任が入ってきて点呼を取る。うちのクラスは、今のところ誰一人休んでいる人がいない。午前の授業を集中して聞き、昼になった。
蓮が調理室へ行こうとするのを呼び止める。
「ねえ、蓮。いつも作って貰ってばかりじゃ悪いから、食費渡すよ」
言うと蓮は顔の前で手をぶんぶん振る。
「いらんよ、そういうの」
「でも悪いし」
蓮は息をつき、そして言った。
「これは俺がやりたくてやってんの。だから気にせんでいいよ」
母さんに言われたことが脳裏から離れない。
「でも・・・・・・」
「ならさ、お前がいつか、困っている人のためにお前なりの方法で助けてやれ。それでチャラ」
「う。わかった・・・・・・じゃあせめてなにか手伝うことは」
「ないよ。そこで待ってろ」
蓮は調理室へ行ってしまった。履歴書の続きを慎重に書く。修正液が使えないからミスができない。でも、名前と電話番号と住所、小中高の名前を書いただけで終わってしまった。趣味。
趣味はなんだろう・・・・・・読書とでも書いておこう。本は主に参考書だけど読むほうだ。資格。なし。中三の時、英検やTOEICを受けてみたかったけれど、費用をくれと母さんには言い出せずにいた。バイト代が入ったら受けられるかもしれない。あとは志望動機。そんなのお金とまかないが欲しいからにきまっているけど、正直に書けない。
「ほい、お待ち」
弁当の香りに、はっとする。志望動機はあとで書こう。履歴書を丁寧に三つ折りにして白い封筒にしまう。
蓮に昨日の洗った弁当箱を渡して、箸を持つ。
「わーい、今日はなんだろう」
グリーンの弁当箱の蓋を開けると、湯気が漂う。レタスの上に、唐揚げが三つ入って
いる。そのほか赤いパプリカと他の野菜を混ぜ合わせたサラダ。小さな揚げ出し豆腐。なすの漬物。
「これ、調理室で揚げてきたの」
「おう、超特急でな。後片付けも」
ああ、片付けくらい手伝えばよかった。
「唐揚げなんて久しぶりに食べる」
「何年ぶり?」
「小四の時から食べてない」
「マジかよ」
蓮の声が大きくなった。
「食え、食え。どんどん食え」
蓮が自分の分の唐揚げを、弁当箱に載せる。
「いいよ、蓮も自分の分食えよ」
「いいから食え」
俺は押しに弱い。いいからとか、やるよ、とか半ば強引に言われると、それ以上強く言えないでいるのだ。これは欠点だ。でも、蓮の作ってくれた唐揚げは片栗粉がまぶされ、醤油の味がしっかりきいていてサクサク食べられる。
「うわあ、唐揚げなんて懐かしいなあ」
不意に、小学生二年の時の誕生会を思い出す。友達を家に呼んで、不器用な母さんが頑張ってたくさん黒焦げの唐揚げを作ってくれた。あの時も友達に囲まれて楽しかった。蓮の弁当は、そんな俺の楽しかった過去も運んできてくれた。
パプリカのサラダもシャキリとしている。全てが胃袋に流れ込んでいく。
「泣いているのか、お前」
気づくと、目の端が濡れていた。
「はは、泣いているみたいだね。あまりに嬉しくて」
蓮は無言でいた。クラスの子たちの眼差しが温かい。
俺は泣きながら弁当を綺麗に平らげる。
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