第6話
翌日学校に登校し、席に着くとクラスのみんながわっと駆け寄ってきた。
「野本君、お母さん大丈夫だった?」
ポニーテールの佐伯さんが訊ねる。
「どうだった? なんだって」
続いて佐伯さんの近くにいた川島君も。
男女ともに、とても心配そうな表情で俺を見つめてくる。
「ああ、うん。過労と栄養が少し足りないって」
栄養が? 心配だ、とクラスメイトは口々に言う。
「昨日は野本君が血相変えていたからこっちも気が気じゃなかったよ」
羽鳥さんも俺の机に手を乗せ言う。
「みんなありがとう。でも大丈夫だよ」
多分。
みんなは口々に励ましの言葉をかけて席に戻る。佐伯さんは昨日の午後の分のノートを貸してくれた。
午前の授業を受けて、昼になる。すると、蓮はどこかへ行ってしまった。多分調理室だろう。作って貰うばかりじゃ悪いから俺にもできることはないかと考えてみたものの、実は包丁を握ったことさえない。
これじゃダメだ。蓮の足手まといになるだけ。蓮が帰ってくる前にノートを写して佐伯さんに返す。
二十分ほどすると、蓮は弁当箱をふたつ抱えて戻ってきた。
「ほら、今日も食え」
今度は緑色の細長い弁当箱を俺に渡す。
「昨日のお弁当箱、洗ってきたよ」
言って青いお弁当箱を返した。
「じゃ、一緒に食おうぜ」
「うん」
弁当箱を触っただけで温かい。蓋を開けると鮮やかな色彩が目に飛び込んでくる。
星形のにんじんにほうれん草。ひじき。多分どれも味がついているのだろう。
「この、白いのはなに?」
箸で指す。
「ああ、塩こしょうで味付けして鱈を揚げたものだ。昨日は肉だったから今日は魚と思って。バランスよくな」
「へえ。調理室で揚げたの」
「おう。揚げたてほやほやだ」
いいなぁ、と遠巻きに眺めていたクラスメイト達の声が聞こえた。なんだか気恥ずかしいけれど、頂きますと言って鱈の揚げ物を食べた。
カリッとした食感が癖になりそうだ。なのに中は柔らかい。
「俺、こんな弁当初めて食べるよ」
「なんだか幸せって雰囲気が体から滲み出ているぞ」
川島君が冷やかす。
「本当に至福だよ。今まで日の丸弁当ですらない白米弁当だったから」
にんじんを頬張る。甘い。ほうれん草は変わった味がして、鼻にツンとくる。
「このほうれん草、どんな味付けをしているの」
「わざび醤油」
「え、醤油とわさびを混ぜたとか?」
「そうそう。旨いだろ?」
「旨いよ」
蓮の手作り弁当に泣きそうになる。朝は結局、パン一枚を焼いてなにもつけずに食べてきた。バターを使うのはもったいない。蓮の弁当を母さんにも食わせてやりたいけれど、流石に持って帰るわけにはいかない。
「今日もありがとう。ひとつ折り入って頼みがあるんだけど」
「おう。なんでも聞くぞ」
「安上がりで初心者でも作りやすい料理を伝授して欲しい。あとは朝ご飯用にもなにか安い食材で作れそうなものを教えてくれないかな。食費抑えているのもあるけど、母さん、料理が下手というか苦手というか。だから俺が覚えようかなって」
「ん。オッケー」
蓮が親指と人差し指で輪っかを作る。クラスがざわつき始めた。
「いいな、いいな。高梨君俺も教えてっ。俺も作り方知らない」
話を聞きつけて席までやって来たのは、青木君だ。すると方々から声が上がる。
「私も作りたい」
「俺も俺も、教えてよ」
「私もー」
クラスの大半数が手を挙げている。
蓮は立ち上がると教壇に立ち拳を作って親指を立てた。
「よっしゃ。じゃあ、料理部のない日に、調理室でみんなで作ろう!」
「おーっ!」
そんな声が上がった。
「料理部は火曜と金曜調理室使うよー」
羽鳥さんがクラスの端から言った。料理部なのだろう。
「ラジャー。なら月曜、水曜、木曜あたり、自由参加で」
「おーっ」
再び多数の声が響く。なんだかみんなノリノリだ。俺も混ざって手を挙げた。
「明日、水曜じゃん。なら明日からってこと?」
川島君が言う。蓮はすかさず俺を見る。明日からで大丈夫か、と訊ねているのだろう。
母さんが退院するけれど、平気だ。俺は強く頷く。
「よし、じゃあ明日からにしよう。名称は一年四組料理部だ! 部活じゃないけどな!」
蓮が言うとどおっと笑い声と拍手が湧いた。
「じゃあ、リーダーは高梨君ね。何作る? お題は高梨君が決めてよ」
学級委員の福井さんが言った。すると、蓮はまた昨日と同じようにニッと笑った。
「初心者で作りやすいもの。鮭のムニエルとサラダだ」
クラスがまたどおっとどよめく。鮭のムニエルは確か中学の調理実習で作ったけれどほとんど覚えていない。今度は一から覚えよう。
「サラダは切るだけだ。好きな野菜を持ってくればいい。小麦粉とバター、鮭は各自で用意するように。鮭は保冷剤と一緒に入れて持ってくるか、冷凍食品保存用のバッグにでも入れて。米も一人一合ずつ持ってこーい」
「はーい」
クラスはのざわめきが、波紋のように広がっている。なんだかとても心地がよい。
でも。鮭とサラダ、買えるかな。俺はこっそりと鞄の中から財布を見た。二千円あるからまぁ、なんとかなるだろう。
「陸、放課後付き合え。教師に許可を取るから」
教壇の前で蓮は言う。
「ラジャー!」
こめかみに右手を当て、俺は蓮の真似をした。
料理に時間を割くとなると、勉強する時間はなくなる。だから午後の授業はしっかり聞くようにした。板書も丁寧に取り、ついでに以前買った参考書で問題を解くようにした。
午後の全ての授業が終わると、前にいた蓮が振り返った。
「ほれ」
くれたのは紙の束だ。見ると、わかりやすく料理のレシピが絵付きで書かれている。主に安い食材で作れる料理だ。
「これもしかして授業中に書いてくれていたの」
「うん」
「ごめん、勉強どころじゃなかっただろ」
「いいのいいいの、俺勉強あんまり好きじゃないし。教師の話を聞くだけで眠くなっちまう」
悪いなぁ、と思いつつも感謝して受け取ることにした。
「朝に作るといいのを書いておいた。ところでおまえ、今朝は何食ったの」
「今日は焼いたパン一枚」
言うと、蓮は額に手を当てた。
「おいおいおい、おまえもそのうち倒れるぞ」
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