第6話

私は思考するより先に、引き寄せられるように、その唇に吸い込まれていった。大人なら、深夜の、なんてことのない戯れのようなキス。


「俺、お兄さん、結構タイプだよ。サイトウさんとはまた違うタイプで」


「…..びっくりした。朗らかなイメージなのに、君そんなこともできちゃうの?」


 私はもともとその気はなかったはずなのに、不覚にも、ドキリとしてしまった。


「案外悪くないでしょ?キャストはゲイかバイって縛りあるけど、うちの店、お客さんはノンケでも女性でもウェルカムじゃん。っていうのも、案外通えばこちらに落ちちゃう人が一定数いるかららしいんだよね」


「….悪く、なかった」


 悪くなかった、どころか、完全に呑まれていた。いまはアオくんがとても扇情的な色香を纏わせた小悪魔に見える。


「君、やはり人気キャストたる所以があるんだな。やばいフェロモンでもでてんのかも….」


「あは、お兄さんにそう言ってもらえるのは嬉しいな。でも、ちょっとこっちにも才能ありすぎちゃったのも、この世界から抜けられず、かといってどこにも行けないっていう不運の一つなんだってさ。普通に働くより給料はいいからさ。朝弱くても夜元気なら働けるし」


「才能あるって分かってしまう自分がこわいよ….」


「ねぇ、お兄さん」


 アオくんは、キスしたときのように顔をよせて、秘密を囁くように言った。ふわりと、何かが香った。


「今日もうあと20分で店終わりで、サイトウさんはタクシーで送ってこうと思うんだけどさ、一緒に付いてきてくれん?」


「それは….」


「お。さ。そ。い。俺わりとストライクゾーン狭くて気に入らない人にはめちゃくちゃ口説かれてもこんなこと言わんのやけどさ、超超超ー珍しく、アオくんからお誘いをかけてます」


彼はすこし照れくさそうにそう言った。店内も、もう人はまばらで、裏方では締め作業が始まろうとしている。

「…..付いてくよ」

かくして私も、出会って数時間で、簡単に、アオくんの沼に落ちた。




 アオくんの謎のフェロモンにあてられ、熱に浮かされたようについてきてしまったが、ホテルの一室に入って少し冷静になった。はたして、自分が男に勃つのか、後ろを使ってセックスするのは初めてなのにうまくできるのか、途端に不安になってきた。


「安心してよ、俺ずっとネコやってきたから、ノンケのお兄さんでも簡単に俺のこと抱けるよ?それとも下やってみたいなら俺タチもいけるけど…」


アオくんは、どこまでも空気の読める子だった。


「いや、上でいい」


よな、とアオくんはラブホテルに全く似つかわしくない無邪気な顔で笑った。

独身で独り暮らしも長く、特定の女性もしばらく居ないので、年齢相応に一夜限りのお付き合いの経験はあるが、結論から言うとアオくんは、いままで抱いたどんな女よりヨかった。


セックスを覚えたばかりの高校生のように興奮し、獣のように腰を振った。男同士も後ろを使うのも初めてだったが、それはアオくんのさり気ないリードで全てスムーズに進んだ。久しぶりに一晩で3回も出して、コッチもいけるのかと自分に驚いた。

「お兄さん、めっちゃ興奮してたね」

事後に抱き合いながら、ベッドのなかであどけなくクスリと笑った青年は、先ほどまで娼婦のように自分の下であられも無く乱れていた彼とは全く別人のようだった。



翌朝、二人でゆっくり起きだして、ホテルの前であっさり「じゃあね」と手を振って去っていこうとしたアオくんに、私は柄にも無く狼狽えた。


「ま、待って。朝ご飯いかない?どっかのカフェでモーニングでも」


「わあ、お兄さん、アフターケアとかバッチリタイプ?気にしないで、俺そういうの適当でいいからさ」


呼び止めた私にくるりと振り返って笑顔でそう言った彼に、胸がツキリと痛んだ。

じゃなくて。

私は昨晩の熱がまだ下半身にわだかまっていたのもあったが、彼をまだ離したくないと思ってしまっていた。


「せめて連絡先だけでも!」

「連絡先?いいよ。あ、まって。お兄さんイケメンだけど、奥さんとか彼女おらん?色々面倒ゴトはごめんだから、そういう人と定期になるのはやめてるんよね」


定期とか。

彼がはなから私をセフレの一人として扱おうとしているのに、胸がギュッとなった。


「…..独身だよ。特定の付き合ってる女性も長らくいない。歳は33。外資系のコンサルタント会社で働いてる。仕事は忙しいけれど、基本的に週末は休み。できれば君と仲良くなりたい。お店にもちゃんと通う」


私は会社の名前が入った名刺を彼に渡した。


「一流企業じゃん。ヤナギサワさん?でいいの?」

「柳沢俊。できれは下の名前で呼んでほしいな」

「シュンさん」

「ありがとう」


私たちはその場で無料通話アプリの連絡先も交換して、彼は午後から別のアルバイトがあるとかで、ニコニコ手を振ってあっさりと帰っていった。

私はスマホの中に残った彼の連絡先を見つめて頭を抱えた。抱いて、情が移るなんて、冗談じゃない。そんなこと、いままで一度もなかったじゃないか。そもそも男なんて対象じゃ無かった。だが久しぶりの感情に幸せで満ちたりている自分もいた。私は、おそらく大学時代以来久しぶりに、恋をしてしまったのだと、この高鳴る気持ちを認めざるを得なかった。

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