第5話
「流れに流れてー、ココ!天職!」
アオくんはグラスを高く掲げて、残りを一気に煽った。
よっ!とサイトウもテンション高く拍手を送る。
サイトウが、おかわりもっといで、いくらでも飲んでいいよ、と声を掛けると、アオくんはありがと!とまた自分のドリンクを取りに場を離れた。
「彼はさー」
サイトウは、アオくんの身の上話が始まったときよりいくらか酒が回ったようで、ふわりふわりと頭を揺らしてアオくんの後ろ姿を眺めながらまた口を開いた。
「全部のボタンが掛け違っちゃったみたいな、そんな感じなんだよ」
アオくんを、学生時代から長く見ている彼が言うならそうなのかもしれない。
ただ受験に失敗して、就活にも失敗して、再起出来なかったゲイの男の子というだけなのかもしれない。
「言いたいことは分かるよ。甘えんな、とか、結局はあの子の実力が足りないだけとか、言う人も居るよ」
サイトウは天井を見上げて、ふーっと息を吐き出した。当時の彼を思い出しているのかもしれない。
「見届けたいんだ。助けてあげられなかった。精神科医なのに、僕にはいまだに助ける方法が分からない。彼に人生を頑張って生きる理由を見つけてあげられないから」
せめて、見届けたいんだ。僕にも分からないから。彼にも分かっていないから。サイトウは、目を閉じてそう呟くと、スーッと寝入ってしまった。
「あー、寝ちゃったか」
気付くとアオくんは新しいグラスを持って戻ってきていた。
「この人、悪い酔い方はしないけど、意識落ちちゃうんだよなー」
アオくんは、ふふ、と笑って、サイトウの頭をつんつんと触った。
「アオくんはさ、社会に放り出されて、ここまで、どうしてきたの。これから、どうしていくの」
「わかんねーの」
彼は目を合わさずに答えた。
「考えてもわかんねーの。誰か助けて欲しーな。でも自分で再起するしかないってのも分かってんの。労働も、納税も、ちゃんとして、老後のこととか考えて、人生組み立てなきゃいけないなんて、よく分かってんの」
だから、苦しい。
アオくんは、そう呟いた。
「苦しいんだ」
「みんなが、お兄さんが、出来てること、俺ひとつも出来てない。まともに就職して、自分の力で生きてくことが、こんなにも難しいなんて思わなかったんだよ。自分は並の人以上には『できる』人間だと思ってた。別に人とこうして関わりながら仕事するのもできる。みんな良くしてくれる。なのに、俺には何が足りないんだろって思う。俺の同期はみんな立派に結婚したり医者としてのキャリアを確実に積み重ねているのに、俺はまだそんなこと考えてて、こんなところで燻ってる。こんなところっていうのは店のことじゃないよ。俺はこの店大好き。人生のフェーズのことね。働いてる間は楽しいよ。けど、ふと周りを見渡した時、自分だけ学生時代の延長みたいに、目標もなく、辿り着く場所もなく、なにも積み上げずに生きているのは、苦しくならないわけない」
「….そうだね」
少し考えてから、それだけつぶやいた私に、アオくんは、また眉をへにょりと下げて笑った。
「上手くいかないときってさ、何もかも上手くいかないじゃん。俺はそれが10年続いてる感じ?」
受験も、就職も、男運も、全部ダメ!あ、でもバイト先の人たちにはいく先々で恵まれてるなあ、とアオくんは自分を茶化すように言った。
「君は、聞いてる限り、学生時代もここでも、随分人気キャストにみえるけど」
「うーん、それは。有難いことにこの界隈では結構モテる。けどそれは間違った軸で間違った歯車の回り方をずっとし続けてる感じ」
「それは、止めることはできないの?」
「止めらんねーよ。止めたら、学生時代ならまだしも、いまは生活出来んくなる」
「それはそうね」
夢も、あったんよ。
俺どっちかっていうとかなり文系で、数学とかめちゃくちゃ苦手だったのに努力で理系突き進んで突破しちゃったんだけど。
本当は、外交官になって発展途上国の子供たち救いたいとか考えてた時期もあるの。それ話したら母親とかテンパっちゃって医者以外ありえません!って怒鳴った。父親は、フン、と鼻で笑って「お前には無理だ」と言った。多分ちゃんと努力すれば無理じゃなかったと思うんだけど、医者しか知らない人間には、むっちゃ難しいんだと思ったんだろうな。高校の先生にも話してみたことあるんだけど、私立って基本親の肩持つから、いや君は理系に進んで医学部にいくんだよ、ご両親も期待しているよ、ってやんわり無かったことにされた。
でも考えるよ。ことごとく失敗していく俺の人生のこれからってなにも想像つかないし多分地獄なんだけど、上手くいくシナリオっていうのは次々に未来が繋がっていくから。
もし俺が母親に依存せず自分の夢を突き通してたら。
それで外交官になれてたら。
いま自分はどこの国で誰かを助けてたんだろうか、とか。
母親の呪縛から逃れられなくても心が折れてなかったら、留年せずに卒業していたら、病院の就職も上手くいってたかもしれない、とか。全部ダメダメでも最後の1年踏ん張りが効いてどっかの田舎の病院にでも初期研修しに行けてたら、いまは専門医の資格も取ってそこそこの給料で安定した生活と社会保障享受してたのかな、それなりに力もついて自信になってきた頃なのかな、って白衣に聴診器ぶら下げた自分を想像したりもするよ。
みんなが羨む、安定した場所にいることの安心感への憧れかな。
全部失敗していくシナリオって組み立てがめちゃくちゃ難しいんだ、崩れていくだけだから。人間簡単に、落ちるとこまで落ちる。
「んー…」
「お、サイトウさん、起きた?」
横で呻き声をあげて目元を擦ったサイトウを、アオくんが覗き込み、お水用意するね、とグラスを用意する。
「うー、飲みすぎちゃった。アオくんは、今日もイイ子だねえ。可愛いし」
「サイトウさんは、いつも褒めてくれんね!ありがと!お水飲んで」
私もお水ちょうだい、とアオくんに声を掛ける。
アオくんは、はいよ、と手際よくもう一杯お水を出してくれた。
「もうサイトウさんがアオくんの人生貰っちゃえば?」
わー、お嫁に行ってもいい?サイトウさん、とアオくんがおちゃらけで聞いている。
「だめだよ、彼には、彼の理由で彼の人生を選んで欲しいんだ。かつての彼の母親に僕がすげ変わるだけじゃだめ」
サイトウはゆらりと瞳をゆるがせて酔っているくせに至極真っ当なことを言った。
「でもさ、みんなだいたい人生の目標のためじゃなくて背負うものが出来てしまったがために生きてない?」
「それはそうね」
「それって楽しい?」
「知らない」
それだけ言うと、はぁー、とサイトウはまたため息をつき、入眠。嘘だろ。
「あは、また寝ちゃった。この人、いい歳して病院でもいいポジションついてまだ毒身なの。そっかー、俺は背負われるものにはならなかったかー」
「君の人生に、救いはないのか」
「あは、大袈裟だなー。お兄さんまでそんなこと考えてくれるん?じゃあ」
アオくんはこちらを綺麗な瞳で見つめて言った。
「お兄さんがなってくれる?」
私はゴクリと喉を鳴らした。
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