第4話

いま思えば、独り暮らしなんてきっかけに過ぎなくて、もうずっと、寂しかったんだと思う。

高校三年生までは、本当に真面目な子供だった。

母親は一時期は俺を私立の小学校にいれる準備をしていたが、結局両親の間でどんな話し合いがもたれたのか、「いまのうちに世間には色んな人間がいるのを知っておいた方が良い」という理由で、地元の公立小学校に入学した。

そのせいで、ちょこっと神童扱いされることに慣れてしまった。保護者会にいけば、どうやって教育しているのか、と母親が複数人のお母さんたちに囲まれるくらいには俺は優秀なことで有名で、母ひいつも鼻高々なようだった。俺もそれを見て安心し、心が満たされたので、ずっとイイコであり続けた。担任も毎年俺を特別扱いした。医学部に入ってくる子たちは皆それぞれのいた小学校で一目置かれてた子がほとんどなので、別にこれは特別な話じゃない。

あさましい人間という生き物は、特別扱いされると、必死にそのポジションにしがみつく。

結果俺はずっと努力し続けた。母の顔色を伺い、何を言ってどんな姿を見せればこの人が喜ぶかをずっと考えて行動した。

それが崩れたのが中学受験。事前の模試の成績的にも申し分なく、絶対通ると言われていた名門校に落ちて、母親は思いつく限りの言葉で俺を滅多刺しにして、憂さをはらしたようだった。それまで自慢で仕方なかった長男をボロボロにした。やれ恥ずかしいだの、お前のしたことは全て無意味だの、俺のこれまで積み重ねてきた母親を良い気分にさせてきた結果は全部マイナスに働いた。ようは期待と信頼が大きかった分、彼女はショックで、傷つけられたように感じた。そのショックを、いかに息子に思い知らしめるかで頭がいっぱいになって、傷つける言葉を吐き続けるしか出来なくなったんだろう。


 母親の実家は、下町のボロい団地で、母方の祖父はいつも酒を飲んでパチンコに行って時々祖母を殴るような家庭だった。

 父親の実家は、お堅い医者家系。曽祖父、祖父、叔父、従兄弟全部医者。父親自身も優秀な医者で、お見合い話が絶えなかったのを全て断り続けて、ある日連れてきたのがかなり年下で派手な雰囲気の、俺の母親だったらしい。父親の家はもちろん大反対。それを押し切っての結婚。生まれた長男は優秀。母は少し頭が弱くて幼稚で見栄っ張りな女だったので、俺で一発逆転するつもりでいたんだと思う。

 母の機嫌を損ねるとすぐ殴られる子供時代を過ごした俺は、空気を読むことばかり、他人の顔色を伺うことばかり上手くなって、母親の事情さえ早々に察していた。私立の滑り止めとはいえ進学校で、中高6年間、大学受験でのリベンジを胸に誓ってときに泣きながら勉強した。


 けれど、現実はそう甘くない。


 努力は成功の必要条件であって十分条件ではないのだ。


 大学受験も失敗して結局滑り止めの関東の私立の医大に行った。母親が望むような、日本一の国立大学の医学部には行けなかった。このときも母親の『仕返し』はここぞとばかりにキた。あの人すぐ人格否定するんだ、めちゃくちゃなんだよ、中学受験が終わった日以来。



もう、いいや。



って。

さすがにプッツン来ちゃった。


 このときもう二度と人生で「頑張る」とか「努力する」とかはするまい、と思った。

母親は「あんたはなにをやっても失敗する」「結果が出なければ全て無意味」「あんたは肝心なところで絶対駄目なのよね」という呪いを俺の人生にかけた。


もう、嫌になった。 

全てどうでもよくなった。

だって何をどれだけ頑張ったって、俺は結局うまくいかないんだろ。母さんが言うには。


頑張ろうとか、ここを目指そうとか、そういうのを完全に手放してしまうと、人生は途端につまらなくなった。進学を機に始まった独り暮らしに最初はわくわくしていたはずなのに、頑張らずにいかに楽してやり過ごすかだけを考えて綱渡りする生活に慣れると時間を持て余して酷く退屈したし、なにより生まれて初めてゆっくりする時間ができて、自分が愛に飢えていたことに気づいてしまった。 

 いつからか、母親が俺を愛しているように見えたのは、俺が好ましい母親のアクセサリーになるような結果を持ってくる子供だったからだと、そう思うくらいには母親の気分のムラみたいなのは思えば昔から本当にすごくて、物心ついてからずっと、母親が俺を医者にすると決めしまった5歳のあの瞬間からずっと、俺は寂しかったんだと思う。


誰かと繋がりたくて、配信系から入った。

エッチな配信してお金もらえるやつ。

これが結構ウケて、稼げた。俺の寂しさは沼で、同時にマッチングアプリにも手を出していた。援交まがいのことをして、万札が簡単に手に入った。

 お金を稼ぐのって結構楽しいんだなって知って、仕送りは十分あったのにかなり荒稼ぎしたが、仕事を増やすと怖い目にも会う頻度が増えて、結局店に所属する形に落ち着いた。キャストは店に守られるし、客も店のルールに則って遊んでくれる。寂しくて寂しくて、ほぼ事務所に住み込みぐらいの鬼出勤をして、よく稼いだ。

 キャストの子たちとか送迎の人たちとか、誰かしら事務所にいるから待機中はお喋りしてられたし、学校の課題があればそこでやればよかった。やっと寂しくなくなった。この頃にサイトウさんにも会った。夜職をすると、自衛のためにも会話を繋ぐためにも客のことをよく観察するようになる。サイトウさんの自宅に呼ばれてざっと見渡しただけで、あーこの人医者か、ってすぐに分かって「俺、そこの医大通ってるよ」と明かした。親近感を持ってくれたら金ヅルになるかもしれない、という打算の方が、本当のプロフィールは隠していた方が賢明だ、という理性に勝った。それくらい、もう自分の人生なんてどうでもよくなっていたのかもしれない。


「え、なにしてんの?」ってめっちゃすっとぼけた顔で言ったサイトウさんが可愛いと思った。勤め先と実習先が同じだと分かると共通の話題だらけだったので、話は盛り上がって仲良くなって、これ禁断の関係じゃね?バレたらやばくね?っていうのにすごい滾って、そのままめちゃくちゃなセックスに雪崩こんだ。サイトウさんは初回からえげつないおもちゃなんか出してきて、この人すげー変態なんだなって思って俺も燃えた。閑話休題。


サイトウさんは俺が一番やばかった時期のお客さんだから全部知ってる。摂食障害のことも鬱のことも。母親の激ヤバエピソードも。夜は動けるからあまりにしんどい日以外は仕事は続けていた。学校には行かないのに夜はこんな仕事をしているっていう罪悪感も負のループを加速させたが、寂しいから、出勤はするんだ。


また母親の話に戻るけど、母親は、すごく美醜にうるさい人だった。ニキビができたとかちょっと太ったとか、そういうのにすごく敏感で、よく考えたら大学1、2年生くらいの年齢ってまだまだ身体も出来上がってなくてそりゃニキビができることもちょっと太ったり痩せたりすることだってあるだろうに、帰省するたびに俺の一つ一つの変化についてこれでもかと糾弾する。髪をちょっと染めてみても、似合ってない、と文句しか言わないし、ピアスの穴は、不良みたい、頭おかしいんじゃないの、と言った。母親にどんなことでも攻撃される材料は減らしたくて、夜の仕事してたらやっぱり見た目はこぎれいなほうが圧倒的に稼げるというのもあって、気付いたら飯が食えなくなった。食べたら太らないように吐いた。太るのがめちゃくちゃ怖かった。 

痩せていく時は良かったけど拒食期のあとの過食嘔吐がほんとにやばくて、もう俺は二度とダイエットはしないと心に誓っている。治るのに5年かかった。いまはしっかり食べてちゃんと筋トレすることにしたんよ。

鬱は過食嘔吐がやばすぎてなったようなもんだから、過食嘔吐が落ち着いて、トレーニングを始めてボディラインが落ち着いてくると、自然に落ち着いた。でもいまだに薬は抜けていない。いつかまた転落するのが怖くて、あと脳に作用する系の薬は離脱症状がしんどくてなかなか飲み始めるとすぐには抜けない。いまだに精神科通ってんの、自分でもウケんねーと思ってる。

学校にいけなくなって、無駄に1年は留年してしまったが、卒業出来た。あそこまでボッロボロの爛れた生活していてよく卒業できたなと思う。医学部なんて多留生も珍しくないなか、俺なんかが留年1年程度で。あの医大もよくこんな学生を世に出したなと思う。とはいえ大卒という肩書きは有難い。もらえるならもらっておくに越したことはなかった。

さらに、俺はさっき話した通り就活も失敗している。研修医の就職はテストや在学中の成績よりほぼ面接で決まるから、ずーっと夜職という空気を読み演技する仕事してこれた自分は大丈夫だとなんだか楽観していて、家庭環境に流されるまま医大には行ったが医者という仕事に対しては何のパッションも持ったことがない俺は、適当なエントリーと適当な就活をして、お祈りメールを貰い続けた。11月になっても12月になっても就職先が決まっていなかった。あまりにもどこも採ってくれないから、致命的に、心の底ではからきし人を助けようなんて精神なんてないのが、向こうには透けて見えてるのかと思った。ちょっと就職を焦り始めたら、受けようと思ってた病院に面接行くのに取ってた飛行機が欠航になったり。結局受けれなかった。もう戦意全喪失。

全部親のせいにして逃げ続けても駄目だってようやく実感したが遅かった。でもそうなってしまった経緯は俺悪くないよね、という気持ちもあって、もう、とりあえずどうとでもなれ、と東京の、眠らない街に出てきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る