第3話


「おっっっも…..」

思わずそう溢してグラスの残りの酒を全て飲み干し、はぁーと息を吐いた私に、だろ?とアオくんはへらへら笑った。すかさず次の飲み物を作ってくれる。


「いまは元気そう…だけど」


「いまはめっちゃ元気よ!夜だし!」


「うつ病患者の生活時間帯は夕方から夜以降になることが多いんだ。不眠も症状として多いし、そうでなくても朝や午前中の方が辛いって患者が多い。ちなみに僕も精神科医。ヨロシク」


横から口を挟んだサイトウの職業が割れたところで、私に新しいドリンクが来る。


「え、じゃあ治ってないの?」


こんなに快活で屈託なく笑うのに。


「こういう病気って、治ったとか治ってないとかって判別は難しいんだよなー。そりゃ当時に比べりゃダンチに良いけど、その頃以降はずっと夜の方が元気。朝はキツい。これ俺が怠惰なだけ?サイトウせんせー」


「七年の間伸びした大学生活で身についてしまった怠惰な習慣は、そう簡単に正せるものではないよ、アオくん」


 もっともらしく答えたサイトウに、だよなー、とけらけら笑いながらアオくんは返事した。


「というか、医学部に通ってたんだね。医学部って世間的なイメージだとすごい勉強大変そうだけど」

 今の話だと、卒業できたのかわからなかったので、敢えて言葉は選んだ。


「大変な子もいるかもしれないけど、この子、チョーっと頭の出来が良いんだよね」


 アオくんの代わりにサイトウが答えて、彼の頭をわしわしと撫でる。頭につけているバカみたいに長いウサギの耳が、ひょこひょこと揺れた。アオくんもへへへ、と人なつこい犬のようにされるがままにしていた。


「この子くらい賢ければ、卒業はヨユー」


「え、じゃあアオくんは昼間はお医者さんやってるとか?」


「卒業したけどこれが本業!」


アオくんは綺麗な上腕二頭筋をムキっとしてみせた。


「医者には、ならなかったんだ?」


「病院には就職できんかった」


あっけらかんと即答したアオくんに、サイトウが補足をいれた。


「不思議だろう。僕も、不思議なんだけど、なぜか医者の世界の現実そうなんだ。普通の企業や職場なら、一緒に気持ちよく楽しく働けそうな彼なんて、どこでも欲しがるんじゃないかと思うんだけど。僕もいまの病院で研修医採用の面接とかすることもあるんだけど、実際医者の目線で新しく若手を雇おうってなったとき、なぜかそういう社会的スキルよりも、地味で従順そうで真面目で勉強してそうな子を選んでしまうんだよ。別に彼だって不真面目そうにはみえないのにね。隠キャとアスペの多い医者の世界では、アオくんみたいにコミュニケーション能力が高すぎるのも、遊んできたように見えるのかもしれない。そうだとしても、医者としての能力には関係ないのにね。これも彼の不幸。医者という世界でなければ、就職だって上手くいったはずなんだ」


そう言ったサイトウの目は、優しくアオくんを見つめていた。そういえばこの飄々とした医者はこういう店に通うだけあって、男もイケるクチなのだろうか。それでアオくんのことを性的嗜好として可愛がっているのだろうか。そう思わせるくらいには、その瞳には優しさだけじゃない、愛情のようなものがとろり浮かんでいる気がした。


「サイトウさんは、このお店通い出して長いんですか?」


「アオくんが、働き出したときから通ってるよ。アオくんのファンの一人」


「ほんと、サイトウさんはずっとよくしてくれるよな」


「夜も更けてきたしこういう店だし、アオくんも隠してないから言うけど、彼が学生時代の若気の至りでちょっとえっちなお店で働いてたときからのオキャクサン」


 サイトウが爆弾情報を上乗せし、アオくんが「もー隠してたのにー」と笑った。当の私は喉がひゅっと鳴った。下世話な話だが、この二人、今はどんな関係だろうとか勘繰ってしまう。


「あー、今は何もないよ。けど、だから、俺のこともすごい良く知ってんの。他にもウリ時代のお客さん何人か通ってくれてるけど、サイトウさんが当時一番ヘビーユーザーだったからなぁ」


アオくんはめちゃくちゃ人の表情が読める子だった。人の心が見えてるんじゃないかというくらいの先回り回答をくれた。


「ヘビーユーザーとか言うなよ。まぁあのときはすごいハマっちゃってたからなぁ」


てか、ウリって言っちゃうんだ、と突っ込んだサイトウに、あ、言っちゃったごめんね、とアオくんは何事もなかったかのように軽く流した。


「当時ほんと、助かってたよ。ありがとうね」


「初対面からドタイプだったんだよねー」


いわく、最初2時間で予約して現れたアオくんは、初見から見た目はタイプだったが、話しているうちに自分の勤める大学病院に実習で来ている学生と分かり、禁断の関係みたいでかなり燃えた。その日は朝まで延長したし、以降週2、3回は家に呼びつけ、朝までの予約だったところを興にノって30時間延長し週末をずっと一緒に過ごした、なんてこともあったらしい。お医者様は資金が潤沢で羨ましい。


「禁断の関係…というか、アウトでは?」


私は大人しく聞いていたが、聞き終えて思わずそうこぼした。指導する立場で、学生に手を出している状況だから、普通アウトだろう。


「まぁ成人してたし?わからん、アウトかも」

「僕もわかんない。アウトだったのかな。いまや時効だからこうしていられるけど」


本人たちは存外深く考えていなかったようだ。こうして良好な関係が長く続いているならトラブルなどにもならなかったのだろうし、本人たちが納得しているなら私が口を挟む余地はそれ以上ない。


「医者って高尚なイメージあるんかもしれんけど、実際こんなもんよ!他にもお医者さんの客はいたけど、みんなそれぞれの方向に変態だったなあ」


アオくんが言い、2人はけらけらと笑っていた。

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