第2話
皆、自分の人生の最初の記憶は何才くらいから持ってるものなのかは分からないが、俺が持っているものは、幼稚園の頃の記憶が3つ。
1つ目は、年少さん。4歳。幼稚園の教室で友達と複数人でごっこ遊びの延長の、掴み合いの喧嘩をした。「お友達と喧嘩しちゃダメだよ」と叱られた。前後のエピソードはまるで覚えていない。その頃から快活に友達と遊ぶタイプだった。
2つ目は、5歳。家族でどこかに向かっていた車の中で、俺は必死に後部座席から助手席に座っている母に伝えたいことを伝えようとしていた。年中さんにあがり、同じクラスに少し知的障害を持った足の遅い子がいて、その子がリレーで同じチームになったから運動会が嫌だ、という話だった。
「じゃあアオさんがお医者さんになって治してあげればいいじゃないの」
母親はとても良い考えを思いついたように言った。
余談だが、うちでは母親は、子供の名前をさん付けで呼ぶ。昔からそうだ。
「どうやったらお医者さんになれるの?」
「パパみたいに、いっぱい勉強して、大学で医学部に行って、医師国家試験に合格するのよ」
父親は地元ではちょっと有名な昔からある開業医の三代目だった。三代目だけど腕は良いし、医院も経営も曽祖父の代からとても上手く行っていた。
「分かった!アオ、お医者さんになる」
当時とても素直でイイコだった俺は、すかさず元気にそう答えた。
車の窓の外では、大きな製薬会社の看板が流れていった。そのときのその看板に映っていたおじさんの顔までしっかり思い出せる。
俺は5歳で『医学部』という言葉を知っていたし、『医学部』はたくさん勉強しないと行けない難関だということも知っていた。6歳を祝う幼稚園のお誕生日会で、俺は父兄の前で「将来はみんなを助けるお医者さんになります!」と宣言し、その場にいた父兄をどよめかせた。またその場にいた母はそれはそれは嬉しそうに笑ったし、自慢げにその話を父にしていた。
3つ目は、6歳。幼稚園の教室で、遊びの延長で、そのとき仲の良かった男の子にキスをした。なんでそうしようと思ったのかは皆目不明だが、そのときの俺にはそれが自然だったし、なんだ、キスってこんなもんか、なんて思ったクソガキだった。この頃には俺はどこかませていたし、たぶん、男の子が好きだった。
俺だってその15年後、あんなことになってるとは思ってなかったんだ。
そんな昔のことを回想しながら、重たい瞼を押し上げると、カーテルレールが見えた。もう、昼か夜かもわからない。
ここに…そう、押し入れにしまってあるビニール紐で、首を括ってしまえば。
死ねるのに。
でも、指一本だって動かせやしない。
うつは、最重症の患者では植物状態との鑑別が必要らしい。それくらい身体を動かすこともできないくらい気力が奪われるという。
それがこんな感じか、と客観的に捉えた自分もいた。学校にはもう長くまともに行っていなかった。
新学期が始まってからは、欠席の連絡すらできないくらいになってた。電話の音も怖かった。
太陽の光が怖かった。
カーテンをしめきり、携帯は見ないようにして、布団にくるまって、そして自分がどこで間違えたのかを考えた。
学校に行けない罪悪感、親に学費も下宿費用も出してもらってるのにまともに頑張れない罪悪感は、すべて思考の負のループになって、毎日毎日どんどん苦しくなった。
苦しくなって、自分なんかがこの世界には存在してはいけないんだと感じて余計外に出られなくなって、また苦しさは増した。
それでもなんとかバイトにだけは行っていたのに、ついぞバイトにも行けなくなって、震える声で、体調が悪くていけない、とバイト先に電話したら、様子がおかしいと気付いた当時のバイト先のオーナーだけが心配して家に乗り込んできてくれて、在学してる大学の大学病院の精神科医の診察に引き摺って行かれるまで、その負のループは続いた。
その精神科医から連絡が行ったはずなのに、両親は、ついぞ様子を見にこようともしなかった。いつ息が止まってもおかしくないと思うくらい、苦しかった。
アメリカ帰りだという大学病院お抱えのその精神科の医師は、とても優秀で、優しかった。光が怖くて震えていた俺を見て、部屋の電気を全て消し、お茶とお茶菓子を出し、物を話せる状態になるまでゆっくり待ってくれた。
母子関係というものは、「愛されたい、愛したい。認められたい、褒められたい」というものに集約されるという話をぼんやりした頭で聞かされた。
愛されたい。
そうだな、
俺はずっと愛に渇いて、もう死にそうだ。
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