赤い高層雲

 力なく、外の光景を見ている。眼球に力が入らない。一点に視点が定まらないからだ。頬杖をつくと、顎の骨を変形させて、顔が非対称に歪むと聞いたことがある。だが私は頬杖をついている。


 家々の濁流が前方から後方へ流れていき、今度は一面に田畑が広がる。するとますます都会っ気は薄れ、とうとう視界は青々とした山岳、河川、湖沼だった。見慣れたものである。


 住み慣れた我が懐かしき、慕いまつる望郷の風景。このめまぐるしき望郷の紙芝居を見るのはいくつかの機会に限る。上京時の春や、出産時の夏、人生の節目だがどれも私事。近年は家族のためだ、特に母の。孫の顔を見せるようにしている。


 みなかみにつくと、生気を著しく取り戻したような、激しさと柔和の入り混じった浮ついた気持を覚える。この歳になっても、人の親になっても、子供心はねづよく生きている。その気持を、このまちが忘れさせない。


 ひぐらしと赤い高層雲の夕刻に、父が酒を啜って呟いた。あと何遍だけ会えるんだろうね。

 息子は聞こえただろうけど、わけも知れずにはしゃいでいた。じいじ明日は釣りに行こう。父が振り返って笑った。


 蚊取り線香の煙と、父の煙草の紫煙がおり混ざって、仏前までこもっている。線香を焚くと、もはや何がどの煙か分からなかった。

 私は母に、また来ますから、と拝んだ。

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