第16話 ヤバい

 それはほんの一瞬、でもまるで永遠、とまでは行かなくても、だいぶ長い間、時間が止まっているように感じた。


「どうしたの、あんた? 奇遇じゃん!」


 と、玉枝たまえさんは無邪気に跳ねる。


 その際、志津子しづこさんに大きさこそ及ばないものの、一般的に見れば十分に大きく、また形の良いEカップが、たゆんと揺れた。


 あれ、まさか、ノーブラですか!?


「えっと……元則もとのりくん? こちらの方とお知り合いなの?」


「あっ、志津子さん……えっと、その……」


「……来栖くるすさん……あっ、もしかして、来栖彩香あやかさんのお母さんですか?」


「あ、はい、そうですけど……」


「あたし、きらめき高校1年2組、南条日向なんじょうひなたの母です」


「まあ、そうなんですか?」


 同じ高校に通う娘の母親同士と分かり、志津子さんの怪訝けげんな表情が解かれた。


「改めまして、南条玉枝と申します」


「ご丁寧にどうも、来栖志津子です」


「よろしくお願いします」


「こちらこそ。ちなみに、あちらが娘の彩香ですけど……」


 水を向けられた彩香は会釈をする。


「ああ、この前ノリ坊に聞いたんですよ、美人で有名な来栖さん母娘のことを」


「あの、ノリ坊って、元則くんのこと……ですよね?」


「ええ、そうです。この前、うちに遊びに来たので」


「……そうなの、元則くん?」


 一瞬、志津子さんが睨んだような気がした。


 俺は内心で冷や汗をかきつつ……


「え、ええ。その、玉枝さんの娘さん、日向さんに呼ばれたので」


「ああ、そうなの……」


 志津子さんはまた怪訝な表情を俺に向ける。


「あの、来栖さん。あたしから話題を振っておいてなんですけど、そろそろ仕事の方に……」


「そう、ですね……ごめんなさい」


「いえいえ。キッチン周りのご相談ですよね?」


「はい。ちょっと、蛇口の調子が……」


「じゃあ、ちょっと見てみますね」


 ラフな服装の玉枝さんは、サッと蛇口を見る。


「……パッキンの不具合かな、これは」


「パッキン、そうですか」


「今すぐ、ササッと交換しちゃいますね」


「お願いします」


 玉枝さんは1度離れてから、工具箱を持って来る。


 テキパキと手際よく作業して行く。


 その光景を、俺はついまじまじと見つめてしまう。


「……よし、これでオッケー」


 玉枝さんが試しに水を出すと、


「水漏れ、止まりましたね」


「はい、ありがとうございます」


「いえ、お安い御用です」


 と、玉枝さんは営業スマイルを浮かべて言う。


 ふと、その顔を俺に方に向けた。


「てか作業中、ずっとノリ坊の視線を感じたんだけど?」


「えっ」


「そんなにあたしのこと見ていたかったの? 本当にエッチな子だね~?」


「ち、ちがっ、俺は……」


 慌てて言葉をつむごうとした時、


「元則くん」


 と、志津子さんに呼ばれる。


「はい?」


「南条さんはマジメにお仕事中なんだから……そんなセクハラじみた目線を向けたら失礼よ?」


 と、初めてキツいことを言われてしまう。


「す、すみません……」


 俺はひどく肩を落とす。


「まあまあ、そんなことおっしゃらずに。あたしは悪い気しないってか、むしろノリノリなんで、ノリ坊だけに♪」


「た、玉枝さん……あざす」


「いえいえ、どういたまちて♡」


「…………」


 満面の笑みを浮かべる玉枝さんの背後で、志津子さんが顔をうつむけて押し黙っている。


「……あの、志津子さん?」


「……ごめんなさい、マジメでノリの悪い女で」


 ぷいっ、と志津子さんがそっぽを向いてしまう。


 俺は思わず唖然としてしまった。


 何とかフォローせねば、と思っている内に……


「そうだ、ノリ坊。今から、あたしと一緒に来る?」


「はっ?」


「ほら、この前、工務店の仕事に興味があるって言っていたでしょ?」


「あれ? 俺、そんなこと……」


 その時、玉枝さんが目をバチバチとする。


 もしかして、これって玉枝さんなりのフォローか?


 俺はチラと志津子さんを見る。


 やはり、今までに見たことなく、不機嫌な、不穏な顔をしていらっしゃる。


 確かに、これ以上ここにいるのは得策じゃないな。


「……そ、そうでしたね。じゃあ、ちょっと職業体験のつもりで、お世話になります」


「あいよ。じゃあ、あたしはこれで失礼します」


 玉枝さんはとびきりの笑顔を志津子さんに向ける。


「……ええ、お世話さまでした」


 志津子さんも微笑む。


 けど、その笑顔が、何か貼り付けたようで……怖い。


「じゃあ、ノリ坊。行くよ」


「……うっす」


 ルンルンとご機嫌な歩調の玉枝さん。


 俺はその後を追いつつ、最後にもう1度だけ、チラッと志津子さんを見た。


「…………」


 いつになく目を細めて、俺を睨んでいる。


 ちょっと、かなり、ヤバいかも。







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