第13話(遠藤遥視点、過去編)

私達兄妹には親がいない。


私が小学4年生、お兄ちゃんが6年生の時に交通事故で亡くなった。


トラックと正面衝突したらしい。

両親の亡骸を見ることは出来なかった。


悲しみと不安、そして置いていかれたことに対するやり場のない怒り。

色んな感情が綯い交ぜになった私は、お兄ちゃんの腕で泣き続けた。


トラックを運転している会社とは、祖父母が弁護士を通して話をつけてくれた。

多額の慰謝料を貰えたと言っていたが、いくら慰謝料を貰っても両親は帰ってこない。


自分の息子夫婦が事故にあって失くなったことよりも、慰謝料に目が眩む祖父母を見て、私は彼らと同じ屋根の下で暮らすことを拒んだ。


しかし、透も私も義務教育すら修了していない子供。

兄妹二人暮らしをすることなど到底出来ず、祖父母に引き取られた。


表面では両親の死を嘆く彼らに、憎しみが募っていくのを感じた。

加えて、お兄ちゃんはそんな彼らに媚びを売るかのように家事を始めた。

元々、両親と暮らしていた家でもお兄ちゃんはよく手伝っていたけれど、祖父母の家で文字通り身を粉にして働く姿を見て、何故そんな奴らに媚びへつらうのか、まるで意味がわからなかった。


私は、お兄ちゃんにも怒りを抱くようになった。



学校では腫れ物を扱うような態度を取られる毎日。

心無い同級生の発言には、問答無用で殴りかかった。


家に帰ると、お兄ちゃんが掃除をしていた。

家具を動かし、リビング全体を掃除している。

祖父母はそんな彼に何も思わないのか、ソファの上でテレビを眺めている。


異常だと思った。


それから数年。私は中学3年生になっていた。

透は高校2年生。

お互い同じ学舎に通っているが、会話はほとんど無かった。


私は身長も伸び、見た目だけでならば高校生、背伸びすれば大学生に見えるといつもつるんでいる女子に言われることもあった。


学校の授業はダルいが、高校では透と同じ奨学金を受給する予定だったので、成績だけは落とせなかった。


祖父母と私の関係は冷え切っていたので、家に帰ることすら億劫な私は仲のいい女子グループで夜遅くまで遊ぶようになった。



そんなある日。

いつも通り退屈な授業を聞き、友人達とカラオケで駄弁っていると、個室のドアが開き、数人の高校生?大学生くらいの男達が入ってきた。


何が起きているのか分からないまま唖然としている私を置き去りに、友人達は彼らと親しげに話している。

そして、男連中の1人が私の横、かなり近い位置に腰掛ける。


「遥ちゃんっていうの?めっちゃ可愛いじゃん!ホントに中学生?」


友人達から名前を聞いたのか、馴れ馴れしく話しかけてくるその男の顔面はとても醜悪に見え、返事をすることさえも嫌になった。


「んー。なんか固くね?ユリ。お前言ってたことと違うじゃん?」


男はユリ、同級生に軽い圧をかけるよう問いかけをする。

聞かれたユリは少し慌てて、


「ちょ、遥。どしたん?なんか愛想悪いよ?」


と、私に暗にこの空気に合わせろと伝えてきた。


傍に寄られるだけでも気持ち悪いのに、その上愛想よくしろ?

沸点の低い私は、その言葉に腹が立ち、無言でカラオケを出た。

呼び止める声が聞こえたが無視した。


店を出ると外はもう夜。時計を確認すると21時だったので、ファミレスでも行こうと人通りの少ない道を歩きだす私を、先程の男が呼び止めた。


「ちょ、遥ちゃん。どしたの?なんか機嫌悪そうだけど。カラオケ嫌だったん?」


嫌なのはお前だ。そう言ってやりたかったが、男は身長の高い私より更に大きく、無駄に挑発しても意味がないと思い、無視してあるき続けた。


「あれ?おーい。遥ちゃん?無視?酷くね!」


どれだけ無視しても着いてくる男に我慢できなくなった。


「無視してんだから着いてくんなよ。早くどっか行けよ。」


「おいおい、口悪くね?ちょまじ調子のんなよガキ。」


先程まで笑いながら話していた男の顔が赤くなる。

まじでキモい。


「調子のってないし。だから早くどっかいってよ。」


拒絶する私は、早くこの場から立ち去りたくて、駆け出そうとした時、男に強引に腕を掴まれた。


「おい、ふざけんなよ。てめぇ逃げれると思ってんの?」


「ちょ、離して!」


逃れようとしても掴まれた腕から解放されることはなく。


「まじ、先に一回ヤっとくか、これ。まじうるせぇ。」


ニヤケた顔で私の身体に視線を這わせてくる。


「いや、離してってば!」


耐えられず空いた手に持つ鞄を男に振りかぶるが、その手もまた掴まれてしまう。

両手を掴まれた恰好になった私は、改めて現状を把握し恐怖で足が震えだしてしまう。


「お?なに。ビビってんの?やっぱ可愛いとこあるじゃん。ちょっと静かにしてればいいんだから黙ってろよ」


男に引きずられる形で路地裏へと連れ込まれる。


「たす…けて…」


声を上げようとしても、大人の異性の暴力的な圧力に掠れてしまう。


「とりま、ホテル行くか。フロント居ないタイプの近くにあったっしょ。」


連れて行かれる場所が耳に入る。

その後に待っているであろう、より恐ろしい事態に頭が真っ白になりそうなのを懸命に堪え、


「ほんっとに、フザケンナ!」


男の足を蹴り飛ばす。一瞬怯んだ隙に逃げようとしたが、男の拳が眼の前に迫っていた。


「いってぇ、何すんだてめぇ!」


ゴス。私の頬を直撃し、その衝撃で地面に倒れてしまう。


強烈な痛みに思考が奪われた私の上に馬乗りになった男は、もう一度、私の頬をぶつ。


抵抗もできず、されるがままの私を見て男の溜飲は下がったのか、立ち上がり、私の腕を引いて無理矢理立たせる。


「まじ、これ以上抵抗すんなよ。」


ああ、もう。なんでこんなことになってんの。

腹が立つ。こいつにも私自身にも。

いつもいつも逃げてばかりのツケがこんな形で返ってくるなんて。


ホントに、最悪。ホントに…。


「助けてよ…透…。」


「そこの君!」


「あ?」「え…?」


「うちの生徒をどこに連れ込もうとしてるのかな?

もうすぐ警察が来るから、そこで詳しく話してほしい。」


振り返ると、私と同じくらい背丈で髪の毛をポニーテールにまとめた女子が立っていた。

制服姿は学校の高等部のもの。


「は?いや、えっと。さ?何もしてねぇよ?

うん。帰るつもりだったし?

お前もまじ調子のってないで、帰れよほら!」


しどろもどろに答える男。眼の前の先輩が言った警察がよっぽど怖いのか、あっさりと私を解放して立ち去ってしまう。


突き飛ばされる形になった私は、また地面に倒れそうになり、先輩に肩を支える。


「おお。ホントにうちの生徒だったのか。」


まるで、信じていなかったみたいな言草に、助けられたばかりの私はつい口答えをしてしまう。


「なんだと思ったんすか。てか、警察は?」


「ああ、いや。君、背も高いし、何かのコスプレ的なプレイなのかもと思ってね?あと警察は嘘。まぁあの男一人なら私でも対処出来そうだったし。」


は?何言ってるんだこの人。思いっきり顔面殴られてたじゃん私。てか、嘘かよ。


「それにしても中等部の制服か。

うーん。親御さんに迎えに来てもらう?」


…こんな事があったのだ。

親に迎えに来てもらうのが普通だろう。ただ、私の家は普通じゃない。


「いや、自分で帰ります。」


「そう?なら送ろう。」


「いや…、お願いします。」


断ろうとした時の目が笑っていなかったので、大人しくお願いする。


「うん。では行こうか。」


先輩と並んで歩く。


「そもそもなんで、あんな状況に?」


「友達と思ってた奴らに騙されたんすよ。」


「ほう。それはまた。

じゃあなんでそんなグループとつるんでたんだい?」


いつもなら無視するか、1言黙れで済ますところなのだが、助けられた恩なのか、それとも先輩の独特の雰囲気に当てられたのか、私は両親の死からの今までを先輩に話していた。


言葉にすると、本当に子供だった。いや、子供なのだが。ガキだった。


「なるほどね。辛かったね。

その透くん?お兄さんはもっと辛かったのかもね。」


透を慮るその言葉に理解が及ばなかった。


「え?」


「話を聞く限りだと、ご両親の死から今まで、ずっと祖父母との関係を壊さないようにしてきたんだろう?

普通なら君みたいに泣いてグレることもあるだろうに。

そんなこともなく、必死に君の世話をしていたんじゃないかな?」


「…」


「ああ。立ち入ったことを言ったかもだね。ただ、お兄さんはこれまで発散してきた君よりよっぽど溜め込んでいるのかもしれないって話だよ。」


その言葉は、ついさっき、文字通り顔を殴られたことよりも強い衝撃だった。


「…住所は、この辺りかな?」 


気付くと、もう既に祖父母の家のすぐ近くまで来ていた。


「はい。あの、ありがとうございました。本当に。」


先輩に頭を下げる。


「いやいや、大丈夫だよ。これからは付き合う人間を少しは考えてみたまえ。」


「…はい。」


「それじゃ。また。」


「あの!名前、教えてくれませんか…?」


お礼をしようにも、名前すら分からなければどうしようもない。同じ学校だとは分かるが生徒数の多いうちで探すのは至難の業だ。


「ん?ああ。名乗ってなかったね。

凛。林 凛だ。よろしくね?後輩ちゃん。」


これが、私と会長のファーストコンタクトだった。


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鍵を開け、音を建てないように家に入る。

祖父母は夜が早くに就寝し、朝早くに起きるため、もうこの時間はおきていないだろう。


私に割りあてられた自室に向かうには、リビングを通る必要があるため、薄明かりがつくリビングに入る。


「あ、おかえり。遥。」


透がダイニングテーブルに座っていた。

テーブルに並んでいるのは恐らく、私と透の分のご飯。

帰宅が遅い私を透は毎日こうして待っていた。

自分もお腹が空いているはずなのに。

私が友達(今はもう他人だが)とご飯を済ませてきたと言っても、嫌な顔ひとつせずに、ただ頷いて自分の食事を始める。


胸の奥が締め付けられるような気がした。


「あ、あれ?遥。その頬、どうしたの?」


その心配した顔、立ち上がりこちらに近づいてくる彼には、先程まで異性の怖さなど欠片もない。


「…なんで」


「え?」


「なんで心配するの⁉私ずっと透のこと冷たくしてたのに!なんでいつもそうやって!」


「…遥」


1度吐き出したらもう止まらなかった。


「透は!パパとママが死んじゃってからいつも1人で!ずっと1人でこの家で!

なんであの時泣いてくれなかったの!私1人だけ泣いて!私1人だけ逃げてばっかりで!」


透の目が少し見開かれる。


「私は…!私は、透に頼ってほしかった。掃除をてつだえって…、料理もやれって…何でも抱え込んじゃう透が見てられなくて…。」


涙が、溢れる。


吐き出す気持ちを整理することも出来ずに只々ぶつける。

小学生に出来ることすら、私は出来なかった。

俯き、顔を手で覆う私を、透は優しく抱きしめてくれた。


「ごめんね。」


透からの言葉にどれ程の気持ちが込められてきたのだろう。

独りよがりな私をいつも見守ってくれていた彼は、これまでどれほど辛い気持ちを押し殺してきたんだろう。


私は…


「ねぇ、透」


「ん?」


目に涙を貯めた彼を。


「泣きたかったら、泣いていいんだよ?」


癒やしてあげたい。

愛してあげたい。

救ってあげたい。

心の底からそう思った。

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