30湯目 天下分け目

 9月15日(日)、その日がやってきた。


 のどかちゃんの卒検だ。しかも、これで彼女は「三度目」だった。「三度目の正直」という言葉がある。


 もはや私たちは、それにすがるしかなかった。


 二回目までは、美来ちゃんが見守って、というか付き添うようにしていたらしいが、三度目になると、彼女は諦め気味だった。


 その証拠に、私と花音ちゃんが、自動車学校まで駆けつけると、

「お疲れっす。まあ、のどかはもう無理じゃないっすかねえ。天下分け目の決戦には勝てませんね」

 と、ひらひらと手を振って呟いた。


「天下分け目?」

「知らないですか? 今日、9月15日は、関ヶ原の戦いがあった日なんすよ」

 妙なことに詳しいと思って、突っ込んで聞いてみると。


 天下分け目の戦いと言われた、戦国時代末期の大戦、「関ヶ原の戦い」が行われたのは、慶長五年(1600年)9月15日だという。

 ただし、それは「旧暦」でのことで、新暦、つまり現代の太陽暦で言うと、10月21日のことらしい。


 私でも関ヶ原の戦いくらいは知識としては知っていた。西軍・石田三成と東軍・徳川家康が美濃(現在の岐阜県)の関ヶ原で激突したものの、西軍・小早川秀秋の裏切りにより、東軍が勝ったというもの。


 その後徳川家康による江戸幕府の開府と共に、通常、日本史の授業で必ず習う。


「言っちゃ悪いっすけど、のどかは西軍の石田三成みたいなもんっすね。勝ち目なんてないっすよ」

 美来ちゃんの一言は、いつになく辛辣だった。


 完全に、「諦観ていかん」の念の籠った目で、すでにゼッケンをつけて、自身の試験を待つ、のどかちゃんに注がれていた。


 ちなみに、私たちは二輪卒検が行われる、会場から少し離れた、教習所の建物前にあるベンチに座って眺めていた。

 ここからだと、コースの一部を含め、広く見渡せるからだ。


「そうかな。もしかしたら、大谷刑部ぎょうぶみたいに奮戦するかもよ」

 大谷刑部吉継よしつぐ。天才的な軍略センスを持ちながらも、親友の石田三成のため、不利な西軍につき、病を押して輿こしに乗って戦ったが、彼は小早川秀秋の裏切りさえ予見していたという。


「瑠美先輩。大谷は奮戦しましたが、敗れて自害してますよ」

 隣で、花音ちゃんが溜め息を突いていた。


「じゃあ、島左近さこん

「島左近も奮戦してますが、討死してます」

 島左近。石田三成の副将と言われ、猛将として知られた男だ。


「瑠美先輩。それを言うなら、島津じゃないっすか?」

「ああ、島津ね。確か敵中突破して生き残ったんだよね」


「そうっす」

 島津の敵中突破。関ヶ原の戦いにおける、島津軍は、元々、石田三成が嫌いで、乗り気ではなかったという。そのため、戦いが始まっても積極的には動かなかった。


 ところが、小早川が裏切り、西軍が崩れていく中、孤立した島津軍大将の島津義弘は、あろうことか、後ろに退却ではなく、「前に退却」という前代未聞の荒業あらわざをやってのけている。


 このあまりにも突拍子もない攻撃に、東軍は驚き、多数の死傷者が出る有り様。

 結局、徳川家子飼いの猛将、井伊直政や本多忠勝、家康の息子の松平忠吉ただよしらの追撃を振り切って、無事に故郷の薩摩さつま(現在の鹿児島県)まで落ち延びたと言われている。


 そんな謎の「関ヶ原談義」をしている間に、いつの間にか彼女の番が回ってきていた。


 見るからに、緊張しているようなのどかちゃん。


 さすがに私も心配だったが、その表情は「吹っ切れた」ような顔だった。


 実は試験前のわずかな時間。私は彼女に声をかけたのだ。

 アドバイスはしたが、むしろ「心持ち」の問題を伝えたかったからだ。


「いい、のどかちゃん? 一本橋はニーグリップを意識して、遠くを見つめて、思いっきり行くだけ。あと時間は気にしなくていいわ」

「は、はい」

 時間と言ったのは、一本橋やスラロームには「走行時間」という制限があり、そこから逸脱すると減点されるのだ。珍しく私がまともなことを言ったのに驚いたのか、花音ちゃんは目を丸くしていたが、緊張気味の、のどかちゃんの背中を私は軽く押した。


「大丈夫。落ちたって死ぬわけじゃない。思いっきりバイクを楽しんできて」

「はい」

 その一言に、彼女は大きく頷いた。


(きっと大丈夫)

 私は、彼女を信じていた。


 ところが、実際、試験が始まると、不安な気持ちが湧き上がってきた。


「いきなりバイクにまたがりましたよ」

 花音ちゃんが言うように、乗る前に前後を確認するのを忘れている。通常、バイクにまたがる前に確認が必要だ。


 さらに、

「あちゃー。あの子、道間違えとるわ」

 のどかちゃんが走り出した途端に、一緒に教習を受けていた、美来ちゃんがめざとく指摘していた。


(大丈夫かな)

 さすがに不安になってくる。ちなみに、卒検では減点方式が取られるので、最初の持ち点からどんどん点数がマイナスされていく。だが、確かコースを間違っても減点にはならなかったはずだ。


 そして、最も懸案であるとされた、一本橋に差し掛かる。

(がんばって、のどかちゃん)

 ここまで来ると、祈るような気持ちになる。


 彼女は、のどかちゃんは最初の坂ですでにフラフラしていたが、何とか落ちることなく、台に上り、後は一度もコースから外れることなく、無事に渡りきった。


「よっしゃ」

 美来ちゃんが、思わず小さくガッツポーズをしていた。


 そのままS字、クランク、そしてスラローム、急制動と続き、何とかそつなくこなして、コースを周回し、スタート地点に戻ってきた。


 最後は、ハンドルを曲げて、バイクを降りる。


 試験は終わった。


 後は結果待ちだ。


 結果は、その日の午後に知らされることになった。

 昼食後、私たちは、のどかちゃんに従って、教習所の入口横にあるスペースに行く。


 そこで、合格者の発表があるとのことだった。


 そして、

「ゼッケン11番、安房さん」

 ついに名前を呼ばれたのだ。


「おめでとう!」

「良かったじゃん」

「やったな、のどか!」

 私たちは、彼女の笑顔に祝福の言葉を投げかける。


 ようやく、三度目にして、彼女は無事に普通自動二輪試験に合格したのだった。

「だから言ったでしょ。のどかちゃんは島津だって」

「いや、それ負けてますからね。それを言うなら徳川家康でしょう」

 すかさず、花音ちゃんに突っ込まれていた。


「島津? 徳川家康? 何のことですか?」

 キョトンとした表情の、のどかちゃんに私たちは笑顔のまま、関ヶ原の戦いのことを語るのだった。


 こうして、1年生の安房のどかが、バイクに乗ることになり、全員が「バイク乗り」となる。

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