第53話サイモンによるピアノレッスン第一回目 午後のカリキュラムはコンサート

翌朝の直人は、午前10時から、ライブバーのピアニスト、サイモン(約20年前のショパンクール優勝者)による、ピアノレッスン。

場所は、ホテル2階のレッスン室。

裕福なホテル・アフロディーテらしく、アップライトのピアノながら、スタインウェイ社のもの。

練習内容は、最初1時間が、基礎的な楽譜(音階、バイエル等)。

その後の1時間が、バッハのパルティータ。


直人にとっては、久しぶりの本格的な練習とレッスン

かなりな緊張の中で、弾くことになった。


サイモンからの技術的な指示は、ほとんどない。

「大きく、弱く」

「遅く、速く」

途中、指示としては、その4つの言葉しかなかった。

つまり、ピアノ演奏についての「評価」を話されない。


ただ、「評価」に結び付くようなコメントとしては、基礎練習の終わりと、バッハの終わりの時に、冷めた顏で言われた「君は、自分自身に満足しているのか?」だけ。


直人は、背中をビシッと鞭で叩かれたような「痛み」さえ覚えた。

「全く、練習不足で申し訳ない」

「弟子としては、失格のようです」

(この時点で、支配人から貰ったピアノは返そうと思った)

(とてもショパンコンクール優勝者の前で弾くピアノではなかった)

(近所の音大卒程度のおばさんに、習っただけで、レベルが違い過ぎる)


ただ、サイモンは首を横に振る。

「師匠は、弟子を伸ばすものだ」

「君のピアノは、まだ自分で評価できない程の子供」

「幸い、変な癖がついていない」

そこまで言って、ようやく笑った。

「来週もレッスンするよ」

「直人君自身が、満足できるピアノを期待します」

「僕にも、人を育てる楽しみを与えて欲しい」

サイモンは、そこまで言って、あっさり姿を消した。

(直人は、頭を深く下げて、見送った)


少し「ぼおっと」なっている直人に杉本瞳。

「サイモンさんの期待に答えましたね」

「滅多に弟子を取りませんから」


直人は首を横に振った。

「練習不足を見抜かれていた」

「とても、付け焼刃では、聴かせられない先生」

「でも、ラッキーだ」


南陽子がタブレットを持ち、午後からのカリキュラムを説明。

「午後は、選択が可能です」

「一つは、ホテル・アフロディーテ管弦楽団のコンサート」

「尚、メンバーは欧米のトッププロで亡命者たちです」

「本日はブラームスプログラム」

「大学祝典序曲、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第3番」


「あるいは、映画鑑賞です」

「かなり古い映画ですが」

「ルキノ・ヴィスコンティ監督のルードヴィッヒ」


直人は迷わなかった。

「映画はビデオでも見られるので、コンサートにします」


杉本瞳が、深く頭を下げた。

「それならば、お着替えをしていただきます」

「とある姫君とペアシートを設定します」


直人は、泰然としている。

「このホテル・アフロディーテで、一々驚いていては、身体も心も持たない」

「誰が出て来ても、普通に接するだけ」

「一癖二癖、どうせ何かあるだろうから」

「今日のピアノの失敗で、逆に度胸がついたのかな」


自分の部屋での帰り道、窓から見える紀州の青い海は、ひと際輝いていた、

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