第5章 元の世界へ
第54話 挨拶まわり
「えー、もう帰っちゃうの?」
冬の昼下がり、朔子さんと3人で行った小洒落たカフェで、ナオ君が不満そうに口をとがらせる。
「せっかく仲良くなれたと思ったのに」
「ごめんなさいね、こればかりは会社が決めることだから…」
朔子さんが代わりに謝ってくれている横で、私は情けなくうつむき、無言でオムライスを口に運んでいた。甘酸っぱいケチャップで味付けしたご飯をふわふわの卵で包んだオムライスは私の好物だったが、この時は何だか味がしなくて、おいしく感じられなかった。
私が退職の決意をアケボノさんに伝えたのは、2日前、吸血鬼病対策会議の終わった後、リンドウさんが私の今後について意見し始めたときだった。あの時は雰囲気に流されてリンドウさんの勧める通り「辞める」と答えてしまったのだが、本当にそれでよかったのだろうか。いや、よかったのだろうか…と言っても、もう決まってしまったことなので、今更どうにもならないのだが。
アケボノさんはその場で私の辞職を認め、その日から1週間後の日付を契約終了の日付とした。つまり、私がこの世界にいられる時間、この職場にいられる時間は今日も含めて5日間しかない。いくら引っ越し準備の必要がないとはいえ、1週間で出て行けというのは無理があるのではないか、退社の日付は本人と話し合って決めた方がよいのではと朔子さんが抗議したが、アケボノさんは、事態が差し迫っているので、避難してもらうなら、なるべく早い方がいいでしょう、あまり出発の時期を先送りにすると、吸血鬼病の混乱がひどくなって、私たちも島村さんを安全に送り届けるどころではなくなるしれません、といつになく厳しい表情で譲らなかった。
普段飄々としていて、大抵のことには動じないアケボノさんがこれだけ深刻な顔つきをしているのだから、元の世界に帰ったら最後、もう天界交通の面々をはじめとするこの世界の仲間たちには2度と会えないかもしれない。そう思った時にちょうどナオ君から、学校が冬休みに入ったので一緒にヤエちゃんのお見舞いに行かないかとメールが来たため、お見舞いの後、食事の席を設け、こうして別れの挨拶をすることとなった。
「よくわからないけど、元気でね」
ナオ君は、そう言ったきり、不機嫌な様子で黙り込み、私たちとは目を合わせなくなった。帰るときもこちらを振り向くことなく、早歩きで立ち去ってしまったので、相当彼を傷つけるか悲しませるかしてしまったのだなと自己嫌悪に襲われた。
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