第51話 山奥の療養所(3)

 予想はしていたが、窓のない地下階は暗くて、かなりじめじめとしていた。蛍光灯の人工的な光だけが不気味に廊下を夜のような色合いに照らしている。私は医学のことなどもちろん全く詳しくはないが、湿度が異様に高く、換気もイマイチで、掃除が行き届いていないのか埃っぽく、空気のよどんでいるこの環境が、病気の治療にいいとは思えなかった。

「こちらです」

 案内役の職員が、廊下の突き当たりにある、1番奥の部屋の前で立ち止まる。

「患者様に襲われる危険があるので、部屋の中には入らず、鍵も扉も閉めたまま、外から様子を見ていてください」

 そう言い残して、職員は足早に去っていった。この町では天界交通をはじめとするバス業界だけでなく、医療の世界でも人手が足りていないようだ。医師も、看護師も、事務方の職員も、皆忙しそうで、場所を動くときは常に早歩きで移動している。これじゃあ他の人以上に細やかな対応が必要な重症患者さんたちのこともゆっくり見られないだろうなと思う。ヤエちゃんはきちんと必要なケアを受けられているのだろうか。

 ヤエちゃんの入院している個室(だけでなく、他の患者さんの病室もそうだった)には廊下の天井に設置されていたような、棒状の蛍光灯はなく、薄暗いオレンジ色の光を放つ電球式の小さなランタンが、ベッドサイドの小型テーブルに無造作に置かれているだけだった。いくら元・監房だったとはいえ、こんなに暗い部屋では病人の気が滅入り、治る病気も治らなくなってしまいそうだ。お金がなくても、照明設備だけは早く改善してほしいと思った。個室どころか廊下にもエアコンやクーラー、ストーブなどの空調設備の姿がないのも気がかりだった。今はただ使わないから仕舞っているだけで、必要な時には倉庫から扇風機なりヒーターなりを出してくれるのだと思いたい。幸い、今日は冬にしては暖かい日で、建物の中に入ればそれほど寒さを感じなかったので、別に空調がなくても問題なくしのげそうだったけど…。こちらの世界でも温暖化が進んでいるのだとしたら、それはそれで素直には喜べない。

 一方のヤエちゃんは、病院の設備の不備など気づかない様子でベッドに横たわり、すやすやと眠っている。最後に会ったときより頬がこけ、掛布団からはみ出した華奢な足首もさらに細くなっている。見るも無残にやせ衰えた両の腕には、点滴の管がそれぞれ1本ずつ取り付けられており、もしかすると口から栄養を摂れないほどに体が衰弱していて、やむを得ず点滴で栄養剤を流し込んでいる状態なのかなとますます心配になる。もう1つの薬液パックについても、狂犬病で凶暴化した犬を暴れないよう麻酔で眠らせておくという話をどこかで聞いたことがあるので、ひょっとしたらそれと同じで、吸血鬼病で粗暴になった人たちも睡眠薬を投与されているのかもしれなかった。私の想像が当たっていれば「安全のため」に身体の自由を奪われたかもしれない、ヤエちゃんのすっかり弱々しくなってしまった姿をもう見ていられなくなって、私たちは5分ほどで彼女の病室の前を後にした。

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