第50話 山奥の療養所(2)

 朔子さんの家を出て、彼女の家から徒歩10分の最寄りのバス停に向かう。朝9時とだいぶ遅いのに、休日だからか、それともこの町の人口が少ないせいか、停留所には私たちの他に誰もいなかった。道にも車や人の姿はない。

「今日も空気が澄んでいて、いい天気ですね」

 朔子さんがのんきに言う。

「ヤエちゃんは元気にしてるかしら」

 療養所に隔離されているくらいだから元気なはずないだろうと思ったが、心優しい朔子さんの手前、正直に口に出すのははばかれた。何より、私だってヤエちゃんに無事でいてほしいと願っているのは同じだった。それに、ナオ君がメロンを差し入れに行ったということは、おそらく人が会いに行っても危険がない状態なのだろうし、もしかすると果物を食べられるくらいには回復しているのかもしれない。何の根拠もないのに絶望するのはやめようと思った。

 療養所行きのバスは定刻より20分ほど遅れてやってきた。

「悪いな。途中で吸血鬼の群れに囲まれてしまって。迂回してたらこの時間だ」

 運転席から顔をのぞかせたウィルさんが苦笑いする。そういえば、彼は本来の営業所所長の仕事のほかに、路線バスの運転手の仕事も任されていたのだった。今月も吸血鬼病の蔓延を恐れた運転手が1人、まだ患者の少ない北部地域へ避難するために会社を辞めている。おかげで先月末に出されたシフトでは今日は休みだったはずのウィルさんが急遽駆り出されることになった。新しい人が見つかってウィルさんが早く休めるようになればいいのにと思うけれど、この感染状況で人を集めるのはなかなか難しいのかもしれない。町に人の姿が少ないのも、感染を恐れてのことなのじゃないかと今更ながら気づく。隣にいる朔子さんがお疲れ様ですとウィルさんに頭を下げた。私もあわててそれに倣った。


 私たちがバスに乗ってから1時間ほどで見えてきた、この路線の終点である療養所の建物は、天界交通第一営業所と同じく、独裁の時代に、政治犯や思想犯を収容するために作られた牢獄を再利用したものだった。1階の看守や訪問者のためのスペースが受付やスタッフの控室、軽症患者の病室として使用され、隔離が必要な重症患者は、地下にある鉄格子付きの元・監房に入れられていた。

 私より少し前を歩いていた朔子さんが、1階玄関脇の受付で、自分の氏名と面会したい患者の名前、入院している病室を告げる。受付の人の案内によると、ヤエちゃんのいるA-15号室は地下1階、旧独房の1番奥の部屋だということだった。覚悟はしていたが、彼女が重症だとわかって気分が憂鬱になる。私が会いに行ったところで、私のことがわからないかもしれないし、最悪の場合、意識が戻らず眠ったままの状態になっているかもしれない。私は、重い気持ちのまま、案内役のスタッフと朔子さんに続き、 地下階に続く階段を降りていった。

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