第42話 バス・チェイス(2)

 アケボノさんも異常に気づいたらしく、大騒ぎせず、冷静な対応を、とこちらにアイコンタクトを送ってくる。小さくうなずき返し、さりげなく視線を一巡させると、吸血鬼は私が見つけた1体だけではなく、全部で7体いて、バスを取り囲むように立っていた。相手がこれだけいれば、中にいる側も、誰かしら相手に気が付きそうなものだが、お客さんたちは隣の人とのおしゃべりに夢中だったり、手元のお土産を愛おし気に見つめていたり、眠っていたりして、誰1人として、この恐ろしい状況に気付いていないようだった。後ろの方の窓を、バスによじ登り、屋根から逆さになってへばりついていた1体が勢いよく叩いたところで、車内にようやくどよめきと悲鳴が上がる。アケボノさんが、私にしか聞こえないような、小さな声で、ぼそりとつぶやく。

「まずいですね…このまま気づかないでいてくれたら、知らないふりして帰れたのに…これではしっかり駆除しないと面目が立たなくなってしまいます」

 私も同感だった。天界交通のバスの窓ガラスは全て防弾ガラスなので、人が思いっきり殴ったところで割れることはない。中にいる人間が窓やドアを開けない限り、外にいる吸血鬼は手の出しようがないのだ。それに、屋根に登ってしまった1体はどうか知らないが、後の地べたにいる6体は、ひとたびバスが走り出してしまえば、走っても追いつけず、置いてきぼりを食らうので、わざわざ追い払ったり、やっつけたりする必要もない。乗客さえ気づかなければ。

「発車します。安全のため、シートベルトがしっかり締まっていることをご確認ください」

 アケボノさんはそう宣言すると、アクセルを踏んだ。信号はまだ変わっておらず、赤のままだった。空いている反対車線に出て、止まっている前の車を追い越したところでまた元の車線に戻る。朔子さんにも負けない危なっかしい運転というか、警察がいればすぐに摘発されそうな、完全な交通ルール違反だが、アケボノさんのことなので、何か考えがあってのことなのだろう。いや、お客さんがパニックになると大変なので、騒ぎが大きくなる前に決着をつけたい、そうなると信号を待つのもまどろっこしい…とか、案外その程度のしょうもない理由なのかもしれないが。

 バスはぐんぐん加速し、海沿いの道に出た。左側には理科の教科書に載っていた伊豆大島の「地層大切断面」を思わせるような、アーチ状に丸く曲がって折り重なった地層がみえていて、右側には青い海が広がっている。今まで(とは言ってもほんの数か月のことだけど)私が案内してきた中で、1番好きな風景だ。もし無事に元の世界に戻れたら、以前撮っておいた写真をみのりやチハ姉にも見せてあげたい。

 一方、吸血鬼は、バスの後ろの方から、運転席横の窓まで移動し、アケボノさんを狙っているようだった。運転手を倒せばバスの動きを止められるとわかっているらしい。もともと人間だった(今も人間なのかもしれないが)ので、それをわかっていても何の不思議もないが…。先ほどの信号からここに来るまでの間、かなりのスピードが出ていたのに、この吸血鬼は振り落とされるどころか、屋根を伝ってバスの後ろから前まで動いている。この人は吸血鬼になる前から身体能力がそれなりに高かったのかもしれない。それとも、この病気にかかれば、どんな人でもこうなるのか。

 バスは急カーブに差し掛かった。アケボノさんがスピードを緩めなかったので、そのままの速さでカーブに入ったバスは、左側に大きく傾く。窓の辺りに張り付いていた吸血鬼は、急な傾きによって車体から足が離れてしまい、腕だけでぶら下がっている状態になる。敵の体が不安定な宙ぶらりんになったところで、アケボノさんが運転席の赤い怪しげな「緊急ボタン」を押すと、いつぞやのロボットアームが車体横から伸びていき、吸血鬼の体を眼下へ広がる海へと叩き落としてしまった。

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