第41話 バス・チェイス
「皆さんいらっしゃることが確認できましたので、出発いたします。安全のため、シートベルトをしっかりお締めください」
車内にいる乗客の人数を数え、参加者全員が時間通り戻ってきたのを確認した私は、いつも通り(自分にしては)落ち着いた声で発車の合図をした。乗っている人や走るコースは日によって違えども、結局は毎日同じようなことの繰り返しなので、仕事をする中で大きな感動や喜びを感じることは滅多にないのだが、今日も、何事もなく、ツアーの全行程を終えることができたことに、とりあえず、安堵する。
でも、ゆくゆくはここでの小遣い稼ぎ(…にしては正社員で、難しくて、それなりに待遇も良くて、立派な仕事だが)をやめて、元の世界に戻り、進学して、卒業の後また別の仕事を見つけなくてはならないのだろうとも思っている。しかしどのタイミングで切り出したものか。考えるのが嫌になって、窓の外を見る。アメリカのグランドキャニオンを思わせる赤い鉱山。この岩山の前なら飽き飽きするほど何度も通った。研修で朔子さんの高速運転について行けず困っていた時の練習コースも、この山を通るルートになっていた。嫌な思い出のある場所だが、もう二度とみられないかもしれないと思うと寂しくなる。もう、やめたいのか、続けたいのか、帰りたいのか、残りたいのか、自分でもどうしたいのかがわからなくなってしまった。
信号に差し掛かり、バスはゆっくりと停車する。この信号を抜けたらすぐ解散場所のバスターミナルにつくので、本日分の仕事ももうじき終わりだなと思っていると、私が立っている運転席横、前の乗り降り口ドアの1つ後ろの窓に、何かがドンとぶつかった。見ると、見知らぬ男性が窓の向こうからこちらを凝視している。しかしその目に光はなく、焦点も合っていないように見える。この時私はその人の方を見ていたのだが、相手は私が気づいていないと思っているのか、再び窓をどんどんと右の拳で叩くのだった。だらしなく半開きになった口からは、人間にしては太く大きな犬歯がちらりと見えた。もしかして、これは…。
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