第39話 行くべきか、残るべきか

 朔子さんからの報告を受け、今回の事件を知ったアケボノさんは、私の心情を気遣ってか、疲れているだろうし、しばらくは仕事を休んでもいいと言ってくれた。それでも私は、先月末に決まったシフトの通り、事件の翌日から普段と変わらず出勤した。仕事で忙しくしていないと、檻の中にいるであろうヤエちゃんのことばかり考えてしまい、無力感と悲しみに押しつぶされそうだったのだ。

 最後の仕事になるはずだった小学校の宿泊行事の添乗業務にも、バスガイドとして予定通り参加した。私以外に添乗員がいなかったので、荷物のバスへの積み下ろしも、仕出し弁当の管理と配布も、全て私が行った。もちろんそれに加えてバスガイド本来の仕事である車窓案内やレクリエーションの司会進行もあったので、なかなか大変だったが、不思議と疲労感はなかった。こちらの宿泊行事の引率についたことで自分の修学旅行に参加できなくなったことについても、何の感慨もなく、ああ、そうなのか以上の思いは出てこなかった。何だか、気分が落ち込むあまり、全てがどうでもよく感じられた。

 

 淡々と日々の仕事をこなしているうちに季節は流れ、冬になった。空気が乾燥してきたのか、街中でも、私が案内役を務めるバスの中でも、マスクを着けている人の姿が多くなった。こちらでも寒い季節になると、インフルエンザやそれに類する呼吸器系の感染症が流行するのだろうか。何年か前に全世界中で蔓延したある肺炎のことを思い出して心が暗くなる。幸い、私の知り合いの中でその病気にかかって亡くなった人や、重い後遺症が残った人は出なかったが、感染予防のための外出自粛は、家庭環境に恵まれない私にとってはつらいことだった。普段遊び歩いていて一向に帰ってこない母親が家にいるようになったのは良かったのだが、その母親に連れ込まれて居座るようになった彼女の若い恋人が問題だった。彼は失職中ということもあってか荒れ気味で、気に入らないことがあればすぐ私を殴りつけた。こちらはウイルスの感染拡大のため学校が休校になっていて、逃げる場所がなく、さらに悪いことに、あの男は別の意味でも私に目を付けたようで…いや、その先は思い出さないようにしよう。気持ち悪くなって、仕事ができなくなってしまう。

 

 一方、元の世界ではなく、こちらの世界で問題になっている吸血鬼病はと言えば、特に状況の進展も悪化もないようだった。天界交通では、銭湯での事件以降、被害の拡大を懸念したアケボノさんの依頼により、リンドウさん率いる自警団から吸血鬼に関する情報を定期的に流してもらえることになったのだが、ヤエちゃんとその母親の陽性・発病が報告されて以来、新規の感染や被害は出ていないようだ。このまま何もなければいいのだけれど…。

 仕事の合間の休憩時間にたまたまその話になり、感染が落ち着いてきて安心していると私が伝えたとき、アケボノさんは難しい顔でこう応えた。

「しかし、終息したという発表はまだどこからも出ていないようですからね…自警団も、本当に感染がないから報告しないのではなく、被害の対応で忙しく、報告する時間が取れないから報告できていないだけなのかもしれません」

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