第32話 警告(5)

 男が案内したのは、普段自警団が集まりに使っているという、小さな食堂だった。いつもならほかの飲食店同様、この店も夜は閉まっているようだが、店主と顔なじみの男が、その場で電話して無理に開けてもらったらしい。


「ここはおでんがうまいんだ。今日はもう、余りものしか出せねぇって言ってるけど」


 男はリンドウと名乗った。黒いタンクトップに、足首のところだけが細くなっていて、他はダボっとしている、とび職風のズボン…確かボンタンというのだっけ…を合わせていた。丸出しになった、筋肉質で太い腕が、以前私の家に入り浸っていた、母の何人目かの恋人を思わせて怖い。下手なことを言ったら殴られそうだ。


「手羽先が余ってるんだが、あんたらも食うか」


 私は恐る恐る首を横に振った。きちんと言葉で返さなくてはと思っても、相手が怖い雰囲気の人だと、体が縮こまって、思うように声を出せなくなってしまう。朔子さんは、さっき食べたばかりなので結構ですと冷たい口調で言い放っていたので、少なくとも私よりは気が強いんだと思う。ただ単に、ヤエちゃんの件で、この人に対する怒りがまだ冷めていないだけかもしれないが。


「ええと…サエだとかミエだとかいうあのガキが、俺らに捕まった時、果物屋の太っちょにかみついたっていうのは、もう知ってるよな」


 私はうなずいた。その話なら、事件当日、まさに目の前のリンドウから聞いている。


「その噛まれたオッサンがさ、噛まれて3日くらいしてから、急に高熱出して、1週間くらいは寝込んでたらしいんだわ。商店街の連中は、噛まれた精神的なショックで熱が出たのか、ただの風邪じゃないかって言ってるけど、他にも怪しい症状があるからな…」


 例えば、以前より極端に飯を食わなくなったとか、夜にトイレだの水飲みだので頻繁に起きるようになり、昼間は眠気でふらふらになっているとかな、とリンドウは小声で続ける。


「果物屋の辺りではまだ人間の被害は出てないんだが、昨日か一昨日あたり、野良犬が首に穴開けられて死んでるのが見つかったから、もしかしたらアレ…吸血鬼のことだよ…が出たのかもしれねぇな。まだ果物屋がドラキュラもらったかは分かんねぇし、そもそも噛んだ方の女の子が患者かどうかも怪しいとこだが、一応、そのタエって子には気を付けた方がいいぜ」


 何というか、縁起でもない言葉だった。


 リンドウと別れた後、帰りの車の中で、私は先ほどの話について考えていた。吸血鬼かもしれないヤエちゃん、だけどリンドウの話を聞く限り、まだ決定的な証拠はない。疑惑の情報源であるリンドウも、今日会ってみた感じだと、本当に私たちのことを心配しているようで、それほど悪い人には見えなかった。それでも彼が力のない幼い子供を一方的に殴りつけたろくでなしだということに変わりはなく、またそうでなくとも、リンドウの話し方や、立ち居振る舞いからは、どこか雑で、間の抜けているような印象を受けたので、彼の話をどこまで信用していいのかはわからなかった。

 朔子さんに相談すると、今のところは何とも言えないので、今はただヤエちゃんの様子にさりげなく気を配るようにしましょう、念のため、ウィルさんや黒砂さんにも伝えておいて…との助言が返ってきた。


 営業所に帰ると、玄関の段差のところに、ヤエちゃんが座っていた。

「遅かったね」

 相変わらず感情の読み取りづらい仏頂面で彼女は言う。

「全然眠れないんだけど」

 いつもよりほんの少しだけ語気を強くして、私の手を引っ張る。連れていかれた先はヤエちゃんと私が寝室として使っている、面会室だった。

「別に寝なくてもいいから、そこにいて」

 手で示された先には、パイプ椅子が置かれていた。

「眠れるまで、ヤエのこと1人にしないでね」

 そう言って、照れくさいのか、寝返りを打ってこちらに背を向ける。年相応の細い肩を見ながら、私は、こんなかわいい子が吸血鬼のはずがないと、愚かにも勝手に決めつけてしまっていた。病気や体質、種族にかわいい、かわいくないは関係ないということぐらい、わかっていたはずなのに。その油断がまさかあんな事態を招くなんて、この時は夢にも思っていなかった。

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