第25話 子育て営業所
「はい、皆さまいらっしゃることを確認できましたので、出発いたします」
本日のツアーに参加する乗客の名簿、乗車時に回収した切符、実際に車内にいる人数の3点を照らし合わせ、全員の乗車が確認できたところで、私は出発のアナウンスをした。
「急ブレーキに備え、シートベルトをしっかりとお締めください」
運転手の朔子さんがバックミラー越しに微笑み、親指を立ててOKのサインを出してくれる。彼女の運転は、私というへぼな相方(とはいっても、時速120㎞の車の中で立っていられないのは普通か)がいたおかげか、だいぶおとなしくなり、問題のグランドキャニオン似の岩山を含めた、全行程において時速40㎞から60㎞の安全運転で走れるようになった。その恩恵を受けて私も晴れて「合格」となり、こうしてお客さんの前に立たせてもらっている。
バスにはいろいろな人が乗っていた。私の話を熱心に聴いてくれている様子の人、窓の外を見ている人、せっかくの絶景巡りなのに寝ている人、隣の人とのおしゃべりに夢中になっている人、黙々とスナック菓子を食べている人、そして朔子さんに熱い視線を送る人々…。最後の1つは密かに朔子さんを敬愛する身としては許せないことだが、娯楽が少なく、芸能界も未発達な社会では、身近な美人がアイドルになるのだと思い、仕方ないかとあきらめることにした。
それはさておき、私の下手な仕事ぶりに注目が集まらなくてよかった。いくら合格をもらったとはいえ、見習いには変わりなく、やっぱりバスガイドは不慣れで、アナウンスの途中で噛んだりつっかえたりするのは日常茶飯事だった。たまに案内する内容を忘れることもあるので、カンペは常に制服(例のメイド服)のエプロンのポケットの中に隠し持っている。本当にこんな具合で一人前になれるのかなと不安に思いながら、この日も仕事を終える。実際にお客さんのいる現場に出たのはまだ数えるほどしかない。
私を乗せた回送のバスは、行きの集合場所でもあり、帰りの解散場所でもある駅前のバスターミナル(この世界には鉄道もあるらしい)で乗客を降ろした後、引き続き朔子さんの運転で第一営業所へと戻っていく。研修期間が終わってからは、私の主な職場は、本社から、住居も兼ねる第一営業所へと移った。朝起きて着替えたら、そのまま駐車場に停めてあるツアー用のバスに乗り、お客さんたちとの待ち合わせ場所まで移動、ガイド業務に従事し、ツアーが終わったら営業所に戻ってきて、新人向けの「振り返りシート」なるものを記入する。その後必要に応じて掃除などの雑務や、先輩社員の事務仕事を手伝い、終業時間になったら、私服に着替え、夕飯を食べて「面会室」で寝る…というのがいつもの流れだった。
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