第2章 新入社員と不穏な噂

第20話 揺れる十四の心

 異世界で迎える初めての休日の朝、私は第一営業所の中庭に設けられたレンガの台の上に、朔子さんにもらった卓上カセットコンロを載せ、フライパンでハムエッグを焼いていた。ただでさえ室内備え付け用のきちんとしたものと比べて火力が弱いのに、風があるのであおられてますます火が頼りなくなる。卵料理はすぐ熱が通るからいいけれど、やかん一杯に水を入れて湯を沸かすとなると、相当の時間がかかりそうだった。ウィルさんが楽しみにしている「食後のコーヒー」はもう少し辛抱してもらった方がよさそうだ。


 私が異世界に移っておよそ1週間が経つ。第一営業所付属の社員寮…本来私が住むはずだった場所だ…が半年ほど前に焼き討ちに遭って以来、ウィルさんは新しく来た社員がきちんとした「家」に住めるよう、寮の修繕依頼を本社に出し続けてくれていたそうだが、仮設のプレハブ小屋の部品が届いたのを最後に、寮の修復工事の方は完全に放置されているらしい。島村さんには申し訳ないけど、ずっと営業所住まいかもしれないなとウィルさんは笑っていた。

 営業所での暮らしはそれほど不便ではなかった。生活に必要な備品は大体揃っていたし、数日前の侵入騒ぎで破壊された門のカギも新しいものに交換され、入り口周辺には本部から派遣された警備員が交代で見張りについている。ただ台所設備だけが問題で、監獄時代に収容者の食事を作っていた厨房では、大量調理のため、普通の家庭で使う調理器具とは少し違う特別な品を使っていた。例えば、学校の給食室で使うような、大きな「回転鍋」など。コンロの火力も大量調理のため強く設定されており、私たちのような素人にすぐに使いこなせるようなものではなかった。そこで、朔子さんにもらった、非常用の卓上カセットコンロを使って給湯室で料理をすることになったのだが、今日は天気が良かったし、休みで時間にも余裕があったので、たまにはピクニック気分もいいだろうということで急遽中庭での調理&食事となった。

 ペットボトル詰めミネラルウォーター(これも朔子さんからの差し入れだった)と前述のハムエッグ、トマトとキュウリのサラダに、梅干しおにぎりという一風変わった組み合わせの朝食をとった後(自分で作っておいて何を言うか)、ウィルさんにお使いを頼まれる。前職のコネ…確か監獄の医療スタッフだったか…で手に入れた、ボトル入りの高級ウィスキーを、事務方の人手不足のため本社で休日出勤している朔子さんに差し入れしてほしいとのことだった。


「お客さんのいるバスは初めてだよな。良かったらクロでも連れていくか」


 ウィルさんの申し出に、私は大きくうなずき、お願いしますと告げた。バスに乗車しての実践演習が始まって以来、朔子さんの猛スピードでの運転に怖気づき、思うようにアナウンスできない状態の続く私は、お客さんのいる現場に出ることを許されていなかった。一体どんな人たちが乗っているのか全く見当がつかず、そもそも乗っているのが人間だけとは限らない中に一人で踏み込んでいくのは勇気がいる。一人ではなく黒砂さんと一緒なら、なんとかやっていける気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る