第10話 暴徒襲来
その日、私は久々に穏やかな夜を迎えていた。昼食はパックのご飯にレトルトのカレー、夕食はこぶし大の硬いパン1個に魚の缶詰とどちらも質素なものだったが、普段1日1食、休日には一切の食事にありつけない身としては、夜ひもじい思いをせず、心地よい眠気を感じられるだけでも十分幸せなことだった。
寝室としてあてがわれたのは面会室だった。第一営業所に来て最初に通された場所だ。名前の通り、かつて牢獄時代には囚人と外部からの面会者(例えば囚人の家族や弁護士など)の面会に使われていたこの部屋は、ちょうど真ん中のところで木製のカウンターとアクリル板で仕切られており、奥の側に収容者の椅子と、面会に立ち会う看守の椅子、手前の側に面会者の椅子が置かれている。私が寝室として使ったのは手前の面会者側のスペースで、椅子を端に寄せて空いたところに布団を敷き、カウンターを見上げるような恰好で横になった。
上に掛けたのは日中洗濯した非常用の毛布。乾燥機にかけたおかげでふわふわの仕上がりになっている。家にいたときは毛布は外に干して自然乾燥だったので、仕上がりは少しゴワゴワしていた。しかも母が家事を放り出して行方不明なので、洗濯機を回すところから毛布を干すところまですべて自分でやらなくてはならず、なかなか大変だった。取り込むときに毛布からいわゆる「お日さまのにおい」がするのはうれしかったが、後でそれがダニか何かの死骸のにおいだと知り、にわかに興ざめしたものだ。どうかわたしを放置した母がアクリル板の向こうの人になっていませんようにと祈る。子どもに身の回りの十分な世話を与えないのは「ネグレクト」という虐待の一種で、場合によっては犯罪になるとどこかで読んだ気がする。
柔らかな布団にくるまれながら、異世界で暮らすのも案外悪くないかもしれないなと思った。ここにいれば母親がおっかない愛人…いや父と別れているから恋人でいいのか…を連れて乗り込んでくることもないだろう。だからもう殴られたり蹴られたりすることもないと思う。もし何かあっても事務室に行けばウィルさんと黒砂さんが守ってくれるはず。明日からはたぶん3度の食事を心配しなくていいと思うし、そう思いたい。新しい生活に大きな不安とわずかな期待を寄せながら、私はうつらうつらとまどろみ始めた。
眠り始めてからどのくらい経っただろうか。暗闇の中、突如けたたましいアラームの音が鳴り、私は目を覚ます。まだ夜だし、目覚まし時計ではないと思う。一体何なのだろうと訝しがっていると、ノックの音がして、ライフルを提げたウィルさんが入ってくる。
「敵襲だ。盗賊団が出たらしい」
ウィルさんに導かれ、地下階の宿直室へと向かう。階段を降りてすぐのところにある宿直室は、もともと監房内の囚人たちを監視するために作られた部屋だったが、今は夜間の巡回の時にウィルさんや黒砂さんが監視カメラのモニターを見るために少し立ち寄るくらいで、あまり使われていないらしい。そのモニターがある他は事務室と変わらない雰囲気で、向かい合わせにくっつけてある4つの机があり、各机の上には電話とパソコンが置かれていた。廊下の奥に向かって設置された大きな窓からは、通路の両側にずらりと並ぶ監獄の様子がよく見えた。
私たちは先に降りていた黒砂さんとともに、天井のモニターを見上げる。画面に映っているのは営業所の正門。松明を持った10人ほどの男たちが門の前に集まり、顔を突き合わせて何やら話し合っている。そのうちの1人が門の取っ手のところに白い粘土のようなものをくっつけ、その上に黒くて小さな四角い箱を接着し、手元のリモコンを操作すると、黒い箱から白い煙がポンと出て、門が大きく揺れる。爆発により、取っ手は鍵ごと敷地の内側へと弾き飛ばされていた。ウィルさんがぼやく。
「ダイナマイトか…ピッキング被害が増えたからって言って、せっかくカギを鍵穴に差し込む旧式のカギをやめて暗証番号式のオートロック錠に替えたのに、爆破されるんじゃあ、しょうがねぇよなぁ」
警察を呼びましょう、と言いかけてやめる。ここは内乱で国がぐちゃぐちゃになった世界。警察なんかが、きちんと機能しているとは思えない。一方、すぐに気持ちを切り替えたウィルさんは修羅場慣れしているらしく、落ち着いて指示出しをする。
「クロ、催涙弾でも麻酔銃でも発煙筒でもなんでもいいから、適当に奴さんたちの足止めをしておいてくれ。俺は無線で本社の警備部隊を呼ぶ」
「承知しました」
刺又を持った黒砂さんの姿が階段の上に消えていく。なんだか物騒なことになりそうだ。
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