第5話 異世界バス

 車通りの多い、バス通り沿いの道を歩きながら、ぼんやりと考える。


―このまま、どこかへ消えてしまおうか。


 車道の両側には、ガソリンスタンド、パチンコ屋を彩るネオン、街灯、車のヘッドライト、テールランプ。もう夜だというのに妙に明るかった。これでは星どころか月も良く見えないし、ここまで眩しくする必要なんてないのになと思っていると、歩道橋脇の小さなバス停に、この辺りではあまり見かけない鮮やかな黄色のバスが停まった。特に行きたい場所が決まっていたわけではなかったが、私は吸い寄せられるようにふらりとそのバスに乗り込んだ。

 バスの中は静かだった。シャンデリアを意識したような飾り付きの照明、座席として並べられた、細脚で革製の赤いロココ風ソファ。車内の4面を覆う白地の壁紙には小花柄があしらわれている。ずいぶんと高級路線のバスだなと思いつつ、前から2列目の席に腰を下ろす。扉が閉まり、バスが動き出したあたりで、まだ運賃を支払っていないのに気付く。ブレザーのポケットから飲み物代の入った小銭入れを取り出すが、運転席の近くには運賃箱もICカードを読み取るための機械も置かれていなかった。ついでに、乗車したバス停ごとの料金を映し出すモニターや、どこから乗ったか分かるようにするための、整理券を出力する箱も見当たらなかった。

 何らかの間違いで団体用の貸し切りバスに乗ってしまったのかなと思っていると、不意に運転手に話しかけられた。


「島村恵理様ですね。まだ何もお伝えしていないのに、ここがわかるとは…さすがは勇者さま。神託かなにかお聞きになられたのですか」


勇者? 神託? 聞きなれない仰々しい言葉に私は戸惑う。


「わたくし、本日より島村様の異世界案内役を務めさせていただく、天界交通株式会社のアケボノと申します」


 アケボノさんは自称(じゃなくて本当にそうなのかもしれないけど)異世界人なのに、少なくとも見た目は普通のおじさんだった。駅員さんや警察官がかぶっているような、つば付きの黒い制帽をかぶり、細縁のメタルフレームの眼鏡をかけ、白い無地の長袖ワイシャツに紺のネクタイを締めている。服装がきちんとしているからこそ逆にテレビか何かのドッキリ企画を疑ってしまう。これがエルフみたいな尖った耳の人や、ドワーフみたいな小柄で毛むくじゃらのおじさんだったりして、なおかつ見たこともないような奇想天外な衣装を身にまとっていれば、私も少しは信じたかもしれない。なんだか厄介なことに巻き込まれそうだ。さてどうしたものかと考えていると、不意に天井の一部が四角くぱかっと開き、中から伸びてきたロボットアームが、私の前にお盆に乗ったオレンジジュースのグラスを差し出した。アケボノさんに訊けばサービスだという。


「今はこちらも人手不足でね…機械化できるところは機械化しないと、間に合わないのですよ」


 いくら給仕してくれたのがロボットだとはいえ、知らない人、怪しい人から出されたものに手を付けて大丈夫なのかという不安はあったが、どうせ私の未来終わってるしと思い直し、ストローに口をつける。自動販売機やファミリーレストランで飲むのと変わらない、普通のジュースだった。


「島村様のことは上の者から伺っております。人間界で、中学校に通われていて、卓越した化粧のスキルをお持ちだとか」


 女子同士ならわかるが、初対面のおじさんから、いきなり化粧の話をされても困る。確かに同年代の中では背伸びをしている方で、小学校中学年くらいには、すでに色付きリップを買っていて、化粧のまねごとを始めていた。今では高校生の「ギャル」にも引けを取らないハデハデメイクを楽しめるところまで上達したけど、それが勇者や異世界とどう関係するのだろう。


「100m走のタイムは速い方で、学業成績は振るわないものの、知力自体は平均以上。性格はどちらかと言えば社交的。年齢を偽って近所の個人経営の居酒屋でアルバイトをした経験あり。うん、わが社のバスガイド職にふさわしい人材ですね」


 ええい、余計なお世話だ。しかし予想外の展開に私の頭は少し混乱している。だって、漫画やゲームで見る限り、勇者って、ドラゴン退治とか、魔王征伐とか、そういうのじゃ…


「おめでとうございます、島村様。あなたこそが、この世界の人材不足を解決する女性勇者第一号です」


 こうして、何が何だかわからないまま、私の、異世界での社会人生活が幕を開けるのであった。


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