第3話 異世界への道(2)

 元来た道を引き返し、駅前のコンビニに出る。1000円というのは単なる小遣いとしては悪くない額だが、1か月分の生活費としてはどうだろうか。明らかに不足している。水道代及び光熱費と家賃に限っては、母が「口座振替」という自動払込システムで私の知らないうちに支払ってくれているらしいから、それだけでも感謝するべきなのだろうか。スマホ代も母が出している。

 ノートは母が買ってくれないし、買うための小遣いも出してくれないので、学校で配られる手紙やプリントの裏紙を使っている。消しゴムやシャーペンも買えないので、壊れたときやなくなったときは、職員室前の落とし物置き場からくすねていくか、友達に借りるかしかない。

 食事は昼だけ給食で目一杯おかわりして、朝夕は何も食べずに我慢する。給食のない休みの日は地獄だ。どうしてもつらいときは公園の水飲み場で水をがぶ飲みし、それでもだめならスーパーの試食コーナーへ行って少し多めに味見する。比較的大きな会社で正規の仕事をしているらしい母は、親子2人で暮らしていけるだけのお金をきちんと稼いでいるはずなのに、なぜ私だけこんな目に遭わなければならないのか。とてつもなく惨めだった。

 

 半ばやけくそになりながら、食べたくもない菓子パンを、値段も見ずに買い物かごへ放り込む。食事を我慢してお金を貯め、ちょっといい化粧品一式を買いそろえることも考えたが、グループを外された私には、そんなことは既に意味をなさなくなっていた。どうしたってもうあそこには戻れないのだから、普通のおとなしい中学生同様すっぴんでいいだろう。私は「親友」たちとの復縁をあっさりと諦めた。

 母からもらった1000円はすぐに底を尽きた。買えたのはパン2つ、飲み物1つだけ。明日も学校があるので、少なくとも昼食の心配はない。そうでなくとも、全てがどうでもよかった。苦しいことも、悲しいことも、嫌なことも、適当にやり過ごしておけばすぐに終わる。どんなにつらくても、1か月なんて、1年なんてあっという間に過ぎるのだと思わなければ、この先到底生きていけそうになかった。

 

 母の失踪癖は今に始まったことではなかった。1回で食べきってしまいそうな量のお菓子や、1食分にも足りないような少額の「生活費」だけ置いて突然ふらりと消えてしまう。初めのうちはいなくなってもすぐに戻ってきたのに、今じゃ全然帰ってこない。1か月いなくなったと思ったら急にぽつっと顔を見せて、2,3日いたと思ったら、また出かけて行って、1か月くらいは戻ってこないの繰り返しだ。いなくなるのが日常茶飯事なので、警察も、近所の人も、親戚も、誰も母のことを探してくれない。そんなに困ってるなら、お父さんのところに行きなさいの1点張りだ。私にも、そう簡単に父に頼れない事情があるということを、皆よく知っているはずなのに。だから、私は全てをあきらめた。夢も、進学も、未来のこともぜんぶ。父に引き取られた姉は、美大の4年生で、卒業制作に追われながらも楽しい日々を送っているようだ。時々送られてくるLINEのメッセージからもよくわかる。


 私だって、父に引き取られて、インフラの停止や文房具の不足も心配せず、まあまあおいしいご飯を食べて、それなりに勉強して、そこそこの高校と大学を狙う普通の中学生ライフを送りたかった。だけど、どうあがいても手に入らないものを嘆いたところでどうにもならない。頼みの綱であるはずの父は、今も昔も、母に似て気難しい私のことを露骨に嫌がっていて、楽天的で親しみやすい姉のことばかりかわいがっている。その証拠に、私のところには別れてから1度も連絡が来ないのに、すでに成人した姉には、アルバイトの給料があるからいらないと本人が言っていても、多額の小遣いを与え、大学の文化祭にはビデオカメラを持って押しかけてきたという。しかし、責任は私を愛してくれなかった父だけにあるのではない。父母の離婚の日、自分を疎んでいた父におもねて本心を偽り、母のところに残ると言った私も間違っていたのだ。度重なる母の失踪は、私に経済面での不安を与え、進学の希望どころか明日の生活さえ怪しいものにした。今では毎日の食事ですらままならない。


 帰りたくなくて、夕暮れの街を一人さまよい歩く。いつもの公園でベンチに座って貪り食ういちごジャムパンはあまりおいしくなかった。いちごというのにいちごの味なんて少しもしない。あるのは正体不明の、化学的で人工的な嫌な甘さだけだった。どうせこちらも同じだろうと思い、残ったチョコクリームパンも食べないことにした。もったいないが、ベンチの上に放置したところで別の誰かに捨てられるだけなので、2つともレジ袋の中に入れて近くのごみ箱へ廃棄した。250mlのコーラだけ片付けるように一気飲みしてから、席を立つ。オレンジ色だった空はいつの間にか紺色に変わり、薄暗い団地の中、公園の街灯だけが煌々と輝いている。


―さて、どこへいこうか。


 家に帰っても一人、このまま公園に留まっても一人、いつものファミレスやゲームセンターに行っても昔の仲間と鉢合わせして嫌な思いをするだけ。行く場所、いる場所なんてどこにもなかった。

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