◆◆◆


 お腹を満たしたあとは、旅番組にあやかって移動を開始することにした。荷物はロッカーに預け済みだ。


 出発点となる箱根湯本駅からスタート。

 そこから山間部を走る山岳鉄道に乗ってガタンゴトンと揺られながら進んで行く。最初の方であじさいが味わえるエリアがあったが、さすがに時期が外れているため綺麗な花は拝めず残念。


 その代わり、というわけでもないが。


「電車が止まっちゃったけど、何かトラブルかしら? 車掌さんも外に出てるわ」

「こいつはスイッチバックって奴だな。鉄道好きにはたまらん一種の見どころだ」


 少し経つと改めて電車が動き出す。

 スマホで調べてみれば『スイッチバック』についての情報がずらずらと出る出る出るわ。簡単に行ってしまえば山の斜面を登るためにジグザグに登っていく方式を指しており、途中三カ所で運転手と車掌が入れ替わるようになっているとの事。


「ふーん、そんな動かし方があるのね」


 初めて見る電車の動かし方に感心したご様子の真里那が、ぱしゃりと写真を一枚。周りでは似たような動きをしている乗客がおり、せっかくだからオレも撮ってみた。

 

 いい角度を探して悪戦苦闘する真里那を。


「盗撮は禁止よお客様」

「ならお許しをくれ」


「事後承諾は感心しないわ」

「お許しはお許しさ」


 計三回のスイッチバックを堪能しつつ、電車移動は終点に到着して一旦終了。

 麓からずっと上の方にある強羅駅は若干けぶっていたものの、海水浴場に到来した濃霧程ではない。ただ標高が高くなったため、多少気温が下がっているようだ。


「涼しいわぁ」

「寒かったら言えよ。これからまだまだ上に行くからな」

「あら、上着でも貸してくれるのかしら。見たところそれらしき物を持っているようには見えないけど?」

「そりゃお前、人肌に決まってるだろ」


「一人で遭難してれば?」


 冗談に対するそっけない返しが来て寂しい。


「ここからどうするの? 三角屋根の味わい深い駅舎とお土産屋さんがいくつかあるみたいだけど」

「ああ、こっからはケーブルカーだ」


「電車とは違うの?」

「いんや、乗る側からすればほとんど電車と同じ。何で動いてるかが違うって話だろ。ケーブルカーの場合はワイヤーに引っ張られて動く」


 感覚的には路線が違う電車に乗り継ぐのと大差はない。

 だがしかし、注目すべき点が全くないという訳でもないのだ。


 その注目ポイントは、ケーブルカー乗り場が見えた瞬間に明らかになる。


「……この線路って、ずーーーっと上まで続いてるのよね?」

「そうだぞ。すごいよなー、こんだけの急勾配を一直線で登る電車なんてそこら辺には中々ないし」

「前にテレビか何かで九州にもケーブルカーがある、みたいな話は聞いたことがあったけど。映像と実際に見るのとじゃ全然違うわ」


「行ってみないとわからない事があるってな。こないだ行ったスカイツリーだってそうだったろ?」

「そうね。誰かさんがわざわざ二回目も案内してくれたから、よく分かったわ」

「そうそう、真里那が下が透けてる床に乗って動けなくなるなんて初めて見た――いていて! 蹴るな蹴るな、脛をッ」


 照れ隠しのトーキックを受けつつ、ケーブルカーへ。

 これまでうねうねと登ってきた電車と比べると、直線を力強く登っていくこの乗り物は内装からして違うのが見て取れる。


 普通の電車といえば左右に設置された横並びに座る長い席が思い浮かぶが、このケーブルカーはボックス席になっており、座る席によって前と後ろのどちらかを首を曲げることなく眺めることができるようだ(※後で知ったのだが新型車両だった)。


 前方は登り続ける線路をどんどん進む光景が広がり、後方は登ってきた分だけ広がる景色が臨める。どっちにするかは好み次第だが、真里那は景色を楽しむのを選んだようだった。

 今回はそこまで込み合ってなかったので、オレはあえて真里那の隣ではなく向かい合う席に腰を下ろす。


「なんで前に座ったの? 隣でいいじゃない」

「以前は後ろ向きに座ったんで、今度は逆にな」


 仮に従妹様が気まぐれにオレの方に座りたいと思っても、コレならお互いの席を交換するだけで済み、他の乗客がいるから座れない事もない。

 何よりこっちは彼女の顔がよく見える。


「完璧だな」

「はい?」

「何でもない。代わりたくなったらいつでも言ってくれ」

「…………何を企んでるの」


 従妹様には警戒と共に怪しまれてしまった。

 何故だ。


 ◆◆◆


 ケーブルカーから降りても、乗物移動はまだまだ続く。

 箱根をぐるっと一周するためにはロープウェイと船も乗らねばならない。そうすることでようやく乗物コンプリートマンになれるのだ。


 ケーブルカーの次はロープウェイで空中散歩――――なのだが、そこで乗る前に気付いた。


「真里那よ、今更だけどお前って高い所全般が苦手だったりするか?」

「今更それを訊く?」


「実際どうなんだよ」

「お生憎様。別に私は高所恐怖症じゃないし、高い所もへっちゃらよ。さっきまで景色を眺めていたのをもう忘れたの?」


「……でもスカイツリーでは」

「アレはたまたまよ! た・ま・た・ま!! 誰だって何百メートルの高さにある床が透けて見えたら『うわ』ってなるでしょ。それと同じよ!」

「ちなみに箱根ロープウェイは最大千メートル以上の高さがあるらしいが」

「ロープ使って移動してるんだからケーブルカーと大差ないわよ。ほらほら、バカなこと言ってないでさっさと乗るわよ。そして私が平然としている姿を拝むがいいわ」


 さっきから従妹様がすごい勢いでフラグを立てまくってるようにしか聞こえないのだが、そこでオレが止めることはない。


 何故か? 

 そりゃもちろん、そっちの方が面白そうだからである。


「……」

「真里那」

「……」

「真里那。ほら、いい景色だぞ」

「ええ、本当ね」


 すました反応をしてらっしゃる従妹様だが、その実目はつむってるし身体はオレにぴっとり張りついたままだ。定員18人のロープウェイの中は広く席数も多いため、乗り場にそれなりの列が出来ていたにも関わらず、オレ達も座ることができたのだが……。


 小刻みに震えている真里那さんは、この空中散歩を堪能できていないご様子である。オレはそんな真里那を拝めてこーーーーんなに楽しいのに勿体ないなぁ、ああ勿体ない勿体ない。


「天気も大分良くなったし、遠くの方まで見えるな」

「そうね」

「おっ! ほら、あっちに見えるのは富士山だぞ富士山。都心からでも見える時はあるけど、こっからだとより大きく見えるな」

「そうね」


「こんな大パノラマを眺める機会なんてきっと早々ないよなぁ」

「そうね」

「…………真里那たんはーこの先オレに対して絶対服従のメス奴隷になりましゅよねー」

「ケンカ売ってるなら買うわよ?」


 良かった。どうやら無限に相槌を打つお喋りロボットにはなっていないようだ。


「スカイツリーのてっぺんは割と平気そうだったのにな」

「あ、あれは……立派な人口建造物で足元がしっかりしてたじゃない。ロープウェイはふわふわしてるから落ち着かないのッ」

「透けてる床も人口建造物だが?」

「真下が見えてるのは別の話でしょ!」


 まあ確かに見えてるのと見えないのとでは違うかもしらんが。

 目をつぶっててもロープウェイは揺れる時は揺れるわけで、そんな状態で視界がまっくらな方が怖いのではないかと個人的には想像してしまう。


 でもスカイツリーの眺めは平気だったのだから、極端に高所恐怖症なわけでも無いはずだ。何か切っ掛けがあれば十分イケると思うんだが……。

 人目も憚らず半ばしがみついてくる真里那に身を寄せながら「なんかないかなー?」と考える。


 すると、幸運にもその“なんか”は近くに居た。


「お姉ちゃんいい景色だねー」

「うん、すっごい綺麗ー」


 親と一緒にいる小さな子供の姉妹が楽しそうに外の景色を眺めていたのだ。

 これはイケるなと目を光らたオレは、早速隣の真里那震える小鹿に声をかける。


「真里那よ、ちっちゃい子供達が楽しそうに乗ってるぞ」

「そうね」


「あの子達がオレ達を見たらどう思うだろうな。わぁ~、あそこのラブラブカップルのお兄ちゃんたちすごーい。お姉ちゃんの方がガタガタに震えてしがみついてるよ、ほらほら見てみてクソダサーイと考えるんじゃないか」

「幼気な姉妹を大ボケ野郎色に染めるんじゃないわよ、バカバカ、ほんとにバカ。いますぐあの子達に土下座してきなさいクソバカ従兄」


 オレのクソ煽りによって大分怒りメーターが上昇した真里那が罵詈雑言を繰り出す。すまんな子供達よ、都合よくダシに使うお兄ちゃんを許せ。


「だが実際どうよ。遥か年下の子供がはしゃいでて、年上のお前が震えてるのはあまりにもカッコ悪くないか」

「…………いいわ、その挑発乗ってやろうじゃないの。というか勘違いしないでよね? そもそも私が目をつぶってたのはちょっと眠かっただけ。わずかな睡眠で回復したからには、余裕をもって空中散歩を楽しめるってわけ」


 真里那さん、すごい早口ですよ。

 これ以上茶化したら本気で殴られそうだから言わんが。


「ふぅ~……」


 ゆっくり深呼吸をした真里那がひっついていたオレから離れて、外側へと体を向けていく。わずかながらではあるがその表情が窓に反射して、背後にいるオレからでも従妹が徐々に徐々に目を開けるのが見えた。


 苦手を克服しようとする勇気は、称賛に値するものだ。


「あ…………」

「な? 綺麗なもんだろ」


 真里那の視線は箱根の景色と、壮大な富士山に釘づけだった。

 短い相槌もなく食い入るように、ただただじっと広がる風景を目に焼き付けている姿は美しい一枚の絵のようだと思わせてくれる。


「その時、その場所じゃないと見れないものがある……。また一つ、そういうのがあるって分かったわ」

「そりゃ何よりだ」

「満足してるようだけで悪いけど、さっきのクソ煽りは忘れてないわよ?」

「なんてこった、壮大な景色に免じて許してくれ」


 お慈悲に縋りつこうとする罪人のように、後ろからわざとらしいハグをする。

 柔らかい女の子の身体にすり寄ったのがアウトだったのか、はたまた前に回した両手がはからずも豊満な膨らみに触れたのがマズかったか。


 真里那の重い肘鉄が、オレの脇腹に突き刺さったのは三秒後だった。

 

 ◆◆◆


 呻きながら駅に降り立つと、一気に硫黄の匂いが鼻についた。

 途中下車したのは大涌谷駅。


 テレビでよく映るこの辺りは、観光地としてよく整備された名所の一つ。大昔の火山爆発で出来た場所で、今でも噴煙が立ち上る様子を見ることができる。火山活動が活発になりすぎると立ち入り規制がかかるようだが、今回は特に問題ないようだ。


「むぅ、こんなにすごい匂いがするのに人がいっぱいいるわね」

「さすが名所だな」


「昔連れてかれた阿蘇山もこんな感じだったかも」

「オレはあんまり覚えてないな。火口まで行けなかったのもあるかもしらんが」

「ひとまず一通り見て回るでいいのよね? そのあとは、噂の黒たまごを食べてみたいわ」

「おうともさ」


 駅舎から出て大涌谷周辺を歩き回ると、観光地にありがちな食事処と土産物屋が合体した複合施設と大きな駐車場の他にいくつかの建物があるのが分かる。

 くろたまご館に茶屋、売店等々。インフォメーションマップによれば多少歩けば突発的な噴石から身を守るためのシェルターがいくつもあるようだ。安全対策はバッチリといったとこか。


「ねえ、見て晴兎。あっちから火山がよく見える展望台があるみたい」

「臭さをこらえながら行ってみるか」

「あんまり臭い臭い言わないで欲しいわ。せっかく気にしすぎないように気をつけてるのに……こっちまで臭くなっちゃう」

「だが、臭いものは臭いし。お前だってそう思うだろ?」

「…………否定はできないわね」


 苦笑しながらも真里那の足取りは軽い。

 初めてきた場所というヤツは大なり小なりワクワク感があるもんだが、きっと今の彼女はその感覚を味わっている真っ最中。しからばオレもあやかって軽やかなステップでも踏むことにしたい。


 ただまぁ。


「えっと、想像してたよりも殺風景……?」

「ゆうて火山だからなぁ。緑豊かな青々とした景色がとはいかんわな」


 極小規模の噴煙がちらほら見える以外だと、硫黄によって黄色くなった地肌が特徴的である。それでも少々見渡せしてしまえば、岩と砂でいっぱいの寂しげな石切り場

のように感じる人も多いのではなかろうか。


 一目見るにはいいが、ずーっと眺めていたくなるかと言えば……どうだろうなぁ? 少なくともオレはまだ楽しめる領域に到達できていない未熟者のようだ。


「火山も見れたし、黒タマゴ食べに行くか?」

「待ってその前に……んしょっと」


 パシャ! とシャッター音が鳴る。

 観光地に来たからには記念写真は欠かせない物だ。


「撮ってやるよ、貸してみ」

「ありがと」


 スマホを受け取って、今度は真里那と火山がイイ感じにフレームインするように写真を一枚撮る。終わってすぐにスマホを返すと、真里那が提案をしてきた。


「晴兎も撮ろうよ」

「ん? 別にオレはいいよ、前に撮ってもらった事あるし」

「じゃなくて。晴兎と私、二人が一緒に写ってるのを撮ろうって話」


 ああ、それなら撮ってもらった事はないわな。

 可愛い従妹様のご提案を叶えるため、オレは近くにいた人の良さそうなお兄さんに頼んでシャッターをきってもらった。


「はい、ちーず♪」

「ちーずっと」


 パシャリ。パシャリ。

 快くカメラマンを引き受けて何回か撮影してくれたお兄さんに礼を言って、早速移り具合を確かめると悪くない出来栄えがそこにあった。


「なんかいいわね、こういうの」

「お前のためなら何枚でも撮ってやっていいぞ?」

「その時はよろしくお願いするわね従兄様」


 嬉しそうにそう言われてしまっては茶化す気にもなれず、鼻をかくしかない。

 

 で!

 近場で回れるとこは回ったし、いよいよ名物黒たまごを食すターンになったわけなのだが。


「え。黒たまごって1個ずつの販売じゃないの?」

「そうそう、アレって4個だか5個ずつしか買えないんだよなー」


 なんでそんな売り方なのかは知らんが、もしぼっちで来てしまった場合は1人で4個以上食べねばならない。


「だが心配はいらないぞ真里那よ。オレには秘策が――」

「買ってきた」

「はええな!?」


 秘策を披露する前に、真里那は目当ての黒たまごをGETしている。

 おかしい、そもそも販売所の前に発生してるであろう長蛇の列はどうしたというのか。


「まさか己の可愛さを利用して一番前に割り込めたとか?」

「買った人にお願いしただけよ。買った値段の10倍で買うから譲ってほしいってね」


 なんというブルジョア手段。

 ふつーに反則技だが。


「冗談よ、本気にしないで」

「やろうと思えば出来そうなのが怖い……」

「このタマゴはお土産屋さんで売ってるやつよ。だってこれ中身はほとんど同じでしょ?」

「うんまぁ、それはそうかもしれんが」


 強いていうなら情緒はないかもしれん。

 そしてオレの出番もなくなった。本当ならその辺にいる人と上手にコミュニケーションを取って、買った黒たまごをシェアするつもりだったのだがなぁ。


「はい、晴兎の分」

「サンキュ」


 渡されたのは黒たまご五個入りのパックだ。

 仕方ない、食べ物を粗末にはできないので量は多いが残った分は全部オレが食べるとするか。


 そう考えて改めて視線をパックに落とすと、妙な事実に気付いた。

 パックには一個しか黒たまごが入っていなかったのだ。


「真里那さん?」

「ん、どうかしたの?」


 残りの黒たまごはどこへ行ったのか。

 その答えは、両手に黒たまごを持ってもくもくパクパクと食している従兄様によって一目瞭然だ。


「そんなに食べたかったのか? ゆうて見かけが特徴的なゆでたまごだし、食べ過ぎは体に悪いかもしらんぞ」

「もくもく……あら、悪くて美味しいなら楽しくてけっこうじゃない。体に悪い物ほど美味しいって話もあるし」

「どこからそんな情報を」

「あなたが言ってたんでしょうが」


 さいでした!

 そういえばこの前、とんでもねえカロリーのラーメン食った時に言ってたわ。


「それにこれ、食べたら寿命が延びるんでしょ? 一個で七年くらい」

「四個喰ったら二十八年だと?」

「なによその不審そうな眼は。言っておきますけど、別に私だって本当に信じてるわけじゃないわよ。ちょっとお腹が空いたなーっていうのと、願掛けみたいなものであって」


「願掛けとな?」

「長生きすればするほど、嫌いな人達がいない時間をより長く過ごせる。そう思わない?」

「あー」


 嫌いな人とは汐凪本家の連中。あそこには高齢のじじばばがうようよいるため、天寿を全うされるのもそう遠くはない。つまりなんだ? あいつらがいなくなった後の自由な時間が長くなりますようにって願ってるってか?


 連中が聞いたら顔を真っ赤にするどころの話ではないな。

 オレは遠慮なく大笑いさせてもらうけど。


「お前も黒くなってきたなぁ」

「正に今、黒いものを吸収してるところだしね」

「ハハッ、違いない」


 真っ黒黒すけな冗談を言い合いながら、オレ達は笑って名物を食べた。

 こんだけ楽しんで食えば少しは恩恵を得られるに違いない。


 勝手ながらそう思った。


 ◆◆◆


 大涌谷を後にして、オレ達は再びロープウェイで先へと進む。

 次はいよいよ最後の乗物。

 箱根芦ノ湖を縦断する海賊船によるクルージングである。


「一番いい部屋を頼みます」

「すみません、バカが何か言ってますが気にしないでください」


 船のチケット売り場のお姉さんは、オレ達の言葉に最初は「は?」みたいな顔をしていたが直ぐに営業スマイルで対応してくれた。さすがプロ。


「特別船室でしたらご案内できますが、そちらでよろしいですか」

「ありがとうお姉さん! それでよろしく」


 すぱっと即決して、船着場からささっと海賊船に乗り込む。

 もちろん海賊船といってもモノホンではなく、そういうデザインの船だがコレが中々のサイズで数百人以上は余裕で乗れるヤツだ。


 さらに特別船室付きである。

 追加料金を払うことによって入場できるこの船室は何が違うかというと。


 まず内装が豪華だ。

 あちこちが煌びやかでソファの座り心地も悪くない。

 だが、何よりオススメすべきは専用デッキだろう! 開放感あふれる専用デッキは湖を中心に広がる箱根の景色を船上から楽しめるのだ。普通の客室からでも見えないわけじゃないが、そこはそれ。遮るものなく眺められるのは特別な特権と言える。


「で、早速デッキに上がってみたわけだが、どうよ?」

「見晴らしはいいし風もあるけど……暑いわ」


 夏だからな。

 普通に晴れてればお日様サンサン。当然デッキには冷房なんてない。


「おっと、あまりお気に召さないご様子で?」

「そんなことないわよ。芦ノ湖や箱根の自然は綺麗だもの」

「じゃあやっぱり暑さか」

「かしらね。あとほら、船はこの前も乗ったから」


 そういえばそうだった。

 少し前に川を下る船に乗ったんだっけな、そういう意味では感動も薄くなってもおかしくはないか。


「先にコッチに乗ってたらまた違ったかね」

「んー、どうだろ。ああでも誤解しないでね。こっちの船は高さがあるし山々に囲まれてるから、コンクリートジャングルとは味わい深さは違うわ」

「そかそか。したら今度船に乗る時は、大海原に繰り出すやつにするかね」

「どこまで行く気よ」


 ふわりと吹いた風に髪をたなびかせながら、真里那が苦笑する。


「離島なんてどうだ? いつもの生活圏からは一気に遠ざかるぞ」

「遠ざかるだけなら離島である必要もないんじゃない? 別の都道府県に行く船だってあるでしょ。長いと一日ぐらい乗りっぱなしので」


「いやいや、やっぱ離島は一味も二味も違うんだって。いっそのことアレだな、遥か南にある一応東京都に含まれる場所まで行くか? 行っていけない事はないぞ」

「どこ?」

「小笠原諸島」


 又の名を日本のガラパゴス。

 ほんとに日本かよ!? って感じる程度には別世界が広がっている。


「……わっ、都心から約千キロも離れてるじゃない。これで東京都なのね」

「何をどうしたら千キロ先まで東京都扱いなのかはオレも知らんけどな」


「どれくらいかかるのコレ」

「最低一週間」


「え? 冗談よね?」

「至ってマジな話だ。ちなみに船でしか行けないし、片道約1日かかる。一週間ってのは次の船が到着するまでの時間込みこみな」


 もし乗るべき船を逃した場合、次の船まで一週間かかるわけだ。

 すごいぞ小笠原。


「下手な外国に行くより時間が必要じゃない」

「だから行っていけない事はないって言ったろ」


「…………でも、いいかも」

「ん?」

「一週間も遠く離れた場所へ行く。きっと人生の中でも数少ない貴重な機会だと思わない?」


 真里那が切なげに問いかけてくるのが、たまらない。

 たまらなく「そんな風に言うなよ」と言いたくなって、真里那にこう言わせた奴らへの怒りが増えていくのを感じた。


 だからオレは一度深呼吸をして、気持ちを抑える。

 抑えて大丈夫になった後は真里那の脇腹をくすぐってやった。すぐ叩かれたが。


「なんで脇腹に触った?」

「元気づけようと思って」

「他にもっといい手段があるでしょ!?」

「すまんな、それしか思いつかなかったんだ」

「全くもう…………」


 ぷりぷり怒る真里那に、もうあんにゅいな雰囲気はない。

 オレ自身ももっといい手があったろうと思うが、ひとまずは目的は達成できたようで良かったよ。


「はぁ~、船の上ででもバカなことばっかり……。晴兎もよく飽きないわね」

「生憎だが精一杯楽しませてもらってる身でな。飽きるはずないんだわ」

「な、殴りたい…………」


 握った拳を震わせる真里那に対して「どーどー」と待ったをかける。それを挑発と受け取った真里那が一発かまそうと手や足で攻撃してきたので回避に専念することしばし。

 お互いにデッキの上で汗だくになっていると、船が進むの方へ顔を向けた真里菜が「あっ」と何かを発見したようだ。


「あれ、鳥居よね? 湖の上に浮かんでるみたいだけど」

「あー、箱根神社の赤鳥居じゃないかな。神社自体がけっこう大きくて有名だ」

「近いの?」

「船着場からそう離れてはないぞ。……行ってみるか?」


 真里那がこくりと頷く。

 それから大した時間もかからずに海賊船内に港到着の放送が流れて――オレ達は徒歩で鳥居の方へと向かった。


 ◆◆◆


 箱根神社の境内に入ってすぐ、木々に囲まれた参道に出迎えられる。

 神聖な場所として不思議な気に満ちていると言われればそう感じなくもない。オレの場合は信心深くないため「おー、雰囲気あるじゃん」程度ではあるが、一緒に歩いている真里那はまた違った感覚なのかもしれない。


 うんまぁ、神様だってちゃらんぽらんな男よりも美人で若い子の方が歓迎しやすいだろう多分。知らんけど。


 えっちらおっちら登り坂気味な参道を真っすぐ進み、いくつかの鳥居をくぐったり階段を登ったり、宝物殿やら武道場の近くを通り過ぎていく。それでようやっと辿りついた箱根神社の社殿は素人目からしても立派な物だった。


「うーん、いいいろだなぁ」

「もうちょっと情緒ある感想は無かったわけ?」


「すげえ労力と金がかかってそうだよな?」

「世俗に塗れすぎてる気がする……」

「じゃあアレだ。すげえご利益ありそう!」

「この欲深」


 ぺちりと叩かれて全然痛くもない尻をさすりながら、社務所周りをぶらつく。

 こういう所に来ると売り物やおみくじをチェックしてしまうのは、もはや自然なこと。信心深くなかろうがご利益にはあやかりたい都合のいいスタイルである。


「おみくじで勝負でもするか?」

「それもいいけど、お参りするのが先じゃない? 特に晴兎は真剣にやっといた方がいいわよ。罰当たりなこと結構してそうだし」

「オレみたいな善人を捕まえて罰当たり扱いする方が罰当たりだろ」


「ハッ」

「いま鼻で笑った?」

「気のせいでしょ」


 意味ありげに「ふふん」と微笑する真里那に引っ張られるようにお参りをする。

 二礼二拍一礼。

 最近はやり方がお参りする場所前に張り出してあったりするが、多少おざなりでも許されるだろう。そもそもちゃんとした手順で祈らないと願いを聞き届けて貰えないというのもみみっちく感じるのだが、いかがなもんか。


 そんな祈る気のへぼいオレ。

 一方で真里那は割と真面目にしっかりとお祈りしているようで、盗み見た横顔からも真剣さが伺えた。


 となれば話も変わってくる。

 オレが不真面目なせいで一緒に来た真里那の真剣さが伝わらないのはダメだ。


「うっし」


 パンパン! と強めに手を合わせて、今度こそオレはしっかりカッチリお祈りをする。内容はほとんど決まっているようなもんだ。


『神様へ。どうか可愛い従妹が心健やかに楽しく過ごせますように』


 こんなんで願いが叶うなら百回だってしてやるさ。

 そんな気持ちで、祈った。


「…………うん、じゃあ行きましょうか」

「ああ」


 社殿を後にしたオレ達は来た道を戻って船着き場の方へと向かう。

 バス乗り場がそっちにあるからだ。


 そんで。

 ここからのバスは、いくつもの乗物を乗りついで進んだ箱根一周ぐるっとツアー(命名:オレ)の終わりを意味している。それがわかっている真里那はどこか寂しそうで口数が少なくなっていた。


「……あーあ、もう終わりかぁ」


 両手をうーんと上に上げながら背筋を伸ばす。そんな真里那には少しの満足感とたくさんの物足りなさが滲み出ていた。


 思わず「やれやれ」と首を振ってしまう。

 やっぱりダメだな、ああ、全然ダメだ。この程度じゃ物足りない? けっこうなことじゃないか。


 オレはその数倍は物足りないのだから。

 遠くまで遊びに来た時には、もっともっとはしゃいでバカやって、いつ終わるとも知らない楽しい世界へ入るべきなのだ。


 と、いうわけで!

 オレはみずから進んで、その世界へ入りこもうと思う。

 もちろん真里那を巻き込んで。


「終了宣言にはまだ早いぞ真里那よ」

「何言ってるの? あとはバスで箱根湯本駅まで戻って帰るだけで――」


「ちっちっちっ、大事なことを忘れてるぞ」

「???」


「箱根が何で有名なのか思い出してみろよ」

「………………あー、なんか少年少女が神話になるヤツの舞台だとか」


 ここでボケるなよ。

 確かに有名だし聖地かもだけどさ。


「じゃなくてだな」


 オレはわざとらしく溜息を吐きながら、ビシリと言い放つ。


「やっぱり箱根と言えば温泉だろ!!」


 

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