ドーヴ沿海山道(4)

「逃げますよっ!」

 ニコが橋の下からの音を聞いた瞬間、馬車の速度を全力で上げる。


「後ろの二人は……役に立たないか」

「……しょうがないよ、エスが怖気づいてないのが凄いんだし」

(言われてみれば、こんな状況でも怖くないのはなんでだ……?)


 エスは生身の頃にホラー映画やゲーム、お化け屋敷で絶叫するほど怖がる事はなかったが、怖いという感情が無かったわけではない、むしろ適度なスリルを感じるという理由でこういったものは好きではあったし、これらの怖さを楽しむコンテンツが好きだったのは、恐怖という感情があったからだ。


 そして今直面している状況や、その前のレッドホーンと退治した状況は、生身の頃ならば確実に恐怖で怯え、動けなくなっていたと確信できる。


「なんで動けてんだろな、俺は」

 明らかに今直面しているこの敵は生前で味わったことのある恐怖を超えている。


「……わかんないよ、そんなの」

「すまん、目の前の脅威に集中する」

 それなのにエスの頭は冴えている。恐怖で思考が麻痺することもなく、むしろいつもより冷静にどうやったら良いか常に考えられてさえいる。


(どっちにしたっていい、今は恐怖しないってだけで有り難い……!)

 理由はともあれ、今は恐怖を感じない。谷底から這い上がってくる巨大なヘビの影をセンサーが捉え、その大きさが既に頭がセンサーの有効範囲に入っているのにも関わらず、何百メートル近づいても尻尾の先を捉えていなくても、動じない自身がエスにはあった。


 ―――その姿を見るまでは。


「ぎしゃああああああああああ!!」

「…………ごめんヘル、やっぱ普通に怖いわ」


 恐らく頭を谷から少しだしただけのそのヘビは話の通りの大きさで、いや話に聞いたよりも大きく、この馬車を一口で丸呑みにしてしまえるほど。


「……エス、しっかりして!」

「っ……あぁ」


 桃色と白の二色に別れた肌を持ち、エス達の乗る場所を睨みつける赤い瞳、その化け物のすべてがエスの思考を白くして、戦意を奪っていく。


【――警告】

 そこに、キーの感情のない機械音声が聞こえてくる。


(なんの警告だよ、目の前のヤツがヤバイなんて警告されなくても―――)

【恐怖パラメーターが一定量を超えました、現在緩和中・復旧まで二百十秒】


 エスのもっていた疑問が一つ解消された瞬間だった。

(いや、人の感情いじってたのかよ)

【はい、足枷となると想定された感情の緩和のみに限定して設定されています】


(むしろそっちの方が怖くなってきたんだが……)

【恐怖パラメータを増やさないでください、マスター】

(無理言うな!!)


 自分の脳の、しかも感情をイジられていたと言われて怒るべきなのだろうが、今思えばレッドホーンの時はこの機能がなければ死んでいたので、結果論だとしても怒りにくい。


 ガコンッ!!


 馬車が思い切り大きく揺れる。キーと放しをしてる間に攻撃されたのかとエスは思ったが、実際には近づいて大口をあける大蛇を、ヘルが杖で思い切り殴って迎撃した反動での揺れだ。


「……エス、落ち着いた?」

「あぁ、だいぶマシにはなった」


 秒数で言えばまだ二百十秒のうち、百秒しか経っていないがそれでもかなり恐怖の感情はやわらいでいた。


(生身だったらまだ動悸が激しくて……まともに動けてないだろうけどなっ……!)

 心臓が激しく脈打たないだけで、呼吸は激しくもならないし、苦しくもなりはしない。機械の身体というのは恐怖しても性能自体は生身ほど低下しない。


「こんな事言うのもなんだが……今だけは機か……この身体で良かったよ」

 機械と言おうとしたが後ろで怯えてる、名前も知らない旅人が二人もいる。彼らにはまだ全身が機械の身体だというのはバレたくないので、『機械』と言いかけたのを言い直せたので、ある程度冷静さは帰ってきている。


「出力は馬車に反動がこない程度で」

【了解です、出力は十パーセントに固定・照準モード起動】


 エスの視界に丸く緑で縁取られたターゲットと射線を示すガイド表示が出てくる。

(便利だな……助かるよキー)

【射撃準備完了です、ご武運を、マスター】


 ヘル殴られて怯んでいた大蛇が体制を立て直し、今度は赤い目を光らせながら馬車に狙いを定め、追いかけながらも首を後ろに下げる。


「……来るよ、エス」

 今度は先程の様に強者故の満身から、不用意に馬車に近づいた行動ではない。タメを作り、反抗してくる生意気な獲物を一撃で仕留める狩人の攻撃だ。


「外さないさ……!」

 大蛇が突撃すると同時にエスの射撃は放たれた。


 ズゴォォォォンッッッ!!


 響く大きな音が大蛇の下唇に命中し、突撃した軌道が馬車の上へとそれる。

「わわっ!!」


 ほんの僅かに攻撃がかすっただけで、馬車は大きく揺らめくが、大蛇の方も予想外の攻撃を受けてその頭を数十メートル、いや、数百メートル上へとあげた。


「だ、大丈夫ですかっ!」

「……後ろを向かないで、まっすぐ走り続けて」

 思わず振り向きそうになるニコをヘルが静止して二人で雲を突き抜けた大蛇を見上げる。


「逃げてくれるか?」

「……ダメそう」

 これで逃げてくれればお互いにとって良かったのだが、大蛇は数秒垂直に身体を伸ばした状態で硬直し、やがてゆっくりと馬車に向かって頭を下げた。


「まだやる気なのかよ」

「……あの攻撃でも効いて……ない?」

「いや、効いたからこそ、ここで敵を逃したくないんじゃないかな」


 大蛇ははっきりとエス質を敵と認識した。これだけ大型の蛇ならば自然界に天敵と言える者は居なかったのだろう、ダメージを与えてくる敵とすら出会わなかったのかも知れない。


(キー……この馬車が傷つかないレベルの攻撃で、アレを倒せるか?)

【敵の強度が不明、試行回数が足りませんが……有効確率は極めて低くなるかと】

 この馬車をこんなに早く失うわけにはいかない。


「……私は無理だよ、馬車を守って戦うの」

「馬車を捨てれば戦えそうな言い方だな」

「……捨てるなら、多分戦えはするかも……だけど」


 どうやらヘルにも奥の手があるようだが、馬車を守り、逃げながら戦うこの状態では使いにくいようで、それはエスも同じである。


「エス様、この馬車は頑丈ですっ!」

「ニコ?」

「ですので……気にせず撃ってくださいっ!!」


 ニコの声が震えている、馬車を失うのが怖いのだろう。なのに少女は馬車を気にせずに撃てと言う。


(ニコが覚悟できてるのに、俺が迷ってどうするんだよ……なぁ、キー)

【マスターの意志を確認……限界出力を演算中です】

(まったく、いい相棒だよ)

 エスは上空で睨みつける蛇を見上げる。


「せっかくどっかの誰かさんが作ってくれたんだ……この馬車ごと守ってみせるさ」

 エスは大蛇の頭をめがけて銃口を空に掲げる。対する大蛇もその場で身体を縮ませており、突撃する準備は出来ているようだ。


【……走行を続けれる限界出力は二十パーセント】

(二十か、足りない気がするがなんとかならないか?)

【馬車が大きくバランスを崩す事まで許容するならば、五十パーセントまで可能】

(なるほどな、だったら、俺はヘルと……ニコを信じる)


「キシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

大蛇は高い鳴き声をあげ、叫び声は山に鳴り響く。


(狙いは口の中……出力は五十だ)

【了解です、マスター】

「ヘル、下がって毛布とかで身体を守ってくれ」

「……わかった」


ヘルは下がり杖を構えた、これで後ろは彼女に任せるしかなくなった。


ゴォォォォォォォォォォオオオオオオ!!


大きな風切音を出しながら、突撃してくる。

「すまないな……死んでくれよ」

その蛇の大きく開けた口に向かい。


エスの魔導砲は放たれた。

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