ドーヴ沿海山道(2)

「……攻撃面はこれでいいよね、次は防御面かな……?」

 ヘルが落ち着きを取り戻すのを待ってから、次の話題に移ろうとした時だ。


「待って」

「……待たないよ?」

「そうじゃない、センサーに反応がある」

「……!」


 これがもう少し早い時間帯ならここまで警戒しなくても良かったのかも知れないが、今は月明かりしか無い夜であり、走ってくる方向からはエス以外には何も見えていない。


「……何かわかる?」

「一応シルエットは……ヒトみたいだな、数は二人」


 夜に走ってくるのならば人であっても油断できない。何故ならこんな人気のない山奥だ、強盗や強姦に奴隷制度があるのだから誘拐など人間相手だからこそ油断できない犯罪者はたくさんいる。しかもこちちは女性が二人いる、襲われる理由は十分だ。


「盗賊……いや、山だから山賊か?」

「……それはありえない……けど用心するに越したことはない、かな」

「あり得ないって盗賊がか?」

「……うん、けど今はそれよりも集中だよ」

「そうだな……!」


 距離千メートルから五百を切ったところで四百、三百、二百……エスはヘルやニコにも伝わるように残りの距離をカウントダウンしていく。


「残り五十、そろそろ見えてくるぞ……!」

 ヘル達にもしっかりと走ってくる音が聞こえてくる、相手の目的は何か、三人に緊張感が走る、相手は最初に何をしてくるのだろう。


「たっ……たすけてくださあああああああああああい!!!」

 峠道から走ってきた二人組の男達は、エス達の姿を見た瞬間大声で助けを乞う。


「ほえ?」

「……ニコ、気を抜かない」

「は、はいっ!!」


 あまりにも情けない二人組の姿に肩の力を緩めたニコだが、すぐにヘルに注意を受けて背筋を延ばす。その手にはしっかりとナイフが握られている辺り、ニコも自衛ぐらいはできるのかも知れない。


「何も追ってきてる気配はない」

「……だったら虚言の可能性もあるね」

「な、なるほどですっ!」


 追って来ているモノがセンサーに反応しないのならば、この二人が何から逃げているかわからないし、最初からこの情けない姿が演技だということだって十分にありえるのだ。


「……何から追われてるの?」

「はぁ……はっ……っうぐ……ふぅ……」

「……早く答えて」


 二人のうち片方は膝を折り、地面に手をついて震えており話せそうになく、もう一人は涙目になりながらもヘルに答えようとするが息が整っていないので喋れない。

(演技にしては過剰な気がするが……とりあえず喋らせないと始まらないな)


「ニコ、水を」

「わかりましたっ!」

 ニコがエスに水筒を持ってきて、それをエスがゆっくりと目の前にいる男の前に置く。するとその男は慌てるように一気にその水を飲み干した。


「はぁ……ご、ごめん……あ、ありがとう……ございま、す……」

「……で、答えれる?」

「あ、あぁ……すまない、先に」


 彼は答える自分の腰につけた武器をベルトのボタンを外してその場に落とし、ゆっくりと離れる、この行動は明らかに警戒しているヘルに対して、敵意が無いという事をアピールするためのものだ。


「きょ、巨大な蛇に襲われて……」

「……蛇? 巨大な?」

「あ、あぁ、巨大つっても俺の身長の二倍とかそういう次元じゃねぇ……もっと」

 そこで男は言い淀んで背後をゆっくりと振り向く、追いかけて来ていないのに、まだ巨大な魔物におびえているらしい。


「……もっと、何?」

「もっと、巨大で、頭だけでも俺よりも大きくて、俺達俺達五人は必死に逃げ……」

 ハッとしたように男は周囲を見渡して愕然とした。


「……五人、ね……エス一応聞いても良い?」

「残念だが、逃げてきたのはお前達二人だけだ」

「あっ……っ……あぁ……あぁあああああああああああああああ!!!」


 逃げてきた男は、その一言を聞いた瞬間大声をあげながら嗚咽し、泣き始めてしまう。こうなってはまともに話を聞くのも無理そうだ。


「どうするんだ、これ」

「……演技ってことは、ありえるから怖いけど」

「どうせ起きてるし見張っとくよ」

「……うん、お願い……エスがいてくれて良かった」


 ヘルは少しだけエスの背中に手のひらを当てて自分の体重を預けてから、ニコの手を引き連れて馬車の中へと戻っていった。


(他のヒトに聞かれてるんじゃ作戦会議もできないからな……)

 エスはヘルとニコが馬車に入っていったのを見送ってから、未だに絶望して震え傷心状態にある逃亡者達二人がよく見える位置に椅子を起き、見張りながら様子を伺うことにした。


「……っ……うぅ……はぁ……あぁ……………うっ」

 やがて何時間過ぎたから解らなくなったこと、仲間を失ったことに気づいて絶望に沈んでいた男がようやく落ち着いてきた様子を見せる。


「ん……もういいのか?」

「す、すいません……」

「聞くのは明日にした方がいいか?」

「いえ……大丈夫です」

「そうか、無理はするな」


 完全に信用した訳では無いが、彼らは項垂れている間にエスをチラリとも見ようとしなかった。本当に騙すつもりならば少しぐらいは様子を伺おうとするのだし、一人になったエス相手ならば二体一になったと攻撃する事だってあり得たのだが、そんな素振りも見せていない。


「寝袋はあるのか?」

「いえ、荷物は全部……」

「まったく……」

 エスは寝ている二人を起こさないように馬車に入り、毛布を二つ取り出そうとする。


「……エス」

「起きてたのか?」

 そんな彼を、ヘルが小さな声で呼びかける。


「……うるさかったし、大丈夫かなって」

「ここは任せて寝とけ」

「……うん」

 警戒していたので厳しい態度を取ってはいたが、やはりヘルは根が優しいので逃げてきた彼らを多少は心配していたようだ。


「ほら、貸してやるよ」

 馬車から出てきたエスは男に毛布を貸し与える。


「もう一人も静かになったか……いや、寝たのか?」

「泣きつかれたようで……気絶が近いんですかね」

「ったく」

 エスは彼にも毛布を被せてやる。硬い地面に直接寝ているので朝がキツイだろうが、それでもまだ風は冷えるし標高もある、毛布があればマシだろう。


「すみません……怪しいでしょうに」

「ま、怪しいし気を許したわけじゃないがな……それで」

「事情ですよね」


 意図せずして厳しい態度をとったヘルと、少しだけ親切心を見せたエスで飴と鞭との関係になったので、男もエスに対して少し気を許したのか話しやすそうだ。


「場所はこの先の山を周り込んだ先で……山同士を挟んだ橋がある場所があるんです、俺達はその橋を渡りきってから……こっち側でキャンプをしていたんです」


 山をぐるりと回って向こう側となると、確かに直線距離でもエスの索敵範囲からは出るし、橋がかかっている場所なのである程度たいららな地面も確保できていそうだ。


「あの大蛇はその橋の下から出てきて、俺達を襲いました」

「なるほどな……」


 その話が本当ならばその大蛇は崖の下の渓谷を住処にしていた事になる。

「戦おうともしたんですけど、相手が大きすぎるし、歯もたたなくて、一撃でキャンプもやられて……俺達は一目散に逃げたんです……けど」


 ここまで走ってこれなかったというのならば、ここに居ない三人の生存は絶望的なのだろう。もし、ニコがここで休むと言わなければ自分達も巻き込まれたかも知れないと、エスは彼に少し同情する。


「とりあえず、何かするにしても明日だ、今は休め」

「はい……それにしても凄いですね」

「凄いって?」

「こんな話聞いても貴方は落ち着いてますし、大蛇がいるって聞いてもお二人は休みましたし……」


怖がっていないわけではないが、動じていないのは単純に現実感がないだけだ。

「驚いてはいるさ、これでも……まあ俺が見張ってるからじゃないか」

「そうなんですね……俺達はまだまだだったんだな……」


そう呟いて逃げてきた男は震えた。どうやら彼は今日、寝れないのだろう。

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