ドーヴ沿海山道(1)

 山道を登る前に選択肢がある。

「さて今から山を登るか、これから野宿の準備を始めるかどっちがいいんだ?」


 現在時刻は昼過ぎであり、移動中でも食べれる軽食を保存庫から取り出して食べたところ、もしこれが日帰り登山であるならばこの時間帯からは標高五百メートルの高さであっても登るべきでは無いだろう。


「普通に進んでいいと思う、馬車もあるしどっちにしろ野宿は必要だから」

 ただそれはあくまで日帰り登山の話であって、最初から山で野宿をする予定で準備を怠っていないならば、野宿の準備を始める時間を間違わなければ問題ない。


 そうして山を登り始めて数時間、既に異変は起き始めていた。

「……これで五匹目?」

「こんなに魔物って出るものなのか?」

「……うーん、どうだろ運が悪いと出会う数ではある……んだけど」

「煮えきらないな」


 進んでいくうちに山道を飛び出してきた魔猪はこれで五匹目だ。その全てはヘルの一撃で呆気なく倒されているので問題なく進めている。


 地面のぬかるみも一度車輪を取られたが、エスが後ろから押すだけで解消できたのでこれも旅の問題になるほど時間はかかってはいない。


「……順調ではあるんだけど、ニコはどう思う?」

「どうと言われましても、動物ならともかく魔物なので」

「……じゃあ、動物だとして」

「でしたら、一応コルケ出身としての見解ならば言えますっ!」

「……お願い」


 今のスピードでぬかるみを避けながら喋るのは大変なので、少し速度を落としてからニコはヘルの疑問に答え始める。


「ヘル様はきっと違和感を感じておられると思います」

「……うん、なんとなくだけど普段の魔物狩りじゃない気がしてる」

「それはですね、魔物がただ馬車の近くに飛び出してるだけだからかと」

「……飛び出してるだけ?」

「はいっ!」


 馬車が大きなぬかるみを避けるために、少し揺れた。

「失礼しましたっ! えっとですね、動物でしたら馬車の前に飛び出してくる理由っていうのは、暗くなってきたり、夕日で見えなくなったところに馬車や会話の音にびっくりして飛び出してくるっていうのが多いんですっ!」


 野生動物の接触事故が夕方から夜に多いのはこういった理由からで、別に度胸試しをしているからではない。動物は視界が広いと言っても、はっきり見えておらず、ボヤけているので何かが居るとしか昼間でもわからない種類も多いのだ。


「それに比べて魔物は野生動物おりも魔力とか魔素マナ」の影響で余計な能力を手にしちゃって凶暴化したものを言うんですけど、結局は動物なんです」


 魔に影響を受けたとしても野生動物である事には変わらないとニコは言う。

「ですのでー……はい、やっぱりおかしいですねっ!」

「……ニコもそう思うんだ」

「魔物が凶暴だから出てくるのなら、馬車を攻撃しようとしますしっ!」


 馬車は速度を急激に落とし始めて、ゆっくりとその場に停止する。

「……どうかした?」

「この辺で支度するのがよろしいかとっ!」


 ニコは運転席から降りて荷台の野宿用道具を馬車から取り出し始める。

「早くないか?」

「少し早いですが、この場所で始めた方がいいかと思いましてっ!」

「勉強のために理由を聞いてもいいか?」

「はい、ここの山道はやはりぬかるみが多くて進みづらいのと、この先見えてる範囲に、こういった平坦な場所が見えないからですっ!」


 エスはなるほどと思いつつ山道を見上げると、海沿いなせいもあってカーブが多く、この先の道が見えない場所が多く、見えてる範囲にも平坦と言える場所がない。


「確かにこの先休めそうな所がないなら、ここで安定を取る方がいいな、ありがとう、勉強になったよ」

「いえいえ、それほどでもありませんっ!」


 ニコが野宿のための焚き木や料理の用意をし始めたので、エスとヘルも馬をその場に繋ぎ止めたりと手伝いを始める。


「それで続きですよね、おかしいという話の」

「……うん、作業しながらで良いからお願い」

「かしこまりましたっ!」


 中断してしまっていた、本題の魔物の様子がおかしいという話を再開する。

「魔物ですと飛び出すなら攻撃してくる可能性が高いって教えられてるんですよね」

「……確かに、魔物が草むらから出てくるときって、だいたい攻撃してくるね」


 実際旅の経験が長いヘルは、魔物が草むらから飛び出した音に敏感に反応して、エスが反応するよりも早く魔物に攻撃していたのはもちろんのこと、少しの音にも反応して外の様子を伺っていた。


「……となると五連続、五連続ただ単に近くに出てきただけって変だね」

「進行方向に私達が見えてれば体当たりぐらいしてきます、それをしなかった」

「……こっちを確認しないほど魔物に余裕がなかったの、かな?」

「十分ありえる話かと、正直ヘル様がいくら強いとは言え……全部一撃でしたし」


 先に飛び出したヘルが攻撃した魔物は、すべて一撃で倒されていた。おかげでエスは一度も戦わずにすんだわけなのだが、それにしても魔物が弱すぎる。


「……ちょっと私強いのかなって勘違いしそうになったけど、違うよね」

「あ、いえ、そこは全然違わないと思いますっ!」

「……そうなんだ、でも多分だけど、あの魔物たち……衰弱してた?」

「私も飛び出してきてからヘル様が殴るまでの、短い時間しか確認できませんでしたが、避けようとしても動けなさそうのも居ましたし、弱っていたかと」


「最初から弱っていたんなら一撃で魔物を粉砕したのも頷ける、言いたいところだけどさ、正直ヘルって普通に強いよね」

「それはそうですねっ!」


 いくら弱っていたとしても、魔物が元から持っている身体の頑丈さに影響は少ない筈だ。これが半年など長い時間をかけて弱っていたのならば肉が細り、骨も弱くなるのも頷けるのだが。


「魔物の解体しましたけど、身体自体は健康そのものでしたし」

 そういった長い時間をかけて衰弱したという症状を、ニコは確認できなかった。


「……じゃあなんで弱ってたんだろ?」

「そこまではわかりませんけど、逃げてたんじゃないですかね」

「……逃げてきた……か、一番有り得そうだね」


 二人の予想はなにか別の脅威から逃げる必要があった事だ。それならば咄嗟に動けなくなる理由にもなるし、走っている最中にエス達のような敵を探す余裕が無かった理由にもなる。


「てことは弱ってた原因は疲労か」

「かも知れませんね」

「……脇目も振らず逃げなきゃいけない何か、か」


 三人は山脈の高い部分を見上げてみる。ここから何かが見える訳では無いが、必死になって魔物が逃げなければいけない何かが存在する。


 しかもそれが正しいのならば、検問所の兵士が言った通り透明化できる特異個体のレッドホーンですら逃げなければいけなかった相手がいるという事になる。


「やっぱり山道を行くのは失敗だったか?」

「……ううん、王都に行くならどうせこの山で一泊する事にはなったから」

「それはそうなんだが、こうなってくると王都に行くのが失敗だったかなと」


ヘルはそのエスの言葉を聞いて、静かに黙って首をふる。

「……それはないよ、エス」

「どうして?」

「……王都がこの辺で一番大きい街だし、一番情報が集まるから」


ヘルの目線の先は、エスの胸だ。

「そうか、寿命の解決手段があるかも知れないのか……」

「……うん、だから王都には行くべきだと思う」

「だったら仕方ないな、むしろ巻き込んですまないって言うべきか」

「……ふふ、まだ異変の原因に出会うって決まったわけじゃないよ」

「そうだな、出会わない事を祈ろう」


見上げた空は、雲の一つも、鳥の一匹も飛んでいない綺麗な空だった。

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