沿海帝国ザント(4)

 等級更新試験。


 今の等級から一段上の等級へと上がるために受ける試験であり、十分に実績を積んだ旅人が、本来は自分のタイミングで次の等級へと昇格を狙うために申請するものであり、組合の人間から頼まれることは稀である。


 等級試験の内容はどの等級でも決まっており、組合から指定される、一段上の等級の依頼をクリアする事だ。今回ならばヘルは二等級なので一等級の依頼となる。


 ただし次の等級の依頼ならばなんでも良いというわけではなく、基本的にその等級の平均と比べて少し難易度が低い依頼を受けさせ、その依頼をどれだけ上手にクリアできたかで判断するものだ。


 だが今回は例外的に依頼の少ない街で、組合が解決して欲しい依頼は一つだけ。

「……この依頼、試験にするレベルじゃない……よね?」


 依頼をみたヘルが静かに怒りながら受付嬢を睨んでいる。当然だ、この依頼は平均レベルどころではなく一等級の依頼の中でも上位、判断によっては一等級より更に上、特別等級の判断をされてもおかしくないものだった。


「……本部に報告するよ?」

「そ、それだけはご勘弁をっ!」

 ヘルの怒りに受付嬢は地面に正座しながらひらすら謝り続けるしか無い。


「……あのね、なんで等級なんてシステムができたか、ちゃんと勉強した?」

「はい……それは、旅人さんの安全の為に……」

「……そうだよね、無理な依頼を受けて旅人が減らないように、組合も安定して依頼をクリアできるって実績の為に……色々考えて決められた安全の為のシステムなの」

「そのとおりです」


 ヘルはため息をついて依頼文を手で折りたたむ。

「……その安全の為のシステムの穴を利用して、危険な事させるって組合員として一番やっちゃいけないことなんだよ……この街の人との付き合いもあるみたいだけど」

「いやあ、はい、返す言葉もありませんね」


 受付嬢は頭を下げながら言葉を返す。それを見たヘルは、言いたいことは全部言い終わったので、それ以上追求する気はなく、今度はヘルがエスに向かって頭を下げた。


「……ごめん、変な依頼に巻き込んじゃったかも」

「いや、これもいい経験になる、むしろ今のうちに体験できて良かったと思うさ」

「……ありがとうね、エス」

 彼女はこの状況に困惑しながら右往左往しているニコの手を取ってから、組合から外に向かったので、エスはその横について一緒に出る。


「それでどんな依頼なんだ?」

「……依頼自体は単純で、オーソドックスな魔物退治ものかな」


「てとは魔物を倒すだけか、等級が高いってことは群れとかか?」

「……ううん、特殊個体一匹の討伐だって」

「特殊ってことは他より強い魔物が出たってことか?」

「……そうみたい、状況的にはよくある依頼なんだけど、ね」


 ヘルは組合から出た後で落ち着いてきたニコの手を放し、杖をギュッと握りしてめて暫く険しい顔をしながら立ち止まる。


「どうかしたのか?」

「…………え、あ、ごめんどうしようか考えてた」

「そうか、で、何を考えてたんだ?」

「……依頼をどう伝えてとか、作戦はどうしようかなって」


「とりあえずどんな魔物か教えてくれないか?」

「……そうだね、といっても今回の魔物はレッドホーンだからよく見るやつで……」

「待った、そのレッドホーンが何か知らないんだが」

「……え、そこから?」

「そこからだな」


 ヘルは困惑してマブタをパチクリと動かしてからコホンと咳払いして、

「……ね、ニコ、こういう感じ」

「な、なるほど……」


「それで……本題を言ってくれないか?」

「……うん、レッドホーンの説明から……だね」

「名前的に赤い角って意味だし、赤い角なのか?」

「……そうだよ、赤い角の……鹿ってわかる?」

「さすがに鹿ぐらいは」


 鹿というのは世界各地に分布している生物で、直接見たことは少ないが馴染み深い生物だ。


「あー、でもわかったぞ、今更鹿がどんな生物かって全く知らない人間に説明するのは難しいかも知れん、身近過ぎて知ってるのが当たり前だったな」

「……でしょ?」


 鹿というのは彼が生身の頃から世界中に幅広く分布しており、高い山や寒いところにまで生息していた。いないのは砂漠のような極端な場所ぐらいだろう。


「その鹿の魔物なのか」

「……うん、寒いところから温かいジャングルぐらいまでどこにでもいるし」

「その分種類も多くないか?」

「……多いよ、この辺に居るのは比較的温厚だけど大型の個体かな」


 鹿というのはありふれた生物で世界中にいるだけに種類も多めだが、彼のイメージでは温厚というのはあっているが、強いイメージというのはあまりない。


「それが一等級ってことは……元々かなり強いの鹿なのか?」

「ううん、普通のレッドホーンは大きいだけ、他の地域より大きいけど、依頼を受けるボーダーラインは三等級ぐらいだし」


「三等級の依頼なら二等級のヘルなら余裕じゃないのか?」

「……余裕じゃないから一等級になってる」

「そりゃそうか、それでどう強い?」

「……レッドホーンであるってだけで詳細不明なの、だからまずい」


「詳細不明?」

「……依頼書も急いで作ったせいで雑みたいだし」

「まあ明らかに急いでた様子だったもんな」


 あの場に居たエス達に無理矢理依頼を受けさせたようなものだが、彼等も余裕があるのならばあんな強引に受けさせる事はしなかった筈だ、特にあの受付嬢は一度断ってさえいるのだから。


「……事件は今朝、私達よりもちょっと後に出発した輸送隊が襲撃にあった」

「待ってくださいっ、その人達って無事なんですかっ!?」

「……無事とは言えないけど、命に関わるような怪我人はいないって」

「そうですか……良かったですっ!」


 自分を売った故郷だが、ニコはコルケに悪い印象ばかりがあったわけではない、むしろ丁寧に技術を教えてもらったりしていた。


 なのでニコ自身、変な売られ方をする前に、今の御主人様であるエス達に預けるような形で引き渡したのだというのも理解している。

 なので古巣の人間が襲われたという情報は彼女を不安にさせたようだ。


「ですが護衛がついてた筈ですよね、うちの国からの商隊なんですし」

「……うん、二等級二人と、三等級……旅人の実力に照らし合わせるとだけど、固定の護衛隊が一緒にいたらしいの」


「それで負けたとなると……確かに一等級クラスですね……」

「……二等級が負けたから一等級ってのはよくあるし妥当だけど」

「なにか懸念でもあるんですか?」

「……誰も馬車に体当たりされる瞬間まで……姿らしいの」


 それが異常だというのは、魔物に関してはド素人であるエスにもすぐにわかる。

「あのだだっ広くて見晴らしのいい草原で見落としたのか?」

「……多分これがこの魔物の特異性だと思う」

「特異性ったって、透明にでもなってるのかよ」


 それを聞いたヘルがジト目になり、とても嫌そうな表情になる。

「ごめん、さすがに生物がそんな透明になるとかあるわけないよな」

「……ううん、むしろそれしか無いって思って……嫌だけど」

「待て、あり得るのか透明って、保護色じゃないんだぞ、しかも鹿が」


「……保護色って可能性はあると思う、けど馬車に体当りされた後で、普通に大型のレッドホーンも見てるみたいなんだよね、商隊の人達」

「となると、最初から保護色だったわけじゃなくて、自分の意志で姿を消せたのか」

「……そうなると思う、だから透明になってるか、保護色しかないなって」


 巨大な鹿が透明になって体当たりするなら、それはもう悪夢でしか無いだろう。なにせ魔物がいない世界ですら、鹿の体当たりは車を破壊する事もあるぐらい強力なのだ。


「……とりあえず、明日偵察で出発して、ダメそうなら全力で逃げよう、ね?」

「ソレが良さそうだな」

「了解ですっ!」


パーティーの意識が嫌な方向に向かって一致した。

「最初の魔物討伐がコレとか最悪じゃないか?」

「……本当にそうだよ、透明化の能力もってるなら……一等級で済まないんだし」


ヘルが最後に呟いた一言に、エスは不安が増すのだった。

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