動物王国コルケ、出発。

「……ところで、誤解を解いておく必要があるよね」

 オギュスタンがいなくなった後、馬車を見る前にヘルにはやることがある。


「なんでしょうか、えっとヘル様」

「……私とエスは……夫婦じゃないの」

「えっ!?」

「……エスが私を師匠として雇ってる関係」

「じゃ、じゃあこの契約どうするんですかっ!?」

 焦りを見せる少女だが、自分の契約がどうなるかという状態なのだ。


「その辺は街から出たら話すよ、俺の事情も含めて」

 もう少女を雇ったのだ、しかも永久雇用なのだからエスの事情を話すことに何の障害も無いのだが、人が聞いてるかも知れない状況で話すのは抵抗がある。


「わ、わかりましたっ!」

「大丈夫、俺の責任で絶対変なことにはしないから」

「は、はい……!」

 それでもまだ少女は不安そうだが、彼女に今言えるのはこれぐらいしかない。


「……ねぇ、エスちょっとこの馬車、凄いかも」

「どうしたんだ?」

「……設備が整い過ぎてる……かも」

「整いすぎてるってどういう事だよ……ってうお」


 馬車の中を見てエスは単純に驚く。彼は馬車について詳しくはないが、そんな彼でも見ただけでかなり設備が充実しているのがわかるほどだ。


「これは、保管庫か?」

「……うん、空間魔法はかかってないけど、魔物のお肉と一緒に寝なくていいね」

 魔物の肉と言っても、基本的には生肉で、死体である事には変わらない。睡眠する隣で傷みやすい肉などがあるのは衛生上とてもよろしくない。


「両サイドにあるし、生肉と俺たちとの食料で分ければいいか」

「……うん、素材と生肉は一緒でいいし、冷気魔法が使える装置もあるね」

「この大きさなら鹿一頭ぐらいは入るな、至れり尽くせりだが……」


 自分の背よりも高く魔力を込めれば、冷蔵庫としても使える保管庫が先頭側の両サイドに二つ、それに折りたたみが出来るベンチ型の椅子が両サイドに付いており、三人ぐらいは並んで寝転がれる横幅で、外装はシンプルな木造だが、かなり頑丈そうである。


「正直かなり上等品の馬車だろ、値段と釣り合ってるのか?」

「……この子がついてるって考えると、利益はないかも」


 日本円で換算した場合、この馬車が一千万ぐらい、奴隷の少女はかなり技術を仕込まれている筈なので、どう見積もっても数千万はするだろう。


(半年は遊べると言っていたけど、魔水晶三つじゃ割に合わないんじゃないか?)

 こうなってくると前提が間違えている可能性がある。半年遊べる金で彼が考えていたのは、月数十万のサラリーマンが普通に暮らせるぐらいの金額、つまりは年収の半分よりも少し高い金額を想定していた。


(いや違うこの世界で半年遊ぼうと思ったらもっとコストがかかるんだ)

 だとするといくらぐらいだろうかと考えて、ヘルは自分が渡した魔水晶を換金したお金で馬車を買おうとしていたのを、思い出す。


(ヘルがもし全額使うって考えてもお釣りは一千万ぐらいはあったのか)

 暫定的ではあるが、エスは魔水晶の値段がこの世界で一千万ぐらいの価値があると仮定して考えてみる、しかしそれでもやはり二千万という値段は少女の値段としては安すぎる気がしてならない。


「やっぱり、人の価値が安すぎるよ」

「……そんなもんなんだよ、奴隷売買って」

「それでいいのかよ」

 やるせない気持ちを抑えながら、エスは馬車に乗り込んで座席に座る。


「あはは、諸事情で売れ残ってしまったので安いんですよ」

「売れ残ったって、まだ若いだろ?」

「奴隷としては十を過ぎると仕事も仕込みにくいだとかで……それに耳が」

「丸耳がなにか問題なのか?」

「やっぱり、猫とか狐とか、犬に比べると人気がないんですよ」


 丸耳の動物といえばパンダやレッサーパンダを始めとする熊系なのだが、熊は成長すると過剰に力がつきやすく、使用人としては扱いにくいというのも理由らしい。


「……可愛いのにね、丸耳」

「あはは、ありがとうございます」

 ヘルも外装などに不具合がないかを素人ながらも確かめてから馬車に乗り込む。


「それで、どこに向かいますか?」

「そうだな、食料ってどのぐらいある?」

「……あんまりないし、買い出ししてから出国だね」

「だったら、中央市場に向かわせますねっ!」

 二人を載せた馬車を、少女は馬に命令してゆっくりと走らせる。


 牧場の倉庫を出て、牧場を横切る時にクジャク男爵が再び乗り込み、翼を牧場の方に向ける。


「……あ、オギュスタンさん」

 その先にはオギュスタンが深く頭を下げて見送っているのが見えた。

「思うことがあったのだよ」とクジャク伯爵は一言だけ呆れたように漏らした。


 市場には馬車を使って一時間で着く。求めるものは三人分を今日食べる分と保存書、それと非常食をまとめて多めに購入し、食料だけをかって市場を後にする。


「ちょっと多くなかったか?」

「……良い食品が手に入る国は貴重だよ」

「なるほどな」


 次の国で買える食料が美味しいとは限らない。まずい可能性はあるし、それどころか食料が買える保証がないので、保管庫があるのならば多めに購入しておいたほうが旅が安定するのだ。


「じゃあいよいよ出国ですか……?」

「……うん、心残りはある?」

「長年暮らしましたが、その日が来るってわかってましたから……急でしたけど」

 少女はにっこりと笑いながら馬車を最初に入ってきた城門へと歩かせる。


「……そっか、貴方が大丈夫なら……あ、名前聞いてない」

「ありません、奴隷と決まってたので持ち主が決まるまで、名付けられないんです」

「……そうなんだ……名前、決めないとね」

「いい名前を期待しおりますっ!」

 広く見晴らしのいいあぜ道に馬車は出て、速度をあげていく。


「期待してるだって」

「……エスも一緒に考えて」

「ネーミングセンスなんてないぞ、俺」

「……エスとキーだっけ……普通じゃない?」


 エス自信は咄嗟につけた名前の為、適当すぎたなと思っていたので普通と言われたのは少し安堵するところがある。


「……それで、なにかいい案ある?」

「えー、ニコとか?」

「……じゃあそれで」

「待て」

 エスは安易に名前が決まりかけたので必死に止めようとする。


「さすがに安易すぎるって」

「……そうなの?」

「俺と、俺の機能だからまだいいけど、人の名前なんだぞ」

彼は困り顔をしつつ、深くため息をつきながら片膝に肘を乗せる。


「……いい名前だと思うけど、ダメなの?」

「ダメなわけじゃないが……さすがにニコニコと笑ってたからニコって言ったんだぞただの思いつきだ、嫌がるだろ、あの子が」

馬車の先頭からチラリと見える少女の後ろ姿にエスは視線を向ける。


「……いやなの、ニコちゃん」

「え、結構好きですよ、ニコですねっ! よろしくお願いしますっ!」

「決まってしまった……」

本当にこんな命名方法でいいのかと二人を疑いの目で見るが、二人共満足そうに笑っているので彼はこれ以上ツッコむことができなかった。


「もうすぐ門に出ますよ、次の目的地はどこですか?」

「……決めてなかったね、どこがいい?」

「どこがいいって言われても、俺この辺の街なんて知らないぞ」

「でしたら、元ガイドとして三つほどオススメの国がありますよっ!」


「どんな国があるんだ?」

「一番オススメなのは交易国ですねっ!」

「おっと、その国はもう通ったよ」

「なるほどっ! でしたら南にまっすぐ行った海が綺麗な国と、山間やまあいの国ですね」


海と山、両極端に選択肢が別れた。さて、次はどこへ向かおうか。

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