第2話 その姫は衣を脱いで雲を奪う

 続いて、かぐや姫が失踪する。


 かぐやは、内心ずっと憤慨ふんがいしていた。


 あれは警告のつもりだったのだ。


 毒草が身をいろどるように、きゅうした虫が匂い立つように、誰にも近づかれまいとしてかぐやは光を発したはずだった。


 しかしそれ故に、身を覆っていた竹は切られ、かぐやは外界に身をさらすことになってしまった。


 かぐやを指して天からのさずかり物だなどというのは、かぐや自身の解釈とは大きな齟齬そごがあり、これはおじいさんの早合点はやがてんに他ならない。


 かぐや自身は、当初からおじいさんの行いをとんだ暴挙だと思っていて、どうしてこんなことをしたのかと問い詰めてつくづくと非難を浴びせたい気持ちだった。


 ただ、なにぶんそのころのかぐやはただの赤子だったので、心で何を怒り狂おうと、「おぎゃあおぎゃあ」としか言うことができなかったのである。


 一方でかぐやは、おばあさんに対しては少なからぬ情を抱いていた。


 美しい子を得たと喜ぶだけのおじいさんと違い、おばあさんは生まれたままの姿だったかぐやに、自分の着物をいてまで服をつくろってくれた。


 おばあさんは己の生涯の宝を得たとばかりに、かぐやを大事に扱ってくれたのだ。


 だから、最初はおじいさんへの怒りに駆られて尿いばりき散らしていたかぐやも、次第におばあさんの愛情を素直に受け入れるようになった。


 おばあさんの心をなぐさめるためなら、しばらくはここにいてやってもいいかもしれない。


 などと、かぐやは考えるようになっていた。


 しかし、かぐやの体は普通ではなかった。


 最初こそおばあさんの乳を飲んだが、少しもしない内に歯が生え始め、やがてはいっぱしに物を噛めるようになった。


 かぐやはただ悲しかった。


 成長することがではない。


 この子は普通の子ではないのだと悟ったおばあさんの、自分を見る目が変わってしまったのが悲しかったのだ。


 それでも、無性に空腹ばかりが襲ってくる。


 成長したかぐやの前では器に盛るなり全ての食物がぺろりと平らげられてしまうので、そのたびにおばあさんたちは目を見張った。


 また、多く食べる分、かぐやの新陳代謝もすさまじい速度で進んだ。


 日ごとにあかをべろりと落とすその姿は、さながら皮を脱ぐ蛇のようですらあった。


 おばあさんの顔は、日に日にくもっていき、いつしかかぐやを見る目に恐怖を帯びるようになった。


 かぐやはそれを感ずる度に、ますます悲しんだ。


 やはり私は、外に出るべきでは、なかったのだ。


 しかし、二人の心中とは対照的に喜んだのはおじいさんである。


 かぐやの爆発的な成長は数ヶ月で止まった。


 もはや尿を撒き散らしていたかつての面影おもかげはなく、今やかぐやは見目麗うるわしき乙女へと変貌へんぼうげていた。


 おじいさんはありったけの金でかぐやに上等の着物を着せると、すぐに都へ家を移した。


 かぐやを姫として、どこかの貴人にめあわせようというのだ。


 おばあさんは、成長の止まったかぐやにまた優しくなってはいたが、その頃にはもう、かぐやの心が冷えていた。


 所詮おばあさんは、自分の望む私でないと気に入らないのだ。


 かぐやはそのことに気が付いてしまった。


 では、普通でない私は、どうあればよかったのだろう。


 私はどうして、ここにいようと思ったのだったろう。


 都の住まいには、かぐやの美しさを聞きつけた貴公子たちが幾日も押しかけ、透垣すいがいの向こうではいつも男たちの烏帽子えぼしが揺れている始末。


 結局あの人たちも、私のことなんて何も知らない。


 誰もが、私の気持ちなんて、どうだっていいんだ。


 かぐやはふさぐ心をなぐさめるように、毎晩御簾みすを出て月を眺めた。


 するとある夜、なんと月がかぐやに語りかけてきたのだ。


 驚くかぐやに、月の使者を名乗る声は、もうすぐ迎えに行くと、そんなことを告げた。


「迎え、ですって…………?」


 その言葉が、かぐやの心のせきを切った。


 かぐやは軒から身を乗り出し、月に吠える。


「だったら、今すぐここへ来なさい! そうして私を連れ出しなさい!」


 声に応えてか、たちまち夜空を貫いて、一筋の光る雲が月から伸びてきた。


 雲の上には、天衣に身を包んだ男とも女ともつかない天人が浮かんでいる。


 そうしてかぐやの目の前まで雲が伸びてくると、天人は雲の上からかぐやに手を差し伸べた。


 かぐやの声を聞きつけたおじいさんとおばあさんが、慌ただしい音を立ててやってきた。雲に乗り込もうとするかぐやの後ろから、追いすがるようにこれを引き留める。


「二人とも、世話になったわ……」


 かぐやは目を伏せながら、一応の感謝を述べた。


 しかし、かぐやはすぐに声を張る。


「でも生まれてこないほうが良かった。せめて怖がらないでほしかった。私は、どうしたって、私にしかなれないんだから!」


 そう言い放つと、かぐやは自分に手を伸べた天人の手をぐいと引き、逆に地上へひきずり落とした。天人は地に触れた途端、声も上げずに煙のように消えていく。


 呆気にとられるおじいさんとおばあさんを尻目に、かぐやはそのまま雲に乗り込んだ。地上の衣を脱ぎ捨てて、二人に最後の別れを告げると、雲は黄金こがねの尾を引きながら西の空へと飛んでいく。


 そうしてかぐやは、二度と戻っては来なかった。

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