大失踪 ~プリンセス彷徨奇譚~

望月苔海

第1話 その姫は靴を脱いで歩き出す

 はじめに、シンデレラが失踪しっそうする。


 魔女に仕立てられた魔法の馬車で、舞踏ぶとう会が行われるという王城へ向かう途中のことだった。


  最初は単なるあこがれだったのだ。


 いつも義姉あねたちから仕事を押し付けられ、家を離れることのできない自分にとって、外の世界は夢そのものだった。


 だから、どこからか魔女のおばあさんがやってきて、みじめな私に魔法をかけてくれたときは、本当に嬉しかった。


 細かな装飾の施された、真っ白のドレス。


 輝くように清められた肌と爪。


 手荒れやあかぎれも、すっかりなくなってしまった。


 身綺麗みぎれいになることで、今まで自分が抱えていたみじめな気持ちが、みるみるうちに影をひそめていくのがわかった。


 じゃあ、顔は?


 私はあわてて鏡を手にした。


 義姉たちのものとは違う、薄汚れてぼんやりとしか映らない、私の鏡。


 でも、そこに映った自分の姿は、どう見ても美しかった。


 いつもぎしぎしといたんでいた髪の毛すら、今はつやっぽくまとまっている。


 そうか――私は、汚くなかったのだ。


 決して、人からさげすまれるような、ではなかったのだ!


 しかし、シンデレラはこうも思った。


 私を苦しめていたものは、美しい身なりになるというただそれだけで、こんなに簡単に取り払えるものだったのだ。


 一体今まで、私は何をしていたんだろう、と。


 魔法によって自己認識を改めたシンデレラは、これまで自分が外の世界に憧れを抱いていたのが、遠い日の出来事だったかのように思えた。


 おばあさんに言われるがままに乗せられた馬車は、着々と城へ近づいていく。


 しかし夢だった世界を目前にした今、シンデレラの胸の中では期待よりも不安ばかりがふくらみ続けていた。


 まだ持ち続けている気持ちがあるとすれば、それは傲慢ごうまんな義姉たちにこの姿を見せつけて、一矢いっし報いてやりたいという、幼い競争心でしかなかった。


 でもそれは、私が本当にやりたいことなんだろうか。


 それが叶えば、私は満足なのだろうか。


 誰に言われるまでもなかった。


 私のやるべきことはこれじゃない。


 私のいるべき場所は、ここじゃない。


 揺れる車内でしばらくうつむいていたシンデレラだったが、徐々に思いを確かにすると、ネズミの御者に命じて城の直前で馬車を止めさせた。


 そうしてついに馬車から降りてしまうと、脱いだガラスの靴を手に引っかけて、森の中へと裸足で歩き出した。


 慌てたのは魔女のおばあさんである。


「ちょいとお待ち、あんた、十二時には魔法が解けるんだよ。馬鹿なことはおよし」


 どこからか現れ、そう言って眼前に立ちはだかるおばあさんの驚いた顔を、シンデレラはただの一笑に付した。


「それじゃああべこべよ、おばあさん。私にかかっていた魔法は、今解けたところなの。こんなもの、無くったって――」


 シンデレラは手にしていたガラスの靴を空高く放り投げると、その美しい顔を無邪気にゆがめ、おばあさんに言い放った。


「もう、怖くないわ」


 こうしてシンデレラは森の奥へと消えた。


 この姫の行方は、誰も知らない。

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