パート5 罪人少女の涙


 階段を駆け上る足音。扉が勢いよく開かれる


 場所は屋上。風が吹き抜ける


「あ、あなた……。ふふっ、よく見つけたね」


「部屋に行ってもいないから、施設中探し回ったんだ?」


「そっか。あなたはやっぱり優しいね」


「私? あぁ、ただ風に当たってるだけだよ」


「なに? もしかして、私が飛び降り自殺でもすると思った? 大丈夫だよ。見ての通り、自殺防止のフェンスが高く張られてるし、飛び降りなんて、物理的に不可能だよ」


「……まぁ、考えたことないって言えば、嘘になるけど」


「せっかくだから、あなたもゆっくりしていけば? 屋上で風に吹かれて黄昏れるっていうのも、けっこう気持ちいいよ」


 彼女の隣に立つ


「……ここからだと、街の景色が一気に眺められるんだよねー。自分が行ったことのある場所も、そうじゃない場所も」


「私、この街で生まれ育ったんだ。ほらあそこ、あそこの辺りに、私の住んでた家があったの」


「まぁ、この街にいい思い出なんて、なにひとつないけど……」


「あなたと行った水族館も、つらい思い出にしちゃったし。あの時は、ほんとにごめんね」


「……ねぇ、聞かなくていいの? 私が泣いて逃げ出した理由」


「そうなんだ。でも、あなたには失礼なことしちゃったし、言わないと私がもやもやしちゃうから、話しておくよ」


「あの時、私、仲よさそうな親子の姿を見ちゃって……。そしたら、自分の人生を思い出して、耐えられなくて……」


「私はさ、人殺しだって言ったよね。実は私が殺したのは、自分の母親なんだ……」


「私のお母さんは、私を産んですぐに離婚して、シングルマザーになって暮らしてたの」


「でも、私はそんなお母さんに、愛されてなかったんだ」


「いわゆる虐待ってやつだよ。ことあるごとに理由つけて、暴力ふるわれて。ぶたれたり、食器を投げつけられたりしてさ。私はいつも、体中あざだらけ」


「他にもいろいろあったな。わけわからないことで罵られたり、食事を食べさせてもらえなかったり」


「私、前に膝枕してもらったことないとか、水族館行ったことないとか、あなたに話したでしょ。それはつまり、そういうこと。そういう親のもとで育ったってことなんだ」


「……つらかった。苦しかった。私はいつも、お母さんの温もりを求めてた」


「でも、それは無理だった。私がどれだけ求めても、お母さんは私を殴ったり、大声で罵るばかり……」


「私には、生きていく希望が、なにひとつなかった。自分の人生に、完全に絶望してた」


「そんなある時ね、お母さんの様子が、一段とおかしなことがあって……」


「なにもしてないのに、私のこと怒鳴りつけて、周りのものを手当たり次第投げつけてきて、腕に当たって、体に当たって。私、なにもできずに、ただ泣いてた……」


「そしたらお母さんは、とうとう包丁を投げてきたの。私の頬をかすめて、あとほんの少しずれてたら、私死んでたかも」


「それでわかったんだ。この人が私を愛してくれることなんて、絶対にないんだって。私、もう全部が嫌になっちゃった」


「……私は、床に落ちた包丁を手に取った。だって、もう他にできることなんて、ないと思ったから」


「私は包丁を、お母さんに突き刺した」


「お母さんは身体を折り曲げて、丸くなって床に倒れた。突き刺した傷口からは、たくさんの血が流れてきて、私の足にも広がってきた」


「それがね、その足についた血が、とても温かいの。それが私の感じた、お母さんの、初めての温もりだったの……」


「そうして私は、人殺しになった。あとはずっと施設暮らし。自分でも、当然の報いだと思ってる。私は許されないことをした。私にはもう本当に、誰からも愛される資格なんてない」


「そう思ってたはずなのに、水族館で、仲睦まじい親子を見たら、耐えられなくなっちゃって……」


「私には、家族の温もりなんて、一生手に入らないって、諦めてたはずなのにね……」


「私には未来なんてない。そう自分でもわかってるのに……」


「……えっ、なに?」


 彼女の手を握る


「どっ、どうしたの急に。私の手を握って……」


「なによ。私には、あなたがいるとでも言うの?」


「……言っておくけど、やめておいたほうがいいよ。私は人殺しだよ。決して許されない人間なの」


「もしも私と一緒になったら、あなたまで、その重荷を背負うことになる。私のせいで、あなたを一生苦しめることになる」


「だから、無理だよ。だから、駄目なんだよ……」


「私にはもう、救われる資格なんて……」


 彼女の手を握って、走り出す


「えっ、ちょ、ちょっと! 急にどうしたの?」


「見せたいものがあるって……」


 彼女とともに、階段を駆け下り、外に出る


「はぁ、はぁ……。ここ、前に私たちが手入れした裏庭……」


「な、なによ。この場所が、いったいどうしたっていうの?」


「えっ、花壇のほう……?あっ……」


「お花……咲いてる。ふたつの花、まるで寄り添うみたいに……」


「ねぇ、あれ、もしかして……」


「……そっか。咲いたんだ。私たちが植えたお花……。ちゃんと咲いたんだ……」


「こんな、誰からも見捨てられた場所で、力強く生きてたんだ……」


「ううっ……ぐすっ」


 彼女は涙ぐむ


「そっか……。そうだよね……。あのお花も、私も……今を、生きてるんだよね……。たとえどんなに苦しくても、つらくても、私たちは、未来に向かって生きているんだ……」


「う、ううっ、ぐすっ」


 彼女は抱きついてくる


「ごめん、ごめんね……。あなたは、私にずっと希望をくれていた……。私だって、気づいていたはずなのに……」


「……うん。温かい。これが、これが、人の温もりなんだ……。私が求めていたもの、ずっとそばにあったんだ……。これが、生きていくってことなんだ……」


「私、あなたに出逢えて、ほんとうに、ほんとうに、よかった……」


「ありがとう……大好き」


 愛する人の胸に抱かれて、彼女は泣きつづけた


 


 

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