第六話

 清白王きよあきおうはあたしの頬にやっていた手を、今度はあたしの髪にやった。

「この、髪。濡烏ぬれがらす色の美しい髪――来てくれて、嬉しい」

「あ、うん。髪はね、染めたりせず、黒髪がいいなと思っていて。……清白王きよあきおうの髪は雪のように白いのね」

 どきどきしながら言う。


「わたしの髪と瞳は天皇家に稀に現れるものなんだ」

「へえ、特別な色なのね」

 あたしは、美しい白い髪と金色の瞳を見る。祥瑞鳥しょうずいちょうと同じ色だ。

「宮子どのの濡烏色も特別な色だよ」

 清白王きよあきおうがあたしの髪を一束とって、髪にキスをする。

 ちょっ、待って! あたしの心臓持たないから……‼

「あ、うん」

 大人の落ち着きも忘れて、どぎまぎしながらそう言う。清白王きよあきおうは髪から手を放し、美しく笑って言った。


「わたしも、わたしの父である今上帝も、起き上がることが出来ないほどだった。しかし、宮子どのがここに来たことで祥瑞鳥しょうずいちょうが飛び、世界が浄化され、わたしも父上も起き上がることが出来るようになったんだよ。そして、先ほど名前を書いてもらったのは、簡単な解除げじょの方法なんだ」

 清白王きよあきおうはここで言葉を切ると、深く頭を下げて言った。


「宮子どの。宮子どのは確かに橘の始祖の血筋のもの。祥瑞鳥しょうずいちょうが現れ、よろこびの歌をうたったのが、そのあかし。だからどうか、わたしの妃となってほしい。そして、わたしと天皇家を救け、この世界を救けて欲しい」

 清白王きよあきおうは頭を下げたまま、じっとしている。凛とした空気がそこにはあった。


「……清白王きよあきおう、分かりましたから、頭を上げてください」

 皇太子の立場のものがこんな風に頭を下げている――本気なのだ。

「宮子どの――巻き込んですまない」

「いいのよ」


 そう、いいのだ。

 あたしは三十歳になって、ふいに孤独感ややるせなさに襲われていた。自分だけが出来ることなんて何もないと思っていた。文字を美しく書くことだけが特技で、それも活かす場所がなくてさみしかった。

 だけど、ここではその文字の能力を活かすことが出来る。特別な力を伴って。

 あたしが文字を書くことが得意だったことは、もしかしたら清白王きよあきおうの言う橘の始祖の血筋であることに関係しているかもしれない。


「それで、あたしは何をすればいいの?」

「……わたしとのめあわしの儀を行って欲しい。まずは」

めあわしの儀?」目合わしとも合わしともとれた。


「婚姻のための儀式だ。儀式を行うことは、しゅ解除げじょにも繫がるのだ。特に、大きな儀式であれば祝詞のりとが詠まれる。祝詞は天に届き、祝福がもたらされる。そして、祥瑞鳥しょうずいちょうとともに現れた宮子どのとのめあわしの儀を行うこと自体が、天皇家を支え、わたしの皇太子としての立場を強くする。それはこの世界の平安にも繫がるのだ」


 清白王きよあきおうはあたしの頭をそっと撫でる。

 そして、美しい顔で、あたしをじっと見つめる。声は実にいい音色で、あたしの心に甘く届く。

 ――どうしたら断れるの、これ。心臓が止まりそうなんだけど。


「分かりました。めあわしの儀を行えばいいのね?」

「……その後は、皇太子妃として、わたしを支えて欲しい。様々な役割があるのだ。文字の能力を使った仕事がある」

「例えば、どんなことなの?」

「そうだな。例えば、病を治す、或いは病にかからないように祈る。子どもが無事に生まれるように祈ったりもする」

「なるほど」

 医者の仕事もあるわけね。文字の力で病気がほんとうに癒えるんだ。


「……引き受けてくれるか」

「――いいわよ!」

 要するに、これはお仕事。文字の能力を使ったお仕事で、契約結婚みたいなものよね。……この世界に契約結婚という概念があるかどうか、分からないけれど。


 あたしはにっこりと笑ってみせた。

 清白王きよあきおうは安堵した笑いを見せる。

 そして、あたしの手をとって、あたしの目をじっと見た。


 ――どうしてそんな目で見るの? どきどきが止まらないんだけど!

「ありがとう、宮子どの。ちゃんと、そなたを守る。ずっと大切にすると、誓う」

 清白王きよあきおうの手に力がこもり、目にも力がこめられる。

「あ、うん」


 ああ、だめ! それ反則だから。そんな風に見つめられたら、勘違いしちゃう!

 これはお仕事!

 それに。

 清白王きよあきおうは年下なんだから。あたしの方が年上――中身は。

 だから、あたしが、彼を守りたい。

 だって、あたしの方が大人なんだから!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る