第二十九食 夏の怪談は冷えるどころかどんどん暑くなる

「勝者、仔霞隊長!」

 アゲダママルが宣言すると、歓声が沸き上がった。


 ――一瞬で勝負がついた。ここまであっさりと敗北するなんて……。

 

「あーあ。残念だったな、掌」

 衣素が観客席から掌を見下ろす。

「このステージ全体が奴の白属膳だったんだよ」

「さすが。あなたの洞察力はまずまずといったところですねえ」

 仔霞の勝ち誇ったような声が聞こえる。

「私の属膳は言わずもがな、白属膳です。そして属繊は――」

 仔霞は掌の転がっている方へ歩いてくると、ステージ上から彼を見下ろした。右手をこちらに向けている。

 手のひらの中心に二重丸があった。波紋属繊はもんぞくせんだ。出力形態は<広角こうかく>。属膳を広範囲に出力したり、効果範囲を拡張したりすることができる。

「予めステージの中心から白属膳を散布しておきました」

 ステージが真っ白なのは、仔霞の白属膳が塗られていたからだ。

 白属膳は意識を溶け込ませることができる。仔霞は目を閉じていても、白属膳を通じて掌の様子を確認することができたのだ。掌を縛った白い縄のようなものは、仔霞がステージ上に撒いた白属膳が形を変えたものだったのだろう。

「っていうか、衣素さん気づいてたの? だったら先に教えてくれりゃいいじゃん!」

「何でもかんでも教えてたら勉強にならないだろ。やられて覚えることも大切なんだよ」

 この非常時にそんなことに配慮する余裕があるのならば、宿泊券の一つや二つ取ってほしいものだ。掌はムキになったが、すぐに頭を冷やした。仮に気づけていたとしても、今の自分に対処はできなかっただろう。

「海堂さん。先の研修会では多くの団員があなたをスカウトしたとのことですが、私からすれば、伸びしろのない人間を招き入れようとする人間の気が知れませんよ」

 思わぬ追撃に掌はしゃがみこんだ。

「掌、こんな奴の言うこと気にするなよ。お前が嫌がると思ってわざと言ってるだけだ。顔を上げろ!」

「まあ、彼のような人材を自分の店に抱え込むような方の実力も、たかが知れてますがね」

 衣素もしゃがみこむ。

「あんたも食らってんじゃねえか!」

「よおし!」

 衣素が勢いよく立ち上がった。

「ここまで言われりゃ正してやるのが親切ってもんだ。『あんたの見立ては間違ってますよ』ってな」

「立ち直るの早っ!」

「第二試合いい?」

 アゲダママルが試合開始を告げようとする。衣素と仔霞は位置につく。掌も最前列の空席を見つけ、腰を下ろした。衣素はカツを口に運んで赤い刃を属繊から取り出し、靴に装着した。

「第二試合――仔霞隊長対衣素――」

 皆の視線がステージに集まる。

「試合開始!」

 開始宣言とほぼ同時に、ステージの真っ白な床の上から巨大な手が飛び出し、衣素の背後に迫った。衣素はひょいとそれをかわし、白い手が空をつかむ。白い手は指をくねくねさせながら地を這う。衣素を追うその姿はゾンビのようで気味が悪かった。

 衣素は振り返りもせず、まっすぐに仔霞のもとへ向かう。揚属膳を活かし、一瞬で彼の近くまで迫った。片足で立ち、仔霞に蹴りを命中させようとする。


 ――勝負あり。


 掌が思ったその時、ステージの白属膳が浮き上がり、仔霞を覆い隠した。彼を守るまゆに衣素の足が激突し、一部分がポロポロと砕ける。

 衣素の背後を再び白い手が狙う。その気配に気づいたのか、衣素は間一髪でかわした。

 突如、白い手は縦に半分に割れ、二つの白い手に変化した。大きさこそ先ほどまでの手よりは小さくなっているが、不気味さは倍増したように感じられた。

「うわっ!」

 衣素が後退あとずさりする。

「驚いていただけましたか? 肝を冷やすのは夏場の定番ですからね」

 衣素は尻もちをついた。

「しまった!」

 白い両手はニヤッと笑ったかのように見えた。衣素を間に挟む位置に素早く移動する。衣素を蚊と例えるならば、叩き潰すのを悟られないように構える人の手のようだ。

「なんてな!」

 二つの手が勢いよく衣素を捕らえようとしたその時、彼の口から意外な言葉が吐かれた。

 衣素がさらに後ろに身を引くと、両手は蚊を潰すことに失敗し、互いの手を粉々にしてしまった。

「おお……」

 会場から押し殺したような歓声が上がる。敵ながらあっぱれということだろうか。

「私を罠にはめるために一芝居打つとは。あなたを負かすのは一筋縄ではいかないかもしれませんね」

 仔霞は強がってはいるが、衣素が与えた影響は小さくないはずだ。

「負けを認めるなら、自分から土俵の外に出ていってもらえるとありがたい」

「降参ではなく賞賛ですよ――」

 床に撒かれた白属膳が舞い上がった。仔霞を庇っていた繭もバラバラと崩れ、その中に加わっていく。

 試合を見ていた偵察部の隊員たちが明らかに動揺している。会場が騒然となった。

 仔霞の白属膳は渦を巻くと観客席を含めた会場全体に広がり、竜巻のような強風が起こった。ステージ下に敷かれていた砂が巻き上がり、視界が悪くなる。

 隊員たちが次々に気を失っていく。隣もその隣も、そのまた隣も……。

 風が次第に弱まっていく。

「お前、何したんだよ!」

 衣素が体勢を立て直して叫んだ。

「難しいことはなにも。白属膳の効果は【連結】。自身の意識を属膳に潜り込ませる。しかし、私の手のひらは自身の意識のみを扱って満足するほど、お行儀がよくはありません」

 仔霞は右手の手のひらを衣素に向けた。

 そこで掌は理解した。波紋属繊の出力形態は<広角>。仔霞の波紋属繊が、広範囲に属膳を放つだけでなく、属膳の効果が及ぶ範囲の拡大も可能にするならば、他人の意識も扱えるはずだ。そうだとしても、隊員たちが気を失うほどの力を持っていたとは驚異だ。

 宙を舞っていた白属膳が仔霞の前に集う。それらは三メートルはゆうに超えるであろう真っ白な鬼に姿を変えた。

 鬼は大木のような腕を衣素に向かって振り下ろした。衣素はそれを避ける。しかし、何かの破片が靴に当たり、衣素の左足の靴に取り付けられた赤い刃にヒビが入り割れた。

 白属膳はトリッキーな属膳ではあるが、攻撃力がほとんどないことが欠点のはず。これは……。

 鬼が腕を上げる。ステージの床――衣素が先ほどまでいた場所には穴が開いていた。

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