第二十五食 犬を飼うと狙われるのは末っ子
「アゲにとって、物心ついてから初めての旅行だったんだよ。あいつも楽しみにしてたのに……」
ぼんやりと空中を見つめ、衣素は話し始めた。
「アゲって今いくつだっけ?」
「一歳。今度の誕生日で二歳。ああ。初めてあいつが喋った時が昨日のことみたいだよ」
衣素の話では、アゲダママルの左肩につけている腕輪は、彼の発したい言葉を読み取って音にするらしい。
「俺、思ったんだけどさ――」
掌は頭に浮かんだことをストレートにぶつけた。
「アゲって何なの! 普通に話してるよね?」
「え? 一、二歳になれば喋り始めるだろ」
「人間ならね! でも、どう見てもアゲって人間じゃないじゃん! 子犬だよね、あの子!」
属膳、属繊、膳繊手、漆箸との戦闘、
「まあ、疑問に思うのが普通か。こっちの感覚が狂ってたんだな」
衣素は笑い出した。
「アゲは
「そんなことできるの?」
「そりゃあ、『生まれろ!』っつって、ポンッて出てきたわけじゃないぞ。長い研究の末にようやく生まれた子でさ。人並みあるいはそれ以上の知能を持つ人工的な膳繊手。奇跡的だったんだよ。同じような奴生み出せって言われたって、あいつみたいな膳繊獣はもうつくれないんだって。あいつが生まれた時はみんな大喜びだったんだ。面倒は俺が見ることになってな。あいつが赤ん坊の頃から、俺たち一緒なんだよ」
「もしかして、アゲの種属膳の色がキラキラしてるのも膳繊獣だから? 黄色というか、金に近いっていうか」
「そう。あれも研究の過程で、あいつの親とか先祖にあたる動物の遺伝子やら何やらをいじったことが原因だとかいう話を聞いたな。詳しいことは俺もよくわかんないけど」
「へえ。そんなすごい子と俺、一緒にいるんだ」
「ああ。でも、変に特別扱いしないでほしい。期待されて生まれてきたって言っちゃえば、聞こえはいいけど、アゲのことはさ、かわいそうだと思ってんのよ、俺は」
「え?」
「俺、あいつに『よそではできるだけ普通の動物に見えるように振る舞え』って言ってんだよね。アゲって家にいる時は両足で立ってるけど、外出る時は四本の足で立つし、喋らないだろ? 普通の犬みたいに」
「うん。でも何でそんなこと?」
「変に目立って誰かに詮索されたら、アゲがかわいそうだからさ。制限してることもいっぱいあんのよ。お客さんが嫌がらないように下の食堂にも入れないし。夜、俺が仕事で出なきゃいけない時は一人で留守番させてるだろ? だから、旅行くらい連れていってやりたいと思って張り切ったんだけどな……」
数十分が経過した。衣素のコップに残された麦茶は、それが丸々彼の不安かのように見えた。
外階段を駆け上がってくる音が聞こえる。やがて小さな扉が勢いよく開いた。衣素の言うとおり、アゲダママルは帰ってきた。
「おかえり――」
衣素が言い終わらないうちに、アゲダママルが叫んだ。
「アゲ、闇堕ちする!」
突然の宣言が、ひんやりとした部屋に広がっていった。
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