隠れ鬼カレー編

第十一食 どこまでが林で、どこからが森なのかわからない

「衣素君。困ったな。勝手のわからない彼をいきなり振り回すとは」

 衣素が六十代くらいの男性に怒られる。菊池きくちというらしい。植瑠暖ウェルダン糖ド本部の本部長だそうだ。

「無事なんだからいいだろ? 人のこと救って怒られるなんて嫌だよ」

 衣素は反省していないようだった。

 その態度はいつものことなのか、はたまた菊池が寛容なのか。男は掌に声をかけてきた。

「君も大変だったろう?」

「いや、俺は助けられたんで文句もないですけど……」

 掌は否定する。少なくとも自分に、衣素を責める権利はない。

「まあ、無事ならいいけどね。そうだ。今度、研修会を開こう。私のほうから団員たちに声をかけておくから」

「よっしゃ。楽しみだな!」

 衣素は嬉しそうだ。

「あくまで掌君の訓練がメインなんだ。それを忘れないでくれよ」

「わかってるって」

 訓練か。危険な戦いに身を投じるのだ。考えてみれば当然のことかもしれないが、掌は憂鬱だった。自分についていけるのだろうか。

 本部長室を後にする。

「よし。アゲを迎えにいくぞ」

 昨晩。偵察部の話では彼らが駆けつけた時、漆箸はどこかへ消えていたそうだ。再び奴と戦闘することになった場合、果たして勝つことができるだろうか。


 アゲダママルを連れ、三人で店に戻ることになった。エレベーターに乗り込む。階数を表示するパネルに映し出された数字の頭にはBの文字。植瑠暖ウェルダンの本部は地下にあったのだ。

 上昇し、止まる。扉が開くと、そこには淡白な通路が伸びていた。

「こっちだ」

 衣素の後ろをついていく。扉を開けるとまた通路があり、扉を開けるとまた通路……。その繰り返しだった。

「ここが最後――」

 彼の言う最後の扉はただの壁だった。脇にはパネルがついている。衣素が左手をかざすとピッという小さな電子音がした。壁がスライドし、そこから外に出る。

 途端に賑やかな音が聞こえた。人が集まっているような音だ。目の前には、先ほどまでとそれほど変わらない通路が広がっている。

「アゲ――」

 衣素はアゲダママルをつかみ、服の内側に隠した。アゲダママルも慣れているのか、言われる前に自分から衣素に近づいていったようにも見えた。

 通路を進み、角を曲がる。

 掌は言葉を失った。

 肩を並べるいくつもの店。吹き抜け。エスカレーター……。

 ショッピングモールだ。

「驚いたか? こんな所に秘密の組織があるとは誰も思わないよな」

「秘密の組織って、もっと目立たないようなところにあるんじゃないの?」

「木を隠すなら森の中ってことなんじゃないか? まあセキュリティもしっかりしてるみたいだし、客やスタッフが間違って入ることがないようにはなってるらしいぞ」

 つくづく奇妙な組織だ。

 

 店に戻る帰り道。朝方に出くわした。衣素と朝方は懲りずに言い合っている。

「会うたびに因縁つけてきやがって!」

 二人の熱は一向に冷めない。やがて衣素食道の前に着いた。

「じゃあな! アゲのことは礼を言っておいてやる」

 衣素が吐き捨てる。そのまま外階段を上がっていった。

「当たり前だ、バカ!」

 朝方はぶっきらぼうに返事をする。

「朝方さん。ありがとう」

 アゲダママルが声を出した。手を振っている。

「おう」

 朝方は背を向けると、衣素食道の向かいの建物に近づく。外階段を上がり、鍵を開け、中に入っていった。

「あんたら、ご近所さんだったんかい!」


 それから約一週間後。

 衣素食道の面々は、草が生い茂る広場の中にいた。それを取り囲むように木々が広がっている。植瑠暖ウェルダンが所有している地なのか、借りた地なのか、一面に緑が広がっている。

 他には本部長の菊池と、小太りの男が一人いた。年齢は四十代後半くらい。この男も新人なのだろうか。

「よく来たね」

 菊池が話す。

「さあ、研修会を始めよう」

 掌の鼓動が高鳴る。

 研修会について衣素に聞いたが、彼は『行ってからのお楽しみ』と言うばかりだった。何も引き出せていない。研修会が本当に楽しいものなのか、逆に過酷なものなのか判断がつかなかった。衣素の言葉を額面どおり受け取っていいものだろうか。掌を怖がらせないための優しさという可能性もある。

 できるなら、すぐにでも逃げ出したかった。

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